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しきから聞いた話 181 小さな龍

「小さな龍」


 湖のほとり、少し岩場のようになったところに、小祠が祀られていた。

 知る人ぞ知る、という言われ方をすることも多く、たしかに遠方から拝みに来る人もいる。地域の昔話では、湖の成り立ちと共に語られており、小さく質素な小祠ではあるが、歴史は古い。

 ここには、龍神が祀られていた。
 ときおり姿を見かけるし、数回は話しをしたこともある。青磁の冴えた輝きを放つ、美しいうろこの龍だ。

 この小祠では、12年に1度、新しい龍が生まれる。といっても、青磁の龍が産むのではないというから、生まれる、というより、生じる、と言った方がいいかもしれない。

 新しい龍は、数年をここで過ごし、旅立っていく。
 青磁の龍は、養い親のようなものかもしれないが、よくわからない。聞いたこともないのは、ここの新しい龍の姿がなんとも瑞々しく、可愛らしく、ただ眺めているだけで楽しいからだ。

 年が明けて最初の辰の日、小祠を訪ねた。
 年始の辰までには、たいてい生まれるのだと、青磁の龍が教えてくれたことがあるのだ。
 はたして、静かな湖面を見渡す小祠の、屋根の上に、ほぼ透明にも見える龍が、とぐろを巻いていた。おそらく体を伸ばしても、3尺ほどだろう。ほぼ透明な体は、時が経つと徐々に色を持つ。その色は龍によって様々だ。

 今回はどんな龍だろうと思いつつ、近付いていくと、小龍はこちらに一瞥を寄越したのみで、とぐろからひょいと伸ばした首を上に向け、まるでつんつんとするように、右へ左へと頭を巡らせていた。

「ぼくは ここにいるだけで いいんだ ぼくは えらい りゅうじんなんだ」

 小龍の想いが、流れてくる。
 なんとも、こましゃくれた小龍だ。おそらく、初参りの人々から拝まれて、いい気分になっているのだろう。しかし、生まれながらにして持つ龍の威厳に、嫌味などまるで無く、せいぜい、赤ん坊が手足をばたつかせるほどのやかましさか。

「ぼくは りゅうじんだ えらいんだ えへん えへん」

 吹き出してしまった。
 今日のところは、ここまでにしておこう。そう思って背を向けたが、帰り道でも、可笑しくて仕方なかった。

 10日ほどして、再び小祠を訪ねた。

 小龍は湖面を滑るように飛んでいたが、小祠の前に人が立ったと気付くや、身をひるがえし、こちらへ戻ってきた。

 その姿はもう、ほぼ透明ではなかった。
 乳白色の、柔らかそうなうろこ。つのが少し伸び、瞳には澄んだ光が宿っていた。

「なにを祈る なにを望む」
「なにを願う なにを求む」

 すでに小龍は、人々から多くの想いを託されているのだろう。それを小龍は、どう感じているのか。
 ただじっと見つめていると、小龍はゆるゆると全身を波打たせた。

「つねに ここに 居る いつでも 居る」

 小龍はゆるりと身をひるがえし、再び湖面上を飛び始めた。

 さらに5日ほど経った日の朝、小祠を訪ねると、そこに小龍の姿は無かった。
 旅立つには早すぎるのではないか。これまでの龍の中で、いちばん早かったものでも3年ほどか。どうしたのだろうと、少し不安な心持ちで小祠の前に立っていると、雲間から青磁の龍の姿がちらと見えた。

「久しぶりだね 吾子なら、もう戻るよ」

 今年の子も、健やかに育っているようだね、と言うと、青磁の龍は、ふふふと笑ったようだった。雲間に微かな雷鳴が響く。

「みな、さまざま、それがよい。吾子には少々、つらい時節ではあろうが、ね」

 青磁の龍の気配が、すうっと消えるのと入れ替わるようにして、空と湖水のはざまからまっすぐに、小龍とおぼしき気配が進んできた。

 あふれるような想いが、伝わってくる。
 どれも、怖ろしく、哀しいものばかりだ。

 戦い。
 崩れる山。
 割れる大地。
 干上がった川。
 燃え広がる森。

 戻って来た小龍は、小祠を取り巻くように、ゆるくとぐろを巻いた。
 小龍のうろこは、柔らかく美しい、翡翠色の輝きを帯びていた。青磁の龍の青緑は、冴えて鋭利な印象だが、小龍の翡翠の青緑は、柔らかく優しく感じられる。

 辛いものばかりを見てきたのだね、と問うと、翡翠の小龍は、澄んだ光を宿した瞳に、涙をいっぱいに溜めて、答えた。

「まだまだ。知らなければいけない辛さが、数えきれぬほどある。空も、水も、地も。生き物も」

 たいへんだね。
 そう言いながら小龍に笑いかけると、小龍はうなずくように二度、首をゆるゆると動かした。微笑んでいるように見える。

 自ら、知らなければ。気付かなければ。
 雲間でまた、微かに雷鳴が響く。

 翡翠の子は、どんな龍になるのだろう。
 ひとつ、これは確かだと思うのは、そこには必ず、澄んだ光がある、ということだ。


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