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子どもが「こわい」と思う本は避けるべきなのか?

本の1ページに住み着いてしまうタイプの人もいる

こわい本は、好きですか?
おばけ、怪談、暴力的な表現、事件、死に関すること・・・
「こわい」の種類もいろいろです。

本は創作の世界と思ってはいても、
こわい本を読むと、その内容を忘れたくても忘れられず、
心にくすぶってしまうこともあるかもしれません。
「本はあくまでも創作の中にすぎない」
と割り切れるタイプと、
「本の1ページに住み着いてしまう」
タイプ、の大きく2種類の人間がいると思います。

私は後者のタイプで、
こわいエピソードが何年たっても頭の中でこだますることがあります。
たとえば、
・保険詐欺のホラー『黒い家』(貴志祐介著)で登場人物が執拗に追われるシーン
・ノモンハン事件を扱った『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹著)の壮絶なリンチ
など、こうして言葉にすると、1度しか目にしていない文字から想像した情景が更に脳内にインプットされるような気がします。
できるだけ言語化しないようにすべきなのかもしれませんが、
そうしたところで、頭の中から消えてくれるわけではありません。

こわい本を読んだときに
「本の1ページに住み着いてしまう」
タイプの人は、
アウトプットしたり、話したり、他の人の感じ方を聴いたりする中で、少しずつ意味を消化していくしかないのでは、と感じます。

子どもはこわい話をどう感じているか

小学生に本の読み聞かせをする機会があり、
その中で私が選んだ本の一部が「こわい」と思う子どもがいるかもしれないと感じたことがあったので、
子どもに対しても「こわい」話は避けるべきなのか?
考えてみたいと思います。

私がえらんだのはこちら。
『しらすどん』(最勝寺朋子著)です。

私は、この本が、とても好きです。
表紙のしらすどんの中に埋もれて寝ている主人公のりょうくんが、
しらすどんのしらすを食べ残すと、しらすが突然、
「自分がしらすだったら、って考えたことある?」
問いかけ、りょうくんはしらすになってしまいます。
残飯となったしらすがその後どうなるか・・・?
すべてのページがとても美しいタッチの絵で描かれており、
読後感としては「不思議な日常の静けさ」といったところです。
しらすとして生きてみることを追体験することで、
たくさんの想像や心の学びがある
、と思います。
ただ、読んだ後に感想を聞いてみると、お子さんの性格によっては、想像がふくらんでその追体験を「こわい」と感じる子もいるようです。

では、「こわい」と感じさせる表現を含む本を子どもに触れさせるべきではないのか?
私は、そうは思いません。
程度の問題もあるので、残虐すぎるものは子どもの性格を見てフィルターをかけることも必要なこともあります。
けれども、
想像の世界でこわい疑似体験をすることで、現実ではしてはいけないことをしないと決心したり、いずれ誰にも訪れる生命の死に関することであればぼんやりとした輪郭であっても覚悟が芽生えたりする
きっかけになるのではと思います。

書店を見ると、最近は明るく楽しい本の割合が多いような印象がします。
日本の昔話はやんわり教訓めいたものにとどまりますが、
「さるかにがっせん」のようななかなか暴力的なものもあります。
海外ではグリム童話はひどい話のオンパレードにも見えますし、
ナーサリーライム(イギリスのわらべうた)はナンセンスすぎます。
それでもそのひどいエピソードやナンセンスをさらりと笑いにすら変えてしまうんですよね。
悪い話は想像の世界だけに閉じ込めて、逆説的に楽しんでのりこえるたくましい精神を持っていたいものです。

それでもゆかいな話でおわりたい

もう一冊の読み聞かせ本は、
3冊の中から子どもたちに選んでもらいました。
『ふしぎなおきゃく』(肥田美代子作)。
お客さんでいっぱいのラーメン屋「とんちん軒」に
ある日ふしぎなお客がやってきて・・・
表紙のラーメンをすすっているふしぎなお客、
手が太くてふわふわしてますね。
さてさて、このお客は誰で何をしにきたのか?
こちらは楽しいなぞ解きです。
展開のみえないゆかいなお話に集中する子どもたち。
ふしぎなこわさを含む本も悪くないけど、
ゆかいな話はやっぱり楽しい。
にこにこで終わってよかった。

一冊だけでなく、
複数の本をつなげてみると、
いろんな感情に出会うことができます。
最初から「これとこれ」と決めなくても、
たまたま手に取った本、
選んでもらった本、
偶然から見えるもののほうがおもしろいものです。
本を声にだして読みあう時間を楽しみましょう。


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