諸行無常の響きあり

昨年・今年に入り自分も多く作品に触れたような漫画家など著名人の多くの訃報に直面している。

SNSなどではかなり落ち込まれている方々がいる中、まったくそういう感情がわくことがなく、なんだか人間失格なのかしらと感じてしまったり。
この感覚はここ数年ずっと保有しており、これまでは超有名人の訃報に触れても、特に作品もそんなに知らない・世代でないからとの感じで感情の起伏ないのかなと思っていたが、自分も作品のど真ん中世代だったりしてもその感情が出てこないのが直近の訃報に際する状況。
悲しくないとかそうではないけど、最大に悲しいという落ち込み方はなく、「あぁ、やはり人は死んでしまうのだな」みたいな少し引いたポジションからの感情。

結構、作品を作る人に対してのリスペクトを持っていないのかもしれない。生み出された作品(演じた映像とか漫画などなど)にしか興味もっていないということなのかもしれない。
そういう視点で自分を振り返ると、直近触れた訃報に関しては自分が追っている作品で未完のものがないから感情の振れ幅が穏やかという可能性がある。作者の訃報により作品が未完となった悲しさでいうと直近では「風の大地」の作画担当のかざま鋭二氏の訃報が一番悲しみを覚えたように思う。

本当は他の人のように著名人の方の作品など多大な影響を受けており、ある時にその喪失感を抱くのかもしれないが、現時点の私はその感情を持ち合わせていない。
悲しさで言えば、こどもが生まれてからこども世代の事故や事件といったニュースに対しての憤りや悲しさの感情度合いがはるかに大きい。
直接の関係はないのだけれど、それを想起させるニュースには感情が揺れ動くようだ。

小さなことから大きなことまでリアルタイムに情報が飛び込んでくる時代・世界に生きる中で、日に日に「みんな幸せになってくれよな、頼むよ」と願う思いが強くなっている。

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