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好きなダンサーへの愛が激しすぎると批判された件について

バレエ大好きなので、公演やダンサー達の感想を書きまくっていたら「好きなダンサーへの愛が激しすぎる」と批判されました。 これだけピンポイントに誰かをハッキリ推しているので、悪目立ちしてしまったのでしょうか。

私にとって日常において「凄い」と思うことに「凄い」と言うのは普通です。

例えば、お金を出すなら出来るだけ美味しい物を食べたいですし、凄く美味しかったらSNSに載せたり、周りにその話をしたりしますよね?
お金を出すなら出来るだけ素敵な場所に行きたいですし、その素敵な場所をSNSに載せたり、周りにいかに素敵な場所だったか話しますよね?
それと同じでお金を出すなら出来るだけ上手なダンサーを見に行きたいですし、そのダンサーに感動すれば、SNSに載せたり、周りに話したりする。
食事や旅行などで普通に行われている感動の共有が、なぜバレエやダンサーが対象だと批判されるのか意味が分かりません。

なぜこれだけ好きなダンサーの公演を何度も見に行き、沢山の賛辞を送るかというと、ニコライ・ツィスカリーゼの舞台を見れずに後悔しているからです。小学生の頃に憧れ、いつか見れると思っていましたが、年月が経ち再び夢中になったとき、既に引退していました。ロパートキナの舞台についてもいつか見れると思っていた演目が、見れなくなりました。

もう見れないと知った時の後悔の念は本当に深かったです。ダンサーの現役生命は短く、好きなダンサーの舞台はその時に見ないと二度と見れないと痛感しました。だから私は、日々の生活費を抑えてでも、好きなダンサーの舞台は絶対に観に行きたいですし、沢山の賛辞を送りたいです。見れなくなって後悔する苦しみを知っているからこそ、ダンサーが舞台で輝いているうちにたくさんの賛辞を送りたいです。愛が激しすぎると思われるかもしれませんが、私の後悔はもっと激しかったです。

ダンサーへの賞賛は本人が活躍している時に届けてこそ意味があると思っています。以前亡くなってから賞を貰った偉人がいましたが、遺族は喜んでいましたが、生きているうちに貰えたら本人もさぞ嬉しかっただろうと思いました。
それと同じで観客からの賛辞も、現役の時に伝わってこそ喜んでもらえるのではないかと思います。

だから私はこれからも好きなダンサーの舞台を見続けますし、賛辞も伝えたいです。noteを通じていかに凄いダンサーがいるか、沢山の人に伝えていきたいです。

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