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「頑張らない」を頑張ってみる

周りの人がうらやましくて仕方ない時期がありました。
いや、今も四六時中そんな感じなのですが、もうそれは程度が違くて。

あの人は評価されているのになんで私は、とか
あの人より気を遣ってるのになんで誰も気づいてくれないの、とか

とにかく、自分がしている「影の頑張り」みたいなのに気づいてほしくてしょうがないって感じで。

その気持ちが自分勝手なのは重々承知していました。頭では。
それでも、自分の頑張りや気配りが「当たり前」として享受されているのが、なんか悔しくて。

でも誰にも言えないし、私から「頑張ってます!見て!ほめて!」ってアピールするのもなんかダサいし、そこまでして見て欲しいわけではないし、感謝してもらいたいわけでもないし、みたいな。
フラストレーションがたまる一方でした。

そのころに比べると、今は少しだけ、とりあえずこういう反省noteが書けるくらいには、その「なんで」と「なんで」の合間に余裕が持てている気がするな、と思います。

それはなぜか、多分私は今、「頑張らない」を頑張っているからだと思います。

私の頑張りたいときに、頑張りたい分だけ頑張ればいい。
それ以上の、我慢したり、注意を張り巡らしたり、自分を切り崩したりするような頑張りはしなくていい。
そういうポリシーで生きてみようと自分に言い聞かせているところです。

自分が頑張りたくてする「頑張り」はそんなにしんどくないけれど、「頑張らなきゃ」って自分に鞭打つ「頑張り」はすごくしんどいんですよね。

それなのに、周りが私の「頑張り」に気付いてくれないものだから、
「なんで…!!」って爆発しちゃう、という。
でもそれは、自分にとっても周りにとってもいいことじゃないなぁと、客観的に見ていて思います。

だから今は、「頑張れ」って直接言われない限りは、
必要以上に頑張らないことを意識しています。
出来そうでもあえて「やらない」とか。
やれることは、やろうと必死にならなくても自然に動けていたりするから。
「頑張らなきゃ」って思ってなくても、頑張れていたりするから。

頑張らなくなっても、意外と誰も何も言ってきません。気づきもしません。
私が変わったら相手も変わってしまう、と恐れていたのですが、私1人ごときの影響力はそれほど大きくなかったようです。
むしろ、「前のあなたの方が良かった」って言われたら、そういう「背伸びした私」しか評価してくれない相手とは一緒にいなくてもいいや、と思っています。お互いしんどいので、ね。

まだまだ「頑張らない」を意識しないと難しいし、これが合っているのかも分かりません。

ただ今は、そういう気持ちで日々を過ごしてみたいなと思います。