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いつ辞めてもいいように推し活する。

高校生の頃から所謂「推し活」を始めた。自分の場合はアイドルの応援。今に至るまで、程度は違えど「推しを推す」ことに夢中にさせるエンタメビジネスに熱狂し、その良い面と悪い面を享受してきた。

いつからか─周りが見えなくなる程にのめり込む最中においても─その活動をどのように終わらせるかということを念頭に置いて推し活するようになった。

もしもその対象に別れを告げるときが来たら、自分がどのような精神状態でいることが好ましいかについて考える。綺麗に別れられず未練や執着を引きずってしまうと、あまりいい気持ちがしなさそうだからだ。"綺麗な別れ方"を思い描き、そこから逆算して自分が取るべき行動を選択する。

この話を何人かの同志に打ち明けることがあったが、実はあまり共感を得られなかった。主には、推し活のゴールを想定する/しないという点において相違があるようだった。同じような行動原理を持つ人にまだ出会えていないが、自分の場合はこの考え方が丁度良い具合に推し活に秩序を与えていた。

今回はこの「いつ辞めてもいいように推し活する」という推し活スタイルについて、深く掘り下げることにした。


人間は刺激に慣れる

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具体的なコンテンツの名前はここでは割愛するが、全般的にエンタメとは夢の世界のことだと思う。コンテンツの鑑賞やイベントへの参加を繰り返すことで、日常から非日常への橋渡しをしてくれる感覚を得た。(任意の)沼に浸かり、推しに心身を捧げる覚悟を決める頃には、それ以前に繰り返した日常とはまるで世界が一変し、過ぎゆく景色全てが目新しく、輝かしく感じるようになった。

コンテンツの存在を知り、CDやグッズを購入し、ライブに足を運び、推しと対面する……このように、エンタメに足を踏み入れてからそれを大きく享受していく過程において、より上級のオタクの行動を真似てみたくなるのがオタクの常だ。真似をする意図がなくとも、自分の足元より前方には先人が同じ道を歩いている。そしてこの過程は私が今日まで歩いてきた足跡のことでもあり、それぞれの段階ごとに自分を祝福する"卒業式"が行われた。

卒業式は、この概念を説明するために便宜上登場する比喩である。

オタクの諸先輩方に尋ねれば、「初めてライブに行った日」「初めて推しと喋った日」「初めて推しに手紙をしたためた日」などの思い出を、まるで昨日のことのように語ってくれるだろう。渇望していた目標を達成する度に、それらは記念日になる。

私が推しの握手レーンにたくさん並んで「推しに認知してもらう」ことに注力していたとき、思いを端的に伝えられず、よく"事故"を起こしていた。推しと対面する非日常イベントにおいて、私は何とか推しに自分の存在をアピールしようと躍起になっていたが、あまり上手くコミュニケーションが取れなかった。

その頃、自分よりおよそ20歳ほど年上の先輩オタクと仲良くなった。私は自分の昨今の推し活事情を話した。するとこう返ってきた。「アイドルに会うのに何を緊張することがあるの」と。接触イベントにおいて、彼は「推しに緊張する」という過程を遥か昔に卒業したようだった。これによって推しの感情の機微を感じられるようになり、より解像度の高い会話ができるように見えたので、はやくこれになりたいと憧れた。

このエピソードは私の推し活過程のまだ初歩段階の話である。時は流れ、この例のように、私は推し活においてより高度な楽しみ方を追求するようになり、多くの刺激に慣れることで多くのことができるようになった。そして、どのようなことをすればどの種類の楽しみを得られるかについて説明できるようになっていた。

推しはいつかいなくなる

推しの握手レーンにたくさん並ぶために私が同じシングルを100枚以上購入したグループは活動休止という名の実質解散を発表した。

日常から非日常への橋渡しはいつの日か、グループがより活躍できるように心身を捧げるという日常となっていたが、期待を大きく下回る形で幕を閉じた。10年後のグループの展望について仲間と語り合うくらいだったので、推し活に終わりが来ることは考えていないか、考えないようにしていた。しかし「行くか行かないかは行ってから考える」という悪魔の言葉を座右の銘としていたので、やり残したことはあまりなかった。失望こそあれど、未練なく別れられた要因はそこにあると思う。

そして同時に、より素敵な夢を見せてくれる別のグループの物語に夢中になっていた。以前の物語とはスケールの違う超大作に見えたので、以前よりも目新しく、輝かしく感じた。

