舞台と舞台裏はひっくり返る

命懸けで舞台に立っていた。スポットライトを浴びるとき、わたしは真に生きていた。死んだような日々のなかそれは確かな悦びだった。恍惚、陶酔、歓喜。いいようもないエクスタシーがそこにはあった。

舞台裏は劇より劇的だった。刺激に満ち、そのために負荷が大きく、死の一歩手前ということもあった。死んでもよかった。舞台で死ねるなら本望だった。けれど死ぬことはできなかった。その代わりに一生モノの傷を負った。

悲しかった。苦しかった。辛かった。けれどその後に、生きる喜びを知った。幸せを教えてもらった。

その幸せにヒビが入った。理由は書けないけれど、一度筆を折った後、再び筆をとることとなった。

窮地に何度か立たされたためか、役者をやっていたためか、わたしは変わり身が早い方らしい。1番大切なもの以外すべてを捨てられるし、いざとなれば、その1番大切なものも手放せる。だからなのか、わたしの近くにいると振り回されるらしい。わたしの感覚としては、振り回されているのはわたしなのだけれども、それが周りのひとを巻き込んでしまうらしい。ジェットコースターみたいな人生だ。

話は変わるけれど、完成しない作品というものがある。筆を折ってしまう作家がいる。なぜそうなってしまうのか、その理由は少しだけわかるつもりだ。あそこまで書いてしまったら書けなくなっても仕方ない、と感じるようになったから、完成しないことをこそ愛したい。

人生を愛でたい。そのために書くのだろうし演じるのだろうし、それは人生を肯定することだ。わたしのものだけじゃなく。祈りと呪いの二重螺旋、それがわたしにとっての書くこと演じること。胸を張って生きていく、ときに縮こまりながら。肩で切って歩いていく、ときに這いつくばりながら。

どこへもゆけなかったころ、あれは、楽園だったかもしれない。

振り返っていい。
振り切ってゆけ。

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