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終わることのない歌が

弱い心を救ってくれた

私は、人間関係を築くのが極端に下手だ。
簡単に人を信じてしまうし、簡単に人を好きになってしまう。
無駄に正義感は強くて、世間的に正しくないとされることをしている人は大嫌いだ。
そして寂しがりで、友達が私の知らない子と話しているとすぐに嫉妬してしまう。
自分が大好きな人達には、ずっとそばに居てほしい。離れていかないでほしい。ひとりぼっちなら、どこにも居場所がないと感じる。
嫌われたくなくて、皆に好いてもらいたくて、皆のやりたがらないような仕事は真っ先に引き受けた。頼ってもらえるのは信頼してくれている証拠だと思って、当番を代わったりもした。
ただ、見返りを求めてしまうことがある。
私はこんなにあなたが好きで色々しているのに、あなたは私に何も思わないの?と思ってしまう。
面倒臭い性格だな、と自分でも思う。

ラストソングを聴いた時、ずっともやもやしていた心が一気に軽くなったような感覚がした。
『この歌が終わる頃君の中にいれるかい?』
この曲は、聴いた人の弱い心に寄り添ってくれるのだと思った。
『帰れなくても 壊れそうでも
君の場所はここにある』
気が付いたら涙が出ていた。
曲の中に居場所をつくる、というのはおかしな表現かもしれないけれど、この曲を聴いている間は、自分の居場所があるということを実感出来る気がした。
『ひとと比べることも 争いもやめにした』
小さい頃から、周りと自分を比べる癖があった。高校の友達は、勉強が得意だったり、音楽の才能に長けていたり、絵が上手だったり、コミュニケーション能力が高かったり。
それに比べて自分は何をしても、どれだけ頑張っても中途半端で、私とあの子の違いは何なのか、何故あの子には出来るのに私はできないのか、ということをよく考えた。(友達、見ていたらごめん!悪口を言ってる訳ではないです!!!皆尊敬してる!大好きです!!!)
そっか、別に比べる必要はないのか。この歌詞を見て、そんな気持ちになった。自分では気付いていないだけで、周りから見たら良いと思われる何かが、私にもあるのかもしれないと思った。
『何も無くても
君がいるならこの世界は美しい』
私には、特技と呼べるものは何も無い。絵は描けないし、勉強も運動も苦手だ。人と話すのが苦手だから、友達は少ない。私の生きている価値はあるのだろうかと思うこともある。
それでも、憧れているひとたちが、優しい詩を歌って、綺麗な音を奏でているなら、
インナージャーニーのメンバー全員が曲に込めた、ひとりひとりの想いを受け取る存在として、自分はここに居ても良いのではないか、と思った。
『たどりついたよ
ほしがふるころ そのくらやみで
きみのためにあるひかり』
ラストソングはきっといつまでも、私の心の中で私を照らしていて、疲れた頃に支えてくれる。見捨てることなく、ずっとそばにいてくれる。

インナージャーニーに出逢えてよかった。

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ここからは、上手く言葉に出来なかったけど、ここが好きだよってところを書いていきます。

○ひらがな

特に印象的だったひらがなを漢字表記にして比べてみた。

かわいい少女
可愛い少女

ひとと比べる
人と比べる

神さまのたからもの
神様の宝物

たどりついたよ
ほしがふるころ そのくらやみで
きみのためにあるひかり
辿り着いたよ
星が降る頃 その暗闇(暗やみ)で
君のためにある光

ひらがなには独特の柔らかさがあって、ここからサラちゃんの優しい気持ちが伝わってくる。

○琥珀色したかわいい少女のお気に入り

琥珀色、という色を調べてみた。

琥珀色:琥珀のような半透明の黄色、または、黄褐色。

暖かみのある色。かわいい少女に良く似合う。

琥珀という宝石のことも調べてみた。

綺麗なオレンジ色を含んだ半透明の石が出てきて、あることを思い出した。

幼稚園生〜小学校低学年の頃、観光地のお土産屋で祖父におねだりして宝石すくいをしたことが何度かあった。
コップ一杯分の綺麗な色とりどりの石の中に、確か、琥珀色の石もあったような気がする。
私がずっと気に入っていたのは深い紫色と黒が混ざった石で、本棚の一番よく見えるところに飾っていた。今も「だいじばこ」の中に、大切に仕舞ってある。
2年くらい前??のサラちゃんのツイートで、手紙に同封されていた綺麗な石の写真があったのも思い出して、歌詞の中の少女も、琥珀色した石をお気に入りとして持っていたのかな、なんて。