私はその入場列の最後尾に並んだ。現実の言葉で言うと新規のオタクになった。何もかもに慣れないため、できることは多くなかった。しかし、ひとつ前のグループで推し活を極めた経験がここで活かされた。コンテンツの存在を知り、CDやグッズを購入し、ライブに足を運び、推しと対面する……以前と同じように多くの楽しみ方ができるようになり、多くの刺激に慣れ、先人達と同じ道を歩いた。そして非日常を日常として獲得した。

同時に、以前の推し活の終わりを回想するようになった。今ある輝かしい日々もずっと続く保証はない。例えるなら、車に乗れるようになったのにガソリンが枯渇する……スキーが得意になったのに雪が降らなくなる……そのレベルのあり得ない破局をあっさり迎えることがあると学んだからだ。我々の生殺与奪権は常に、そのエンタメを運営する会社に帰属する。そして──幸運にもまだ自分には降りかかっていないが──推しているメンバーが卒業することで、精神状態の激しい失調を起こした友人を何人も知っている。推しが芸能界で大きな局面を迎えるとき、我々も大きな局面を迎えるのだ。

その破局の前にできることが何かということに集中する。どこまでを期待すればどこまで失望せずに済むか計算する。本当に大切な感情が何かを知っておく。これらの課題を追求することは、私がより良い推し活をするために大きく役立った。そこから得られた教訓は以下の3つだ。

  1. 推し活ができるうちに可能な限り時間を使う。
    「推しは推せる時に推せ」という言葉を頻繁に見掛ける。行けばよかったと思うくらいなら行ってから後悔した方が良いし、行って後悔することが仮にあっても行った喜びが上回ることが多い。私はこれを「行くか行かないかは行ってから考える」と呼んでいる。それを実現するために、人生における推し活の優先順位を上位に位置付ける。推しが芸能界を去るより先に自分が推しの前から去らなければならなくなる可能性もあるため、推し活できる時間は尚更貴重なものであり、その貴重さは破局を迎えたときに思い知ることになる。

  2. 全てが無に帰してもダメージを食らわないように推しへの感情移入は程々にする。
    推し活における失望は、期待の大きさに比例する。期待をコントロールすることは失望から自分を守ることに繋がる。私が肝に銘じているのは「自分は推しにとっての何者でもない」ということ。推しにとっての何かになりたい・何かに寄与しているという感覚を持つと、その分だけ見返りを求めてしまう気がするからだ。なのでどちらかと言うと"応援"というよりも"傍観"という言葉で形容するのが相応しい。あとこれは極端な例だが、「推しはどうせ最終的にバンドマンとのスキャンダルが発覚して辞める」と思い込む(推しに失礼な話ではあるのだが)ことでも対策していて、それまでの限られた時間でエンタメを享受させて頂く立場であると自らを位置付けた。

  3. 自分が推しを好きだと思う気持ちのために行動し、その感情がどれくらい存在するのか把握する。
    先にも書いたが、自分が追い付けなくなった場合にも推し活の破局は起こり得る。そのため、自分は何故推しが好きで、何故推し活をしているのか、何をしていると楽しいと感じるのかを定期的に確認することが重要だ。そして、楽しくないのに推し活をしているなら、好きな気持ち以外の要因に行動が支配されている可能性があるので辞めることを考えた方がいい(昨今のエンタメビジネスのやり手は感情をハックすることに長けている)。辞めたいと思うのに辞められなくなるのはまったく健全ではない。最近読んだ本には「"それ"を手に入れるために起こした行動と、失うことへの恐怖が大きければ大きいほど、"それ"への依存度が高いことの証明になる」と書かれていた。

推し活を極めることは自分の未踏の地を減らすことと同義で、推しがいなくなったときに未練と執着をいかに減らすか、ということだと考えるようになった。そのために、"綺麗な別れ方"から逆算して行動を設計してきたのだ。

システマチック推し活

自分の期待と失望の割合をコントロールし、いい具合の楽しみを得ることは、掌で踊らされるのではなく自分から踊りに行くようなものだ。進んで踊る。それが自己満足のためであっても、見せつけるためであってもだ。

綺麗に踊るためには経験値が要る。ライブで完璧なコールをやるには覚える必要があるし、あの曲をアンコールでやったツアーが何年のどのツアーか思い出せないのはブルーレイを見る回数が少ないからだ。そして推し活を自分が自発的に行っている行動だと認識することが必要である。どのツアーか答えられなくて馬鹿にしてくるやつのことは無視するのがいい。あくまで好きだから、手に持てるサイズの推し活をしているだけだ。踊りが綺麗かどうかは実は重要ではなくて、できる振付で全く構わない。ただ、踊れるうちに踊り狂うこと。

