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"楽しい"は2種類ある。刹那的な"楽しい"と、人生を彩る"楽しい"と。

こんにちは、さやです。

最近しきりに思い出す言葉があります。

それは、「楽しいは2種類ある」という大学時代の先輩の言葉。

みなさんは、"楽しい"に種類があるなんて考えたこと、ありますか?

毎日それなりに楽しいけど、でもなんか足りない。

そう感じることがあれば、もしかしたら、一方の"楽しい"が欠けているのかもしれません。


2つの"楽しい"

その言葉を投げかけてくれたのは、大学の合唱団の先輩。

3つ上の先輩はいつも情熱にあふれる熱血漢で、「マックス先輩」と呼ばれていました。

ぱっと見は「筋肉は裏切らない!」って感じの体育会系お兄さんなのですが、実際はピアノと声楽を愛する音楽男子。

迫力のあるテノールが印象的な、熱い熱い先輩でした。

当時1年生でサークルに入団したばかりの私たちは、田舎の施設で歌合宿に参加。夜の練習が終わって就寝時間が迫るころ、暗い廊下で数人が集まって雑談していました。

そこに現れたマックス先輩。

「歌は楽しいだろ」と後輩たちにあれこれと言葉を投げかけてくれた後、こんな話をしてくれました。

でもさ、楽しいっていうのは本当は2種類あると思うんだよね。みんなで集まって、適当でも一緒に歌ってればさ、やっぱり楽しいじゃん。カラオケとか。

でも、しんどいけど何回も何回も練習して、みんなであーだこーだ言って切磋琢磨してさ、その先にもう一歩深い"楽しい"があるのよ。最近の若い子はさ、そういう"深い楽しい"までたどり着こうっていうのがあんまりないっていうか。それ、めっちゃもったいないことなのよ。

だからしんどいけどさ、俺らは本当の"楽しい"を感じる音楽をやりたいよな。

そんなことを、しんみり話してくれたマックス先輩。

彼は、本当に努力の人です。妥協を知らない熱血の人。

まだ合唱を始めたばかりで、とにかくみんなで集まって歌ってれば楽しい、という段階だった私にとって、それってどんな感じだろう、と不思議でした。

なんとなく、努力した先により良い結果があって、それを得た瞬間の達成感みたいなものはわかる気がします。

でもその一段深い"楽しい"を味わえる音楽ってどんなものだろう?

そう思ったのを覚えています。

努力の先見つかる"楽しい"

そんな深い"楽しい"を、私もやっと感じられたと思った瞬間が何度かあります。

初心者が多いにもかかわらず、毎年全国大会まで出場していた私たちの合唱団。やっぱり練習量はそれなりに多かったし、数名の指導的存在がグイグイと団を引っ張ってくれたこと、有名な顧問がいてくださったことで、少しずつでもみんな歌が上達していきました。