余談、というか思い出話

かなり長くなるので、そんなの求めてない!という方はここでおしまいにしてください。多分、何が言いたいの?ってなる気がするので。
インナージャーニーに出会うまでの、出会ってからの、話。
本当に時間があって、私に興味を持ってくれる人がいたら、読んでみて欲しいです。暗めだから、そこだけ注意してください。



小さい頃から、自分の気持ちを言葉にするのが苦手だった。
姉妹喧嘩をしても言い負かされてばかりで、自分の思っていることは殆ど伝えられなかった。
そのせいで、小学校では色んな誤解をされて、沢山傷つけられて、嫌な思いをした。
高学年になってやっと、自分の気持ちを伝えられるともだち(Aとしておきます)が出来た。隣の地域から転校してきたその子は通学路が一緒で仲良くなった。時々喧嘩もしたけど、沢山お互いの思いをぶつけ合えた。
小学6年生の夏、家の都合で海外に行っていた友達(Bとしておきます)が日本に帰ってきて、私たちは3人で遊ぶようになった。
AとBは同じクラスで、私だけが別のクラスだった。AとBは2人だけで遊ぶことも多くなって、何だか取り残されてしまった気分になった。Aと一番仲が良いのは私のはずなのに。Bと一番仲が良いのは私のはずなのに。
中学生になってAが引っ越してしまい、Bとも遊ぶことは少なくなった。
中学3年生になって、塾では受験対策が始まった。
勉強は周りに比べれば得意な方だったけど、実技科目が苦手なせいで内申点は低くて、希望していた高校はいつもC判定だった。おまけに社会科も苦手で、英語の偏差値は75なのに社会は36というかなり偏った結果を模試で出したこともある。
丁度その頃にネットニュースでカモシタサラバンドのことを知った。歌声や歌詞、曲調に惹き込まれてすぐに好きになった。そこから少しして、インナージャーニーに名前が変わって、本格始動しだした4人を見て、自分も頑張ろうと思った。
1月になって、合格実績の欲しい室長先生に「ランクを下げなさい」と言われて、その頃にはメンタルがボロボロで、泣きながら、S判定だった第3志望に変えた。この気持ちを全て楽しいことに変えてやるんだと、受験が終わったら絶対にインナージャーニーのライブに行こう、と決めた。

高校に入学する少し前からコロナが流行り始めて、学校も、ライブも行けなくなった。クリームソーダが配信開始されて、初めて自分のお金で曲を買った。歌つなぎのリレーでサラちゃんが今宵を歌って、まだ15歳だった私は17歳になるのが楽しみになった。
やっと学校が始まって、ちゃんとした高校生になった。仲の良いともだちが出来て、それぞれ別の友人を通して他の子と仲良くなって、気がついたら8人グループになっていた。
8人で話をするのは大変で、気が付いたら頭の上で違う話が飛び交っているし、今何の話してたっけ?ってなることも多かった。でもそれが楽しいと思っていることの方が多かった。
夏休みに入って、野川沿いをクリームソーダを歌いながら自転車に乗って部活に行った。誰もいない道で好きな曲を歌いながら自転車を漕ぐのはとても楽しかった。
夏休みが終わって、そろそろ遊びに行ってもいいんじゃないかという話になった。皆が遊びの話で盛り上がる中、私はそれをそばで見ていることしか出来なかった。元々体調を崩しやすい体質であることや、基礎疾患をもつ祖父に移してしまう可能性を考え、コロナにかからないように、遊びに行くのは許して貰えなかった。
楽しんできてね、明日話聞かせて、
そんな言葉で友達を送り出す。
家に帰ってしばらくして、グループLINEに送られてくる楽しそうな皆が写っている写真を眺めて、1人で泣いた。
冬、1stEPが発売されて、毎日聴きながら学校に行った。いつか、会いにいけますようにと願いながら。
その頃、8人グループのうちの1人が他の子と仲良くするようになって、気付いたら7人で行動するようになっていた。
1番初めに仲良くなったのはその子だったから、少し寂しい気持ちだった。

