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直ちに“感電”したい件 米津玄師 「死」から「生」への流れ


2020年6月24日♥26
 ああ、早く“感電”したいなぁ。
 コロナウイルス感染拡大防止のため放映が延期されていたドラマ『MIU404』が6月26日にやっと放映されることとなりました。必然的に「おあずけ」となっていた米津玄師さんの新曲“感電”も解禁となります。
 これは、ドラマ主題歌となるという発表前から思っていたことなのですが、今度の米津さんの新曲は生きることを「楽しむ」ことがテーマの曲になるのではないかな、ということです。
『MIU404』は星野源さんと綾野剛さんのバディ物で予告を見る限りはコメディタッチ。そして、『MIU404』の脚本を手掛ける野木亜紀子さんは“感電”について「軽やかで痛快で、少し切なく、いつまでも聴いていたいと思わせる、そんな楽曲です。」とコメントしています。ポップで「楽しげ」な曲になっているのは、間違いないと思います。
 では、なぜ私が生きることを「楽しむ」ことがテーマの曲になると思ったかというと、“Lemon”以降のシングルA面作品が「生の世界から死の世界へ、そして、また生の世界へ向かう」という流れがあると思ったからです。
 まずは“Lemon”から。
平成から令和へと元号をまたいでの大ヒットとなった“Lemon”は『MIU404』と同じく野木亜紀子さん脚本の『アンナチュラル』の主題歌でした。人の死がテーマのこのドラマは主題歌“Lemon”とともに多くの人の心に届きました。
 米津さんは“Lemon”制作中に実のおじい様を亡くされ、「バッと自分の脇腹に辺りに、目に見える形で、死というものがぶつかってきた」そして「あなたが死んで悲しいですということを、4分間ずっと言っているだけの曲になってしまった。」と、いずれも特別ネット番組『米津玄師 ■■■■■■■■と、Lemon。』の中で語っています。
 つまりは、生きている側から見た「死」、死の世界に旅立った、もう会うことが叶わない愛する人への悲しみを吐露した作品と言えます。
そして、その次に発売された両A面シングル“TEENAGE RIOT”と“Flamingo”。
 全く異なる雰囲気のこの2曲には歌詞に共通する言葉が一つだけあります。
 それは「地獄」。
 「地獄の奥底にタッチして走り出せ 今すぐに」“TEENAGE RIOT”
 「地獄の閻魔に申し入り あの子を見受けておくんなまし」“Flamingo”
 「地獄」はもちろん死者の世界。意外に思われる方がいるかもしれませんが、この2曲の共通項は「死」だと思います。
 サビの部分は米津さんが中学生の時にできていたという“TEENAGE RIOT”
これはTEENAGEつまり思春期のことをテーマにしていますが、思春期というのは、子どもの自分が「死」を迎える時期でもあるのです。日本でいうと「元服」 ―髪型、服を大人のものに改め、名前を幼名から実名に変える― 。他の国でも思春期に命を危険に晒すようなイニシエーション ―通過儀礼― を行うことが多いのは、自分の内部で「死」が起きるためでしょう。
 子どもである自分の「死」。
 それを最初のフレーズ「潮溜まりで野垂れ死ぬんだ」と表現しているのだと思います。そして「今サイコロ振るように 日々を生きて」、「元服」のように目に見える形での通過儀礼がない現代の思春期は「サイコロ振る」つまり何がでるかわからない博打のように生と死を行き来する、あやうい時期でもあるのです。
 その危うい時期を超えた時、子どもである自分が死に、新しい自分が生まれることを
「歌えるさ カスみたいな だけど確かな バースデイソング」
と最後のフレーズで歌っているのでしょう。

 “Flamingo“の歌詞に直接的には「死」はでてきません。
 ですが、MVには「死」が散りばめられているように感じられます。
 まず、MVの冒頭、地下駐車場らしき所に場違いな木が映し出されます。曲がって生えている木、そして手前には二本の柱。これを見た時、私は能舞台を連想しました。木は「鏡板」に描かれた老松、二本の柱は目付柱とワキ柱を模している気がします。
能の題材は、ほとんどが死者との対話です。そして、米津さんがいるのは地下駐車場。地下は死者のいる世界で、それを証明するかのようにMVの途中では地獄の亡者を思わせる人たちも登場します。そして、気だるげに踊る米津さんの姿は“Lemon”で愛する人が行ってしまった死者の世界へ赴き、戯れているようにも見えます。
 また、米津さんはなぜか片足を引きずっています。宗教学者の中沢新一さんの著書『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1)』からの受け売りなのですが、これは「生と死の仲介者」の意味を持つそうです。
  “TEENAGE RIOT”は、自分の内部で起こる、子どもである自分の死。
 “Flamingo”は“Lemon”で愛する人が行ってしまった死者の世界に出掛けて行っているという気がします。
 その後は“海の幽霊” 。
  米津さんが10代の頃、多大な影響を受けた五十嵐大介著『海獣の子供』の映画主題歌、それも自分から提供を申し出たという、米津さんにとっては、集大成のような曲でもありました。
「開け放たれた この部屋には誰もいない
潮風の匂い 滲みついた椅子がひとつ
あなたが迷わないように 空けておくよ
軋む戸を叩いて
なにから話せばいいのか わからなくなるかな」
冒頭のこの歌詞は、原作の『海獣の子供』1巻のエピソード、―先祖の霊が帰ってくる日に、海岸に椅子を置いておく。先祖たちは帰ってきた証拠にその椅子に何かを置いておく―を軸にして書いたと五十嵐大介さんとの対談で米津さんは語っています。
亡くなった人は、いなくなってしまうわけではなくどこかに存在していて、いつかまた会える。
  ここで描かれているのは、“Lemon”、“TEENAGE RIOT”、“Flamingo”で描かれた「生」と「死」の世界を超えてゆく、生の世界と死の世界は対立するものではなく、循環するもの、つまりは「輪廻転生」の世界です。
 生の世界と死の世界とは分断されず、亡くなった人―例えば親友のWOWAKAさんとも―、またいつか、どこかで会える。
 それが、曲の最後の「風薫る砂浜で また会いましょう」と謳いあげられているのでしょう。
最後に“馬と鹿”。
 ラグビーをテーマとしたドラマ『ノーサイド・ゲーム』の主題歌として書き下ろされたこの曲。
 「ラグビー」、「池井戸潤」、「日曜劇場」
 いい悪いではなく、今までの米津さんの世界とは真逆でラグビーのドラマの主題歌と知った時は意外に思った人が多いと思います。それもその筈で「足りないものをずっと補ってきた」(『ROCKIN’ON JAPAN』2019年10月号)米津さんが自分に足りないもの-「我を忘れて、ひとつのものに集中して没頭していくこと。どこかに到達するとかそういうことじゃなくって、ただひたすら我を忘れる瞬間を、ずっと待っていたというか……うん、ずっとそうやって、そういうものに恋い焦がれながら生きてきたんだろうなって、なんとなく思ったんですよね。」(『ROCKIN’ON JAPAN』2019年10月号)―を作品化したためでしょう。
「体の奥底で響く
 生き足りないと強く」
こんなプリミティブに”生きる”ことを歌った曲は、米津さんにはいままでになかったように思います。
 “Lemon”生きている側からの「死」→“TEENAGE RIOT”と“Flamingo”自分自身が「死」の世界へ→“海の幽霊”「輪廻転生」→“馬と鹿”「力強く生きる」
 米津さんが辿り着いた「力強く生きる」こと。ただ、「力強く生きる」ことは、それができる人間ばかりではないですし、ずっと、力強く生きていたら、息が切れてしまうだろうとも思うのです。
そんな時、私が思い出したのが
「楽しく生きていくというのが、いちばん大事なんじゃないですかね。」という子ども向けに放映された米津さんの『パプリカ』インタビューの言葉だ。
 いちばん大事なのは楽しむこと。
 次の“感電”はこれを踏まえて「生きることを楽しむ」ような曲になるのではないでしょうか。それは、コロナ禍のいまだからこそ、必要な曲となると予想します。当たるかどうかはわかりませんが。
ただ一つ確実なのは『感電』拡大することでしょう。

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