見出し画像

僕の京丹後のにいやん

こんにちは!ヒラパーです!

本日はタイトルの通り、僕が京丹後のにいやんとして尊敬と親しみを持っているある方を語りたいと思います。

僕がこの方と会ったのが2012年頃だったと思います。

京丹後の方だと名前を知っている「飛天」という夏祭りイベントに初めて参加させていただきました。(当時29歳だったかな)

昔からの僕を知っている人は、調子乗りのとんでもないポンコツなやつ(になる時がある。普段は真面目です。笑)だと認識があるかと思いますが、初めての飛天でも色々と調子乗ってやらかしていました。笑(ほんますいません)

にいやんと初めて会ったのがこの時です。

僕は、初めて会ったにいやんへ「僕は丹後でサッカーチーム作ります!」と言った。(にいやんがどんな方かもあまり知らなかったですが)
確かあれは飛天の前日のイベントだったか打ち上げだったか、にいやんから「お前話せ!」と言われてマイクを持たされました。
生意気にも
「先ほどから皆さんが飛天は京丹後の祭り祭りと言われていますが、僕は弥栄町の人間なのでまだ京丹後の祭りという馴染はなく峰山の祭りという印象です。これから『京丹後の』祭りにしていく為に頑張らないといけないです!」
京丹後市は市町村合併した街で、まだまだ色々なしがらみがあります。僕はそれを超えていかないといけないし、祭りやサッカークラブはそういった存在であるという事を伝えたかった。
こんな小さい街で何をガチャガチャやっとるんだと。

にいやんが僕を他の方に紹介いただく時に「わしの後継者はこいつかもしれんで紹介するわ」と言ってくれたのを今でも覚えている。
当時は何の話しやらと思っていた。

先日、にいやんと話しをしていて「この街をなんとかしたいんだ」という気持ちが原動力だと聞かされた。
その上でにいやんからも色々なアドバイスをいただいた。

にいやんの後継者がどうとかはどうでも良くて、にいやんの経験から学ぶ事は本当に多い。
かっこいい大人だなと本気で思う。

誰の真似事をしても嘘っぱちになるので、その上で僕は僕らしくある。

そして、僕らの世代でやらなきゃいけない事がある。
僕が10年以上前にも感じた事、市町村合併したからとか派閥がどうのこうのとか、そんな事はもう知らん!
僕らの世代で街をひとつに、世界に誇れる街にするんだ。
スポーツは垣根を越える。
KYOTO TANGO QUEENSは色々なしがらみを超えて街の人々を繋げていくんだぜ。

こんな人生のひょんな出会いに本当に感謝。

ヒラパー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?