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直感を鍛えて人生は変わり始めた

簡単に言うと私の描くときのアプローチは右脳型(直感型)なんだと思う。


昔、本当に何やってもうまく行かない時があって人生に絶望した時

「あ、たぶん今までのやり方じゃもうだめなんだな」

とふいに悟った。
それまでの私は左脳優位で、過去の経験や記憶から判断して生きてたわけだけど、これ、よく考えればたった一人のたかだか十数年の経験だけですべて解決できると思ったら、そりゃそれこそおかしいでしょw
という結論に至った。

その時、今までのやり方と明確に変えようと思って、直感を鍛える訓練を始めた。
最初は、コンビニで食事を買う時に何を買うかを毎回直感で選ぶことにした。
これは、どれを選んでも別に失敗ではないのだけど、
どれを選んでもいいのに、なぜか気になるものがある…その微差の感覚を察知する能力を鍛えていたという感じ。
当時はコンビニ食ばかりだったので(現在はほとんど自炊でコンビニは滅多に行かなくなった)コンビニばかり行っていたが、直感を鍛えていたらコンビニのくじ引きが9割方当たるようになった。
それまではくじ運はまるでなくて当たるほうが珍しいくらいだったけど、それがいきなり9割当たるようになった。
ひょっとしてみんなそうなのか?と思って当時の職場の人たちに聞いてみたら、同じように当たるという人とほとんど当たらないという人、両方いたので、みんながみんな当たるってわけじゃないんだな、と思った。
その後も、何かを選ぶときに直感で選ぶことをよくやるようになった。というかそれがデフォになった。
でも宝くじとかは当たったことがないw
買う時に、自分に当たるよりも本当に困ってる人に当たってほしいとかいろいろ考えてしまうので、ぜんぜん集中できなくて勘が働かない。
だから私が勘が働く時というのは人から奪わない場合の範囲のみになる。

今考えると、この左脳優位の状態って生成えーあいみたいだなと思う
左脳はインプットした情報を整理し解析し答えを出す。
でも右脳は感覚・直感・閃きだと思う。
今までの記憶や過去に存在しないような事が閃くのは右脳のおかげなんだろう。
生成えーあいには右脳がないが、人間にはこの右脳がある。

私が直感を鍛えるようになってからはだんだんと人生の行き詰まり状態は解消されていった。
すぐにうまく行くようになったわけではないけど、確実に変化していった。
以前うまく行かなかったのは、左脳優位になっていて
左脳が王様で右脳が家来みたいになってたからかもしれない。
今は右脳が王様で左脳は家来になってる。

この前、ネドじゅんさんの動画を見て、この左脳と右脳の使い方について、「あ、やっぱりそうなんだ」と答え合わせできたような感じがしてスッキリした。

本来の自分の存在はもっと自由なはずなんだけど
左脳が持つ観念、思い込み、先入観にグルグルに縛られてしまい不自由になってしまってるという感じだった。
左脳が持つ観念とか先入観が、勝手に自分の事を限定してしまっていて、本来の自分より小さくしてしまってるような。
だから考えるのをやめて左脳を使わないようにすると、本来のひらめきとか働くようになる。
ひらめきは過去や経験以外のところにある答えも引き出して来てくれる。
それは本来、備わっていた能力なのかもしれないけど、大人になり物事の分別とか固定観念が備わってしまうと、その囲いをはみ出すことができないから、それ以上の能力が自分にあるとは気づけない。
まさにサーカスの象理論
https://www.town.meiwa.gunma.jp/material/files/group/3/chouchoucoramu82.pdf
にはまってしまって抜け出せなくなっている。

私もこれに気づき、自分の自分に対するイメージや固定観念をひとつひとつ洗い出し変えていった。
子供の頃は誰であっても無力感を感じていることがある。
でもそれは子供の頃の話であって、大人になった現在の自分はもっと強くなっているはずだ。
でも自分の中にある子供の頃の弱い自分のイメージが気づかずにずっと残っていると、そのころの弱さをずっと引きずって、本当の自分の強さを発揮できないという事がある。
そこに気づいて、自分の中の自己イメージや観念を落としていく。
実はこの自分の中の自己イメージが現状の自分を作り、世界はその自分を映しているだけだったと気づく。
思い込みが自分と世界を作っているならその思い込みに気づいて変えれば自分も世界も変わってく。

昔、自分の中には
「世界は他人は冷たいとか薄情だ」とか
「自分には愛される価値がないとか」とか
そういう観念があったから、その観念の通りの事が実際にも起きていた。
その頃は生きるのがとてもつらかった。
今は「世界は自分にやさしい」「自分は愛される価値がある」という観念を持ってるので、以前と同じようになにか嫌なことが起きても、そこから優しい部分を見つけたり、実際に人に助けられることも多くなった。
出来事の解釈が以前とはだいぶ変わっていると思う。
世界は自分の信じている信念の通りに見えるようになっている。

世間が冷たい、自分には価値がないと思ってた以前は
たとえ手を差し伸べてくれる人がいても、
「どうせ上辺だけでしょ」と思ってしまっていたり
人に好意を持たれても、
「本当の自分を知ったらきっとこの人も去っていく」と思ってたりして
人の好意を受け入れられてなかったと思う。
人から良くしてもらったとしても、今のように素直に喜べなかった。

人の好意を素直に受け取れないと、そのぎこちなさは相手にも伝わる。
だから本当にすぐに人と縁が切れてしまう。
人との縁を大切につなげていくことができない。
でもそれがその当時の自分にとっては当たり前だと思ってたから、
そのことに気づくこともできなかった。



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