2年生になって、部長になった。大好きだった顧問の先生は異動してしまったけれど、「部長はあなたに任せようと思ってた。生き物たちのことよろしくね」と言われて、絶対楽しくて良い部にしようと思った。
新入生が体験に来て、私が話をしようと思っていたことを、副部長が先に全部話してしまった。
5月、祖父が亡くなった。グッバイ来世でまた会おうを聴きながら、猫でも犬でも、何でもいいから帰ってきて欲しいと何度も思った。お葬式や告別式、中間試験と忙しかった為免疫が落ちてしまっていたのか、急性中耳炎になって5日ほど高熱で学校を休んだ。
その間に『部長』がすべきことは全て副部長がやっていて、復帰した頃には1年生と少し距離ができてしまって、副部長と楽しげに話す1年生の姿を見て、居づらさを感じた。
文化祭の話し合いになって、やってみたかったこと、今までの先輩たちがやってきたことを自分なりにまとめあげて、部員のみんなと新しい顧問の先生の前で話した。
私が提案したことは、全て副部長と、副部長と仲の良い部員にあれこれ理由をつけて拒否された。じゃあ何がしたいの?と聞いても、誰も何も答えない。新しい顧問も、何も話さない。
前の顧問の先生に相談して、新しい案を出して、これを文化祭でやりたいとLINEに流した。生徒会室で仕事のなくなった間に役員の友達とトランプをしていたら電話が鳴った。
副部長からだった。出ると、ものすごく怒っていて、私の言うことは聞く耳も持たず、一方的に怒鳴られて電話は切れた。
そのうち、部活に行くのが苦しくなった。それでも部長の仕事はしなければならなくて、部長の集まりには参加した。集まりで先生から言われたことを部活のグループLINEに流す。既読はついても、返事は来ない。どうして、誰も返事をしないんだろう。顧問だってグループに入っているのに、どうして何も言ってくれないんだろう。
完全に、部活に行くのをやめた。くるしい。
音楽も、まともに聴けなくなった。
消えてしまおうかと思った。
2nd EPが発売された。勿論買ったし、曲も聴いたけど、優しい歌声を聴くと涙が止まらなくなるから、すぐにやめた。
2ヶ月くらい、インナージャーニーからも、他の趣味からも離れた。寂しかった。
12月、LINEで冬休みの当番を決めるようにアンケートを取ろうとした。期限は2週間。また、既読はついても返事はなし。
2週間経って期限を終えても、アンケートには誰からも投票されていなかった。
その日のうちにグループLINEから退会した。
絶対に辞めるという決心をした。
終業式の日、自作した退部届を持って顧問に出しに行った。
顧問は私の話を少しも聞いてくれなかったくせに、辞めようとした途端に歩み寄ってきた。いくら引き留めても、気持ちは変わらない。
結局その日中に辞めることは出来なかったけど、あまりの対応に耐えかねた母が学校に連絡して、正式に退部することが出来た。
久しぶりに、インナージャーニーの音楽を聴いた。優しくて、涙が出た。

高校3年生になって、やっと、ライブに行くことを許して貰えた。人生で初めてのライブは、Minner Journey。入金してからずっと楽しみに6/26を待っていた。
ついにその日がやってきて、サラちゃんの弾き語りから始まったライブは、心の底から楽しかった。初めてインナージャーニーの曲に生で触れて、1曲目から泣いていた。
終演後の物販で4人に手紙を渡して、気が付いたらサラちゃんに「ずっと元気でいてください」と言っていた。目の前から、消えないで欲しかったから。勝手なお願いをしてしまったけど、サラちゃんは笑って受け入れてくれた。
8月の文化祭準備期間からずっと生徒会室でインナージャーニーの話をした。大半の役員には、(またその話か)と呆れられていたと思う。
9月、1stアルバムが発売された。バックステージご招待当たるといいな、でも当たらないだろうな、と思いながら、願掛けのようにクリームソーダを飲んでからポストに応募ハガキを投函した。
当選メールが来たのは学校で休み時間中にともだちとお喋りしていた時。絶対に当たらないと思っていたから驚いてしまって、「落ち着いて!?落ち着いてるよ!!」と自己解決するおかしな行動を取っていたらしい。本当に覚えてないのが怖い。勢い余って座ってた友達に抱きついたのは覚えてる。
10/1、結成3周年のワンマンライブ。
ライブの途中で少し具合が悪くなってしまって、最後の4曲くらいは後ろの方で聴いていたけど、初めて『予感がしている』を生で聴けて嬉しかった。
バックステージでは、生徒会室で布教しまくったから、役員いつか連れてくるから!!という話をした。アホみたいな話なのに皆ちゃんと聞いてくれて、もっと布教してって頼まれて嬉しかった。4人に挟まれて撮った写真はデータが消えないように厳重に保存した。
大学受験の日は朝からインナージャーニーの曲を聴いて心を落ち着かせてた。いくら指定校推薦といっても、それなりに審査はされる訳で。高校が大好きだったから、もし私が失敗したら高校に迷惑がかかるな、っていうのがすごく不安だった。大学に着くギリギリまでイヤホンをつけてた。12月のライブは当たってたから、絶対に受かって最高な状態でインナージャーニーに会いにいくんだと意気込んで大学に入った。
合格発表が終わって、期末試験中だったけどインナージャーニーに会いにいけることが確定した。
Another Journey vol.2 大阪編。整理番号は3番。サラちゃんを目の前で観た。最強に楽しかったし、Kaitoくんと目が合って嬉しかった。次の日に試験を受けないといけなかったから、4曲目の終わりくらいで泣きながら途中退場。帰りの新幹線もずっと泣いてた。今もずっと後悔してる。最前で途中退場して本当にごめんなさい!!!!!!!!!
そんな訳で、新幹線内で勉強できる訳もなく、期末試験はボロボロに終わった。
名古屋編のチケット、会ったことのある人を仲介してその人の友人に譲ったけどお金が一向に振り込まれない。仲介人に聞いても、友達だから私が連絡する、の一点張り。
その後色々あり連絡が途絶える。色んな方法を調べたけど、取り戻すには時間も精神も削られるということしか分からなかった。高校の先生にも、「高い勉強料と思って諦めなさい」と言われた。ただ、「あなたの言ってることは絶対に間違ってないから、その正義だけは曲げちゃダメだよ」と言われたことで少し救われた。結局、諦めるような形になった。この時は本気で、相手の好きなバンドのライブ会場に乗り込んで、金返せ!!って言ってやろうかと思った。
インナージャーニーのことも、嫌いになってしまいそうだった。でも、音楽は何も関係ないし、好きなひとたちを、たった1人の最低な人間のせいで嫌いになりたくなかったから、少しだけ距離を置くことにして、気持ちを落ち着かせてからまた聴くようにした。
3月、卒業式の日。
音楽科の担任が私たちに言った。
「高校3年間で聴いた音楽は、5年後、10年後、20年後、街中で流れているのを聴いた時。何かのきっかけで耳に入った時。それを聴いていた教室の匂い、ともだちと話したこと、些細な思い出を蘇らせてくれる。」
私にとってはそれはインナージャーニーの音楽だと思う。そのくらい、高校生活はインナージャーニーの音楽を聴いて過ごしてきた。

ラストソングを聴いて、孤独や寂しさを感じていた過去のことも、救ってもらった気がした。
この生きづらい性格のせいで、沢山嫌な思いをしてきた。
それでも、インナージャーニーが好きという想いを持ち始めてから、楽しみが増えて、新しくお友だちもできた。
インナージャーニーを好きでいて良かった。
これからもずっと好きでいたい。
サラちゃんのことも、秀さんのことも、のしんさんのことも、Kaitoくんのことも、ずっと大好きでいよう。

4人が何か壁にぶつかって困ることがあっても、悩むことがあっても、音楽を通して救ってもらってきたことへの恩を返せるように、生きようと思う。



最後まで読んでくださった方がいるかは分からないけど、読んでくださってありがとうございました。
ずっと言葉に出来なくて、言葉にしたくて、書き始めたらものすごく長くなってしまった。。

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