推し活を極めるのはより良い推し活をするためである──。この文章の前半と後半は同じものを指しているように見えるかもしれない。いや、同じだ。私は経験を積んだことで多くの刺激に慣れて多くのことができるようになり、推し活の幅は広がった。推し活のフォームは何度か崩れかけたが、今ではある程度の失望を想定してその場に適したフォームを取ることができるようになった。

ここに来て新たな疑問が浮かび上がった。

「俺は何でこんなに推し活に夢中になっているんだ?」

自ら積極的に踊り、非日常を日常に変換する過程で、そこから得られる限りの非日常はおおむね日常と化してしまった。日常は退屈、非日常は刺激とも言い換えられる。退屈は刺激を求め、刺激は退屈に変化するのが普通なので、近頃、私にかつての張り合いはない。何を渇望しているかと言えば、かつて過ごした輝かしい非日常か、それを上回る未経験の非日常だ。推しは常に新しい活動をしている。2023年にオタクを辞めた者の前に2024年の推しは現れないから、推しがどう成長していくのか見続けることも選択肢だ。しかし、"綺麗な別れ方"から逆算──ある意味別れる準備としての推し活をしている私には、長く続けることを前提とした推し活の仕方が分からなくなっていた。言い方を悪くするなら、ある程度実績解除してしまえば、いつ辞めてしまってもいいゲームだと呼べる。それはかなり聞こえが悪く邪念のように感じたので、自分自身への不信感が増した。

推しは可愛い。ライブに行けば楽しい。推しが視界に入るとこれ以上の喜びが他にあるのか分からなくなる。推し活における行動とその結果については、容易に想像ができていた。推しを中心とする経済活動のループは、推しが好きだからこそ起こりうる渇望の結果だと思っていたが、かつての私のように(任意の何か)を埋め合わせるかのように多くのお金と時間と病的な行動力が必要になった理由は本当は何なのだろうか?

もしかしたら、別の本当に解決しなければいけない問題からの逃避として、推し活が有用だった可能性すらある。日常に戻ることに恐怖を感じていたのかもしれない。それが気になりだしたのは、実際の生活の規模に対してあまりに不釣り合いなコストを推し活に払っていたことが一番の原因だ。実際、家計や仕事やあらゆる面において弊害が発生し、それらも推し活を続けるための課題になっていた。私がこの問題に直面したことは、人生における推し活の優先順位を上げることが推し活を極めるために必要だと述べたことに一致する。そして、自分が推し活と人生を同じ意味で考え始め、推し活以外の要素を排除する傾向にあることを証明してしまった。

人生のバランスが傾いている感じがしたので、自分に対して「果たして本当に推しが好きなのか?」ということを何度も問いかけた。自分よりも長い間推しに熱中し続ける人達と比較して、モチベーションが下がっている自分自身に疑いを持った。いや、それは結論として好きだった。どの部分が好きなのかについて熱弁を振るうことは容易い。にも拘らず自分が張り合いを感じられなくなったのは、好きという気持ちが以前よりしぼんでしまったからなのか、好きのサイズが持続可能な大きさに制限されただけのことなのか、もともとの好きのサイズに合わせて渇望が収束しただけのことなのか、もしくは違う理由があるのかについて考えた。答えはまだはっきりしなかったが、少なくとも、推し活に対する執着が減ったことはだけは理解した。

推し活を続けるためには、その高みに比例した量の何かを燃やし続けなければならない。

推しのいない世界

結論を述べると、このままでは推し活全てを辞めてしまいそうなのだ。これは特定のコンテンツに限った話ではない。高校生から始めて、少なくともここ5年は(対象が変遷しながらも)夢中になっていた。もちろん歴代の推しのことを嫌いになってもないしうんざりもしていないし、一貫して「好意的」側に立ち続けるだろう。それでも、たまにYahoo!ニュースで目に入って「やっぱり可愛いな~~」と思ったり、たまに関連動画に出てきて「うわぁ、この曲こそ青春だなぁ」と思ったり、年に1回くらいは友人に誘われてライブに行って「最高だ!!!!!!」と思うくらいがちょうど良くて無理のない接し方なのではないか?と思い始めてしまった。それを避けるのであれば、新たな