100名近い団員がいて、音楽の経験もレベルもバラバラ。そんな中でみんなが本当に納得のできる音楽を作るのは、やっぱり簡単なことではありません。

でも。

大きな舞台に立って、明るい照明に照らされて。

指揮者の向こうの観客に向けて全力で歌っている最中は、何とも言えない高揚感があります。

1音1音、発声や発音や、いろんなことに意識を集中させつつも、全体としての音楽を意識して。1つになった音楽を、ホールの隅々まで響き渡らせる。

すごく貴重な経験だったと思います。

演奏している最中は、緊張しかないときもあれば、なぜだかすごく力が抜けて、"楽しい"と感じるときもある。

これが多分、先輩が言ってた"楽しい"なんだな。

そう感じることができたのは、本当に素晴らしい体験だったと思います。

これは、仲の良い友達と徹夜で楽しんだカラオケの"楽しい"とは、全然違う感覚。

それはそれですごく楽しいのだけど。

でも人生において、この2つ目の"深い楽しい"を経験できたのは、本当に良かったと思います。

その後も、社会人になってフルマラソンを完走したとき。
大きな仕事をやり抜いて、たくさんの感謝をもらったとき。

そんな瞬間には、本当に深い"楽しい"を感じました。

いずれも簡単じゃなくて、しんどいし、大変だし、できるかどうかわからない不安もあるけど。

でも、過ぎ去ってから振り返ると、本当に良い経験だったと、今でも嬉しく思うことばかりです。

そんな"楽しい"は、きっと人生を豊かにしてくれるのだろうと思います。

時間の感じ方

少し話が逸れますが。

人間は「楽しい時間ほどあっという間に感じる」と言いますよね。仲の良い友達と飲み明かしていると、2時間3時間なんてあっという間に過ぎていくように。

一方で、つまらない時間はものすごく長く感じる。全然興味のない授業をひたすら聞くしかない90分の授業は、永遠のように長く感じます。

でも、それはその時間を過ごしている最中の感覚です。

過ぎ去った後に振り返ると、楽しかった時間はすごく充実した長い時間と感じられ、一方でつまらなかった時間は何の中身もない短い時間に感じるのだそう。

これは、感覚的にわかると思います。

充実した1年は振り返って「今年はいろんなことがあって、たった1年の出来事だとは思えないな」と感じる。

コレといった想い出のない1年は、「この1年何してたんだろってくらいあっという間に過ぎ去ったな」と感じる。

つまり。

楽しい時間は、過ごしている最中は一瞬なのに、振り返ってみると長く感じる。

つまらない時間は、過ごしている最中は長く感じるのに、振り返ってみると一瞬に感じる。

私たちは、そんな"時間感覚"を持っているのだそうです。

おもしろいですよね。

この時間感覚を踏まえたうえで、2種類の"楽しい"をもう一度思い出してみると。

きっと、将来「充実してたな」と感じられる"楽しい"時間は、2つ目の深い"楽しい"なのだと思います。

刹那的な、消耗的な"楽しい"ではなく、何かをやり遂げた"楽しい"。あるいは、必死でくらいついている最中の"楽しい"。

こんな"楽しい"こそ、充実した時間をたくさん過ごせたと感じさせてくれる"楽しい"なのでしょう。

そんな"楽しい"を、たくさん感じられるように生活したいな、と思ったりします。

消耗的な"楽しい"

一方で。

友達と意味もなくバカ騒ぎしたり、家族とひたすら対戦ゲームをしたり。そんな刹那的な"楽しい"も、やっぱり楽しいんだよなぁと思ってしまう自分がいます。

深くて充実した"楽しい"に没頭にできる人生は、本当に素晴らしいと思う。
大谷翔平さんが野球にひたすらのめり込むように、藤井聡太さんが将棋に人生をかけるように。

そんな深い"楽しい"に満ちた人生に、心底憧れます。

でも、残念ながら私はそんなに立派な人間じゃないらしく、油断するとすぐに刹那的で消耗的な"楽しい"におぼれてしまいます。

多くの人が、そうじゃないかと思います。

それはそれで、受け入れてもいいのかもしれません。

人生をかけて追及したい"楽しい"を見つけられたら最高だし、そこまででなくても、いつも何かに熱中して、熱狂できたら最高です。

でもときには、「バカなことしてたな」と思うような、未来に特に何もつながらなそうな"しょうもない楽しい"に、どっぷり浸ってもいいのかなと思ったりします。

深い"楽しい"を楽しむ

刹那的で消耗的な、特に将来につながらない"楽しい"。
人生を豊かにする、努力の先にある深い"楽しい"。

どちらも楽しいけれど、やっぱり「よりよく生きる」ためには、深い"楽しい"を追求していたいと思います。

手軽に楽しめるショート動画に時間を溶かしたり、今日何をしてたんだっけ?と記憶喪失に陥るような中身のない毎日を過ごしたり。

それはやっぱり、ちょっと虚しいなぁと思ってしまう。

私の今の生活は、どっちかというと残念ながら手軽な"楽しい"が優勢な気がします。

いろいろやってはみているものの、あのステージで歌っているときに感じたような、フルマラソンのゴールラインを超えた瞬間のような、そんな"楽しい"は、今の生活にほとんどありません。

1つの仕事を終えても、「よし、これで今月の売上目標達成かな」という、乾いた達成感ばかり。

なんか、違うんだよなぁ、と。

その証拠に、カナダに引っ越してきたあの日の出来事はすごく充実して、長い1日だったように思うのに、ここ最近の毎日は、ほぼ記憶喪失です。特に私の人生に、何も残していません。

異国の地でなんとか生きているだけでも、すごいことかもしれない。最初のころは、すごく充実していました。

でも、すっかりこの地での毎日に慣れた今、私の生活にある"楽しい"は、もはや刹那的なものばかり。

これが、最近感じる虚無感の正体で、だからこそ最近やたらと先輩の言葉を思い出すんだと思います。

"楽しい"って何だろう。

みなさんの人生を彩る、本当の"楽しい"って何ですか?

私は定期的にこの沼にハマっているように感じます。

もうちょっともがきつつ、私が感じたい"楽しい"って何なのか、向き合っていこうと思います。


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