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サッカーと過ごした10年間②ファールと罰走とプレス

はじめに

 私のサッカー人生の始まりは、自分の中でとても衝撃的な幕開けであった。その後も、相変わらずグローブで(軽く)叩かれた。

 そしていつしか「試合に勝って喜びたい」から「試合に勝って叩かれないようにしたい」へとモチベーションがかわっていった。

 どうすればコーチからこのようなことをされないか、小学生の私は頭の中で必死に考えたのであった…

罰走とプレス

 ある時、また試合に負けた私たちにコーチが言った。

 「もう叩くのはかわいそうだから、これから走ることにします。」

 これもまたおかしな話である。ただし、「罰として走るのも嫌だ」と言えるのは今だからであり、当時の私たちは「叩かれないで済むんだ!」とプラスに捉えていた。

 以降、

勝った試合⇒罰はなしで早く帰れる
負けた試合⇒負けた試合の数やコーチの気分に応じて走る

という習慣が身についた。走る距離はグラウンド1周や坂道ダッシュなど、試合会場とコーチの気分に応じて走る長さや本数が少し変わった。

 できることであれば罰を減らしたい、なんなら、走りたくはなかった。この時点ではもうすでにコーチは恐ろしい存在と自然に感じていたと思う。

 そのころ、コーチは

「プレスをがんばれ。これは下手でもできることだ。たとえ抜かれたとしても、その走る足音が相手へのプレッシャーになる」

と言っていた。これまたおかしな話だが、そのための走りでもあると言っていた。でも、パスもトラップもドリブルもできない私が唯一できることはこれだった。「まず自分ができるようになることはこれだ!」と思い、手を抜かずに走り続けた。

ファールしてでもいい。相手をびびらせるくらいの力でとりにいけ!」

とも言われていた。罰を逃れるために、怖いコーチに目を付けられないために、自分ができる精いっぱいのことをした。そのため相手に抜かれそうになったりパスされそうになった時、服を引っ張ったり足を出したりして止めた。

 相手にとても申し訳ないことをしていたが、これをしているとコーチからは何も言われないし、むしろ褒めてくれることもある。自分のできることを信じて精一杯走り、厳しく相手に当たっていったのだった。

 この時点で楽しい試合はもう、「余分に走らないために試合に勝とう!」という考えに変換されていた。

 ある時、すべての試合に勝った時があった。その時、「やった!全勝だ!」よりも先に「やった、走らないでいいんだ!」と全員で言った時のことを今でも覚えている。このころはもはや異常であった。

 一方、皮肉なことに、この日々の積み重ねで体力がついた。ヘロヘロだった小三の体は多少たくましくなり、1試合ばてることなく走り続ける力がついた。だから、「プレスをかける」という下手でもできる唯一のことができるようになっていった。

 真面目な性格だった当時の私は、どれだけ苦しくても足を動かし続けた。その結果、次第にボールをつついたり、完全にとったりすることができるようになった。この頃の私は、プレスの強さだけは褒めてもらえるようになった。

 相変わらずボールを取った後のプレーは何もできなかったが、ボールに触れる(奪う)回数は自然と増えていったのだった。

公式戦

 初めて数か月、1年と経ち、大きな公式戦があった。

 偶然かはさておき、けが人がいくらかいたこと、私のボールを取りに行く姿が評価されたこと、左利きであることなどからスタメンに抜擢されたのだった。

 ポジションはフォワード。プレースタイルや性格には決して似合わないポジションだった。

 公式戦は1回戦からフル出場した。相変わらずパスは来ない。来ても満足にトラップできず、相手ボールになる。それでも味方のルーズボールや自分のミスなどに関わらず、どんな距離のボールでも必死に追いかけた。それが自分のできる唯一のことで、怖いコーチが認めてくれるところで、ボールに触れられる唯一の時間だった。

 身長が高い方だったこともあり、足を延ばすとボールに触れることが多かった。それが時にはファールになり、相手にけがをさせることもあった。それでもコーチは「それくらいでいい!もっといけ!」と後押ししてくれた。

 そして相変わらずファールすると褒められることもあった。カードをもらうことはなかったが、相手が怖くてすぐにミスをするほどきつくプレスをかけた。

 相手のゴール付近でボールを奪うことが多かった私は、例え自分がゴールに近くても、例え距離があったとしても、ボールを奪うやいなや、何も考えずすぐに味方へのパスを選んだ。それが幾つかのゴールにつながった。こうして、アシスト数が多いフォワードとしてピッチに立ち続けていた。

 けが人復帰後は交代枠になったが、それでも交代で少しだけピッチを走り回り、結局チームは準優勝という結果を残した。今思うと、下手なりにもチームの勝利に貢献したのかもしれない。

良さが消える…

 こうして気づけばサッカーを始めて2年がたち、私は5年生となった。もう初心者とは言えない年齢とサッカー歴になった。

 このころからチーム方針が大きく2つに定まりつつあった。

①相手陣地のプレスはきつくいく。ファールで例えカードが出てもOK!
②相手陣地のサイドでは必ず1対1の勝負をする。

 ①は専門分野で、5年生の初めまでは褒められるほどいいプレスをかけれていた。

 他の子も怒られまいと必死にプレスをかけに行き、何度もカードをもらっている人を見た。私もファール目的ではないとはいえ、必死にボールを追いかけた。

 しかし、成長期なのに自分の身長がどうも伸びず、その代わりに周囲の人がどんどん私の身長を追い越していき、私よりもあたりが強くなっていった。「高身長」という良さと今までのプレスの強さが失っていった。そしてどうも自分の良さが目立たなくなってしまった。

 さらには、私は成長に伴ってけがも増え、体調不良も多くなっていった。自分は選手としてコーチや周りに認めてもらいたいと必死に走り、必死にプレスをかけた。でも今まで通りにはいかず、まったくボールに触れなかった。

 こうして気づけば、私のプレスはただファールをするだけのものと化してしまっていた。

 ②はすぐにボールを離していた私にとっては不得意な分野であった。ボールさばきはもちろんのこと、瞬発力があるわけでもなく、かといって相手の逆を取る冷静な判断力もない。サイドでボールを持つとすぐに奪われてしまった。

 そのうち、ボールを失ったことに対して何度もコーチや周りに怒られた。取り返せたらいいものの、ボールを奪う力はもう自分にはない。何度も当選したが、満足に行くことはそうそうなかった…。

おわりに

 こうしてチームの戦力として試合に出ていた4年生のころとは打って変わり、満足のいかない、楽しくない日々が続いた。ボールも触れず、ミスも続き…でも罰は受け、怒られることに異様に怖がっていた…。

 私はいつしか、夕方の天気が雨であることばかりを願っていた。

 もう、サッカーを楽しめなくなっていたのであった…。

 続く



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