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181 金華山と長良川に育まれた町・岐阜を歩く

愛知県出身で岐阜県には何度も旅をしている私ですが、岐阜市に観光に来たのは40年ぶり。小学校のとき、そろばん塾の遠足で金華山に登って以来です。仕事では何度も来ているんですがね。

スタートは「みんなの森 ぎふメディアコスモス」

岐阜市役所に隣接する図書館「みんなの森 ぎふメディアコスモス」。ここに車を停めて岐阜の中心部を歩きます。

なお、今回参考にしたのは「月刊 旅色」。松本まりかさんが岐阜を旅した特集記事です。

岐阜県民の心に流れる「長良川」

少し歩けば長良川。川沿いに走る金華橋通りを上流方面に歩いていきます。長良川は郡上市に端を発し岐阜市内を流れて伊勢湾に流れ出る一級河川。ほぼ岐阜県内だけを流れる岐阜県民にとって思い入れの深い川です。なお、この対岸は「高橋尚子ロード」。岐阜市出身の高橋尚子さんが高校時代にトレーニングしていた区間を整備したランニングロードになっています。

長良川は四万十川(高知県)、柿田川(静岡県)と並ぶ日本三大清流の一つ。本流にダムがない大河川は本州ではここだけです。

正面に金華山、そして岐阜城が町を見下ろしています。長良川に金華山に岐阜城。岐阜市のシンボル的存在を一目で納めることができ満足。ああ、岐阜に来たんだなということを実感します。

岐阜の伝統を知ることができる川原町通り

25分ほど歩いてやってきたのは古い商家の並ぶ「川原町通り」。岐阜城の麓に位置し、長良川を使って運ばれてくる奥美濃の木材や美濃和紙といった特産品をここで陸揚げする湊がつくられたことから商家が居を構え、発展していきました。岐阜といえば鵜飼が有名ですが、鵜飼の船もここから発着するため観光ホテルもこの地域に多く建てられています。

地場の有力金融機関、十六銀行も街になじんでいます。

カフェ&雑貨店「川原町屋」の軒に掲げられているのは岐阜提灯。提灯は今も日本の夏に欠かせない伝統工芸品。長良川中流域で生産が盛んな美濃和紙と、地域で豊富に産出される竹を用いて質の高い提灯がつくられるようになりました。

この時期は販売が少ないようですが、雁皮紙と竹を組み合わせて作る水団扇も岐阜の特産品。紙と竹を組み合わせて工芸品を生み出す技術がこの地域ではぐくまれてきました。

岐阜の伝統工芸品はここにも。「長良川手しごと家CASA」は日本の生産量の過半を占める和傘の販売を行っています。化学繊維やビニールで安価で大量性生産できる洋傘が主流になっている昨今、和傘を作る職人の数も減ってきているといいます。こんなの一本持ってたらおしゃれだろうなぁ、と思いましたが、そのためには着物とか服装もそろえないといけないのでは?と思うと二の足を踏んでしまいます。松本まりかさんはこのお店の前で和傘を刺して写真を撮られていましたがすごく似合ってましたね。さすがまりか様。

今はシーズンオフ(通常は5月~10月開催)ですが、鵜飼船はここから乗船。残念ながら私は木曽川の鵜飼(下記写真・犬山市)しか行ったことはありませんが、鵜飼船で食事をとりながらの鵜飼見物はこの地域の夏の風物詩です。

今はお休み中の鵜飼船がたくさん河岸に着けられていました。ちなみにこの付近のバス停は「鵜飼屋(うかいや)」。いかに古くからここで鵜飼で生計を営む人が多かったかをうかがわせます。

<川原町へのアクセス>
JR岐阜駅(11・12・13番乗り場)または名鉄岐阜駅(4番乗り場)からN系統(長良橋方面)及び市内ループ左回りバス乗車。「岐阜公園・歴史博物館前」下車 徒歩1分
料金:片道220円

岐阜公園から金華山を登り岐阜城へ

川原町から10分も歩けば、金華山の麓にある岐阜公園に到着します。
岐阜公園は金華山に登るロープウェイの発着地となっているとともに、児童公園や滝などもあって市民憩いの場になっています。

晩秋の香り漂うせせらぎ

こちらは公園内に建つ板垣退助像。明治15年、自由民権運動を展開し岐阜で遊説中に暴漢に襲われました。このときに発した「吾死スルトモ自由ハ死セン」の名言は今も日本の歴史教科書に必ず掲載されています。その遊説をした中教院があった場所がまさにここだったのです。

それではいよいよ金華山に登っていきましょう。金華山には車ではアクセスできず、ロープウェイで登るか、足で登るしかありません。結構な山道と聞いていますので迷わずロープウェイで登ります(おい)。

ロープウェイですぃ~っと♪


ロープウェイを登ればさっき長良川から見上げたときは米粒のようだった岐阜城が目の前に。さらに近くに行くためにまた少し歩くことが必要です。

ところでこの金華山、地図を見ると平野の隅でここだけが高い山になっています。しかもけっこう急な崖があったりします。結構不思議な地形です。
この山はチャートとよばれる岩石で、放散虫などの古代の虫たちの死骸が海底で堆積してできたもの。それが2億年をかけてここに運ばれ隆起したのですが、この岩石はとても固いため容易に削られず、柔らかい砂礫層だけが風雪や長良川に削られて平野に流れていったためここだけ急な尾根を持つ山が残ったのです。

いよいよ城が目の前に!

岐阜城はもとは稲葉城といい、戦国時代に斎藤道三らの居城となっていました。その後織田信長が城主にとって代わり岐阜城と改名、井口(いのくち)と呼ばれたこの町の名も岐阜と改められました。その後関ケ原の戦いで織田家は西軍について敗走、廃城となりました。徳川家康は岐阜を嫌い、平野部に加納城を造らせ、明治に至るまで執務を取らせています。江戸期の城下町は可能にあったのですが戦災で多くが焼けてしまったそうです。

山上から眺める町の眺めは見事。左下が先ほど歩いた川原町。野球場やサッカー場も見えますね。プロの公式試合も毎年何試合か行われています。

少しロープウェイ乗り場の方に戻ったところにある展望台からは360度の大パノラマが眺められます。

岐阜・滋賀に跨る霊峰伊吹山もきれいに見えていました。少し雪が積もっているよう。冬はもうそこまで来ています。

ぎふ金華山ロープウェイ
 営業時間 9:00-18:00(秋冬期は17:00) 
      GW・夏休みなどナイター営業期は22:00まで営業
岐阜城
 営業時間 9:30からロープウェイ終業時間まで営業

JR岐阜駅から岐阜バスで15分「岐阜公園・歴史博物館前」で下車 徒歩3分

Mr.マリックさんの友人?!岐阜大仏のある正法寺へ


ロープウェイでふもとまで下りたあと駐車場まで戻る途中、「正法寺」というお寺に立ち寄りました。こちら、前情報も何もなく建物が何か風変わりなお寺だな、と思って立寄ったのですが

なんと大仏様がいました。
これは岐阜大仏といって、日本三大大仏と言われています

日本三大なんとか、の三番目のモノって地方によっていろいろ変わるものですが、大きさは鎌倉の大仏よりも大きく日本第2位。江戸後期に造られたもので歴史もあり、日本三大大仏を名乗るにふさわしい大仏だと思います。

イチョウの木で骨格を作り籠のように編み上げたあと粘土を塗り、経典を張り付けて作ったもので東大寺のそれとはずいぶん作り方が違います。当時あった大地震や飢饉が収まるように願った僧や庶民の手によって造られたこの大仏には親しみが感じられます。

ところで、このお寺の住職小林孝道さんはMr.マリックさんのご友人ということが訪問後に判明!NHKの「ロコだけが知っている」で岐阜大仏が紹介されていて驚きました。

大仏の周りを囲む五百羅漢の圧がなかなかすごい…キテマス。

住所  岐阜県岐阜市大仏町8
営業時間  9:00~17:00
休業日   無休
料金  大人(高校生以上)  200円   小人   100円 
    30名以上の団体様の場合    大人(高校生以上)  150円   小人   50円
アクセス
JR岐阜駅から岐阜バスで15分「岐阜公園・歴史博物館前」で下車 徒歩5分

短い時間でぐるっと散歩しましたがなかなか見ごたえがありました。
お腹が空いたので岐阜のB級グルメ岐阜タンメンを…と思ったのですがまさかの大行列で断念(午後2時半)。次はタンメン食べにリベンジ訪問&柳ケ瀬なんかも廻ってみたいなと思いました。








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