私のサイコロは私が回し、駒も自分で。
こちらの続き。
月曜日。
さぁいつもの日常が来た。
けれど息子の様子が微妙におかしい。
なんとなく嫌な予感もするし、いつもより早く迎えに行くことになり、タイムリミットが短くなった。
限られた時間で昨晩、寝る直前に決めた思考の整理をしようとするもやはり二の足を踏んでいるのか、掃除を済ませてさぁといって机に向かったが、まず最初にしたことは最近やたら迷惑メールが多いメールフォルダを整理し始めたりした。(おそらくピアノ買取一括見積をしたからか?と疑っているところ。)
家計簿も書いた。
財布の整理もした。
前日書けなかった日記も書いた。
(私はよく前日の日記を翌日に書く。)
さぁ。。。時がきた。
いつも思考の整理をするために用意しているノートを開く。
「今、私は何に悩んでいるのか。辛いこと。嫌なこと」
どうしたいのかという望みをあぶりだす方法で私の中でベストな方法のひとつがこれ。
何が嫌なのかからその反対側をのぞいていく。
そして全体を書き出した後、またなんともいえない感情になり涙がおいおいでてきた。
だいたいが夫と娘との関係のことだった。
そこにはあれが嫌だ。これが嫌だ。これができない。あれができない。
どうしてこうしてしまうのか、こう思ってしまうのか。
そんな愚痴とも思える内容なのに、私が2人のことをどれだけ好きで、2人から思うように私の望む態度をしてもらえないことに拗ね、こじらせているかがありありと出ていた。
そしてそれがよく言われる"他人は変えることができない”という言葉を知っているだけにもうどうしようもない、どうやったら2人にこちらの気持ちをわかってもらえるんだろうかと悲観的で、これを変えることができるのは、主語も動詞も全て私ではなく2人に焦点が当たっていることにも気が付いた。
なので、少し路線を変更して作業を変えた。
最近はまりにはまっているこちらの本。(紹介は二回目w)
こちらで紹介されている「12のメタ無意識」なるものもう一度読みながらエクセルで一覧を作り、自分に置き換えながら今問題だと思っていることに対して、自分にどう問うていけばいいのか。どういう言い方に変更するといいのかをしてみた。
1回目に読んだ時も思ったけれど、今までいかにうまくいかない思考でなんとかうまくいかせようとしてきたか、そしてうまくいかなくてドツボにハマってきたかもわかっていたのだけれど、2回目を読むともうお手上げ状態。
私が自分の人生を生きる!とか自分軸で生きる!と息巻いていながら、潜在意識化でその主語は私以外で、もちろんそれに付随する動詞も私以外の他人任せ。
うまくいきたいと前を向いているようで、過去の出来事にこだわって自分の経験値内での小回り人生だったことが明白になった。
なので日曜の夜宣言したように、私は私の道を切り開いていく。
そのためにも、主語と動詞、そして「なんのために」私はそれをするのかという目的語も奪還すると決めた。
これからは、私は目的地に向かって、自分でサイコロをふり、コマも誰かにいいように動かしたりさせない。
そんなをしてたらタイムリミット。
息子を迎えに幼稚園へ行くと、どうやら夏風邪をこじらせてお腹にもきたようで・・・。そのまま病院へ行き、火曜と今日の水曜日の二日間おやすみ。
特別に何をするでもないけど息子が家にいる時間。
さて、何のためにこの出来事が私におこったのか。
答えは…。
私が息子との時間を欲していたから。かな。
ふたりでおのおのが好きなようにのんびり過ごしている。
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