"楽しい"は2種類ある。刹那的な"楽しい"と、人生を彩る"楽しい"と。
こんにちは、さやです。
最近しきりに思い出す言葉があります。
それは、「楽しいは2種類ある」という大学時代の先輩の言葉。
みなさんは、"楽しい"に種類があるなんて考えたこと、ありますか?
そう感じることがあれば、もしかしたら、一方の"楽しい"が欠けているのかもしれません。
2つの"楽しい"
その言葉を投げかけてくれたのは、大学の合唱団の先輩。
ぱっと見は「筋肉は裏切らない!」って感じの体育会系お兄さんなのですが、実際はピアノと声楽を愛する音楽男子。
迫力のあるテノールが印象的な、熱い熱い先輩でした。
当時1年生でサークルに入団したばかりの私たちは、田舎の施設で歌合宿に参加。夜の練習が終わって就寝時間が迫るころ、暗い廊下で数人が集まって雑談していました。
そこに現れたマックス先輩。
「歌は楽しいだろ」と後輩たちにあれこれと言葉を投げかけてくれた後、こんな話をしてくれました。
そんなことを、しんみり話してくれたマックス先輩。
彼は、本当に努力の人です。妥協を知らない熱血の人。
まだ合唱を始めたばかりで、とにかくみんなで集まって歌ってれば楽しい、という段階だった私にとって、それってどんな感じだろう、と不思議でした。
なんとなく、努力した先により良い結果があって、それを得た瞬間の達成感みたいなものはわかる気がします。
でもその一段深い"楽しい"を味わえる音楽ってどんなものだろう?
そう思ったのを覚えています。
努力の先見つかる"楽しい"
そんな深い"楽しい"を、私もやっと感じられたと思った瞬間が何度かあります。
初心者が多いにもかかわらず、毎年全国大会まで出場していた私たちの合唱団。やっぱり練習量はそれなりに多かったし、数名の指導的存在がグイグイと団を引っ張ってくれたこと、有名な顧問がいてくださったことで、少しずつでもみんな歌が上達していきました。
100名近い団員がいて、音楽の経験もレベルもバラバラ。そんな中でみんなが本当に納得のできる音楽を作るのは、やっぱり簡単なことではありません。
でも。
大きな舞台に立って、明るい照明に照らされて。
1音1音、発声や発音や、いろんなことに意識を集中させつつも、全体としての音楽を意識して。1つになった音楽を、ホールの隅々まで響き渡らせる。
すごく貴重な経験だったと思います。
演奏している最中は、緊張しかないときもあれば、なぜだかすごく力が抜けて、"楽しい"と感じるときもある。
これが多分、先輩が言ってた"楽しい"なんだな。
そう感じることができたのは、本当に素晴らしい体験だったと思います。
これは、仲の良い友達と徹夜で楽しんだカラオケの"楽しい"とは、全然違う感覚。
それはそれですごく楽しいのだけど。
でも人生において、この2つ目の"深い楽しい"を経験できたのは、本当に良かったと思います。
そんな瞬間には、本当に深い"楽しい"を感じました。
いずれも簡単じゃなくて、しんどいし、大変だし、できるかどうかわからない不安もあるけど。
でも、過ぎ去ってから振り返ると、本当に良い経験だったと、今でも嬉しく思うことばかりです。
そんな"楽しい"は、きっと人生を豊かにしてくれるのだろうと思います。
時間の感じ方
少し話が逸れますが。
人間は「楽しい時間ほどあっという間に感じる」と言いますよね。仲の良い友達と飲み明かしていると、2時間3時間なんてあっという間に過ぎていくように。
一方で、つまらない時間はものすごく長く感じる。全然興味のない授業をひたすら聞くしかない90分の授業は、永遠のように長く感じます。
でも、それはその時間を過ごしている最中の感覚です。
これは、感覚的にわかると思います。
充実した1年は振り返って「今年はいろんなことがあって、たった1年の出来事だとは思えないな」と感じる。
コレといった想い出のない1年は、「この1年何してたんだろってくらいあっという間に過ぎ去ったな」と感じる。
つまり。
私たちは、そんな"時間感覚"を持っているのだそうです。
おもしろいですよね。
この時間感覚を踏まえたうえで、2種類の"楽しい"をもう一度思い出してみると。
刹那的な、消耗的な"楽しい"ではなく、何かをやり遂げた"楽しい"。あるいは、必死でくらいついている最中の"楽しい"。
こんな"楽しい"こそ、充実した時間をたくさん過ごせたと感じさせてくれる"楽しい"なのでしょう。
そんな"楽しい"を、たくさん感じられるように生活したいな、と思ったりします。
消耗的な"楽しい"
一方で。
友達と意味もなくバカ騒ぎしたり、家族とひたすら対戦ゲームをしたり。そんな刹那的な"楽しい"も、やっぱり楽しいんだよなぁと思ってしまう自分がいます。
深くて充実した"楽しい"に没頭にできる人生は、本当に素晴らしいと思う。
大谷翔平さんが野球にひたすらのめり込むように、藤井聡太さんが将棋に人生をかけるように。
そんな深い"楽しい"に満ちた人生に、心底憧れます。
でも、残念ながら私はそんなに立派な人間じゃないらしく、油断するとすぐに刹那的で消耗的な"楽しい"におぼれてしまいます。
多くの人が、そうじゃないかと思います。
それはそれで、受け入れてもいいのかもしれません。
人生をかけて追及したい"楽しい"を見つけられたら最高だし、そこまででなくても、いつも何かに熱中して、熱狂できたら最高です。
でもときには、「バカなことしてたな」と思うような、未来に特に何もつながらなそうな"しょうもない楽しい"に、どっぷり浸ってもいいのかなと思ったりします。
深い"楽しい"を楽しむ
どちらも楽しいけれど、やっぱり「よりよく生きる」ためには、深い"楽しい"を追求していたいと思います。
手軽に楽しめるショート動画に時間を溶かしたり、今日何をしてたんだっけ?と記憶喪失に陥るような中身のない毎日を過ごしたり。
それはやっぱり、ちょっと虚しいなぁと思ってしまう。
私の今の生活は、どっちかというと残念ながら手軽な"楽しい"が優勢な気がします。
1つの仕事を終えても、「よし、これで今月の売上目標達成かな」という、乾いた達成感ばかり。
なんか、違うんだよなぁ、と。
異国の地でなんとか生きているだけでも、すごいことかもしれない。最初のころは、すごく充実していました。
でも、すっかりこの地での毎日に慣れた今、私の生活にある"楽しい"は、もはや刹那的なものばかり。
これが、最近感じる虚無感の正体で、だからこそ最近やたらと先輩の言葉を思い出すんだと思います。
"楽しい"って何だろう。
みなさんの人生を彩る、本当の"楽しい"って何ですか?
私は定期的にこの沼にハマっているように感じます。
もうちょっともがきつつ、私が感じたい"楽しい"って何なのか、向き合っていこうと思います。
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