器用貧乏の生きる道とは?

僕自身、器用貧乏だよなと自覚していたりします。
「小手先の器用さ」を器用と呼ぶならば、ですが。

器用貧乏とは要は、いろんなスキルを少しずつ持っているがお金にはなっていないということだと思います。
僕自身で言えば、生業のプログラミングは除いて、ギター、歌、作詞作曲、編曲、DTM、Photoshop、Illustrator(DTP)、写真(フィルム・デジタル)、映像編集...
といった分野でそこそこのスキルは持っているが、お金にはなっていないということです。

別にこれぐらいできる人は世の中にいくらでもいますし、それぞれの分野で身を立てているスペシャリストには及びません。

でも、これぐらいできると、周囲の人からは重宝されます。年間数十本以上の弾き語りライブをこなし、たまにイベント出演、自主音源制作、自主映像制作もやりますし、カメラのマニュアル撮影・デジタル現像・レタッチ・合成もそこそこやりますし、チラシを作って欲しいと頼まれればIllustratorで作って印刷業者への入稿までやります。また、団地愛好家として狭い世界でそこそこ知られていたりします。

よく周囲の人達からは、「才能の無駄使い」「手に職になるじゃん」と言われるのですが、残念ながら今の生業を除いてこれらが「手に職」となったことはありません。 

それもそのはず、これらがお金になるレベルで求められる域に達していない、あるいは専業で従事する覚悟を持てなかったからです。

つまり、お遊びでやっていることが仕事になる確率は低いのです。
もし、これらのどれも一流のレベルに達していれば、僕はハイパーメディアクリエイター(笑)として世界を股にかけられるのかもしれません。
たまにそういう人はいます。たぶん何百万人に一人とかのレベルで。

まあ、そこを目指してなれるかというと、ほぼ無理ゲーだと思います。
何かなれそうな気がしてしまいがちなのが恐ろしいところですが、冷静に考えれば、専業のプロがそれぞれの分野でしのぎを削っているのに、いろいろ分散していては物理的・時間的・能力的に厳しいのは明白です。

けど、いろいろ手を出すのをやめられないのが、器用貧乏の器用貧乏たるゆえんです。そこにはまってしまうと、かなりシビアな宿命というか、極められない悲しさがつきまといます。

器用貧乏は大成しない。
いや、個人的には大成しなくとも最低限それでご飯が食べられるだけでも御の字なのですが・・・。

とはいえ、歴史に名を残した器用貧乏(だと思う人)はいます。

あの、平賀源内です。
エレキテルの発明だとか、土用の丑の日にうなぎを食べる慣習を作っただとか、錦絵を創始したとか、戯作の開祖だとか、コピーライターの走りだとか、鉱山開発を行ったとか、鉱物のブローカーだとか、日本で最初に西洋画を描いたとか、多芸多才で名を馳せた人物ですが、最後は人を殺した罪で捕えられ破傷風にかかって獄死したという不遇の生涯を送りました。

まあ、この人の場合は、それぞれの事績が時代の先端を行くパイオニアであって、どっちかというと傑出したハイパーメディアクリエーター寄りなんでしょうけど、一つのことに集中して継続しなかったためにそれぞれの分野を極められず地位を築けなかった(生活が安定しなかった)という点で、器用貧乏と言えるのではと思っています。

彼が歴史に名を残したのは、新しいことをたくさんやって様々な分野の発展の端緒となったからだと思います。それを持って大成と言うかは難しいところですし、キワモノ扱いされて世間に認められず非業の死を遂げたことからも、幸せな人生だったとは言い難い面があります。

が、いろいろアレな点がありつつも、概ね楽しくて面白い人生だったのではと思うのです。次々に新しい世界の扉を開いて創造していくのは、冒険的で面白かっただろうなと。人々に受け入れられることやよりよく生きていくことと両立しなかったけれど、そこさえ上手くやれば、これほど充実した生き方もないなと。そこが上手く行かないから器用貧乏なんでしょうけど、何だかやりようによっては上手く行きそう。

器用貧乏気質ってのは性分なので、わりとどうしようもないと思うんです。
僕の場合、前述に挙げた以外にも、趣味というか関心事としてはもっといろいろあります。興味の幅がどこまでもあると言ってもいいです。
別にそれぞれの分野でのパイオニアじゃないです。でも、好きなんです。面白いと思うことをやらずにはいられない。快楽主義者と言ってもいいかもしれない。

でも、好きなことを好きなようにやるだけで生きて行けるほど、世の中甘くないという現実があります。きっと平賀源内が生きた江戸時代もそう。

だから、器用貧乏気質な人で、好きなことで食って行こうと思うなら、どこかで器用貧乏を脱却しなきゃならないと思います。今の僕がまさにそう。

何か一つを「選ぶ」のは難しい。けど、好きでやってることのどれかに可能性を見つけてそれに懸けてみるってのはできそう。そのためには、一生懸命考えて、一生懸命やらなきゃならないと思います。
さっき、「器用貧乏気質は性分なのでわりとどうしようもない」と書きましたが、「わりと」であって絶対にどうしようもないってわけじゃないと思います。何とかしようがあるとしたら、そこじゃないかなと。

つまり、一つに絞ることを前提にはしないけれど、とにかくどれに対しても可能性を見つけるべく一生懸命考えて一生懸命行動してみようと。最近、そう思うようになって、そのように取り組んでいます。

それが器用貧乏の生きる道なんじゃないかなという、僕なりの現在のアンサーです。

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