ぬくもり

「普通の幸せなんて手に入らないんだ」
20歳のとき、そう覚悟して、お風呂場で泣いたっけ。

中学の頃、股関節が悪いから出産できないかもね、って日赤のお医者さんに言われたときから、諦めていた。
父も母も、互いに互いの悪口をわたしに吹き込む日々で、わたしたち子どもがいるから離婚しないだけなんだろうなって思っていたから、夢見たこともなかった。

「あんたなんて産むんじゃなかった」
うん、わたしも産んでほしくなかったよ。死ぬことがせめてもの親孝行なんじゃないか、って考えていたよ。

生きているのがひたすらに辛くて、大人になるまで耐えられずに死んじゃうんじゃないかって思っていた。

でも、死ぬことができなかった。キリスト教の家庭で、自殺すると地獄に落ちると教えられたからだ。地獄に落ちるのが怖かった。失敗して、植物状態になるのも嫌だった。生きる価値のない、迷惑を掛けるだけの存在に成り下がるのが。

23歳のとき、失踪した。
警察に保護されて家に帰ったとき母に抱きしめられ、「よかった」と言われて初めて、わたしは愛されていたのかもしれない、と思った。

精神科の閉鎖病棟に入院した。
母は、「また仕事をできるようになりますか」と訊いたらしい。そうと思えない状態だったからだろう。

入院している最中、突然、手足の自由が利かなくなった。食事することも、排泄することも、ひとりではできなくなった。このまま植物状態になるんだ、罰だ、煉獄にいるんだと思った。一番なりたくなかった姿になってしまうのだと。

「神様のところへ行きたい」
なかなか思い通りに動かない口で看護師さんに訴えた。
「神様も、家族も、こんなときに頼りにされなかったら、寂しいと思うよ」
そんな感じのことを、看護師さんは言ってくれた。

だから、神様を感じようとした。
胸の奥があったかくなって、ああ、一生このままでも大丈夫、と思った。
途端に、少しずつからだが動くようになった。

からだの自由が戻ってからも暫く入院していて、わたしは詩を書いていた。書きあがったものを友人に見せていた。

「3つ、詩をちょうだい」
ある日唐突にそう言われて、迷ったけれど、わたしは詩をあげた。よく書けたと思っていたものを3つ。自分の元には残さずに。

好きな人と会うために必要なことだ、と思い込んでいた。
才能よりも愛を選んだ、優先順位が変わった瞬間だった。
退院しても、結局、会えなかったけれど。

実家でゆっくりしている間に、結婚相手を探そうと思った。
好きな人を忘れるために。そして、病気を抱えてなんにもできないでいる今のわたしをいいと言ってくれる人なら、一生一緒にいられるかもしれないと思ったから。

最近流行りのマッチングアプリに登録した。
クリスマスイブに、恋人ができた。

彼の両親は離婚していたから、彼も結婚に夢見てはいなかった。
プロポーズされる前に、離婚したあとの金銭のことまで話し合った。

そういえば、付き合い始めたばかりの頃、彼は大学生で、大学の図書館でプレゼンされたっけ。わたしと一緒に幸せを目指したい、とかなんとか。
「別に不幸になってもいいんだよね」
わたしがそう言ったので、彼はとても驚いていた。
今はそう思っていないけれど。付き合ううちに変わっていったんだ。

ずっと一緒だよ、なんて言えない、と言われたこともあったなぁ。ずっと一緒にいたい、とは言えるけどって。妙なところで正直者だなぁ、って思った。冗談みたいなセリフばっかり言ってるのにね。

言い合いのケンカはしたことないけれど、気まずくなることは何度かあって、時間を置いて気持ちを整理して伝えるようにしていた。それが、関係を育てるために必要な努力だと思って。

そのうち、プロポーズされた。互いにクリスチャンだったので本物の教会で結婚式を挙げることになり、結婚講座というものに何度か参加した。でも誓いの言葉はただ丸暗記しただけで、式の本番でさえ、決意や感情を込めて言うことはできなかった。結婚したあと年数を重ねるうちに少しずつ実感していくものなのかもしれない、と思った。

「愛してる」という言葉にも、未だにイマイチ感情が入らない。日常的に使うには、嘘っぽい気がする。だから「好き」と伝えている。

つい先日、カラオケへ2人で行った。そのとき1番歌われている曲だからって、「君の運命のヒトは僕じゃない~♪」と何度も連呼され、相手がいないのに嫉妬してしまった。抱き枕が欲しい、という発言にも嫉妬してしまう。私自身は眠るときに抱き付かれるの好きじゃないのに。なんなんだ。

この気持ちは、少しずつ、深くなっていく。
「失うために大切にするのかもしれない」って話をしたね。どれだけ悲しいんだろう、苦しいんだろうって思うよ。泣き虫だから。なのにとてもありふれた出来事なんだよね、みんなすごいなぁ。

でもね、20歳のときの涙よりは、たぶん、ずっと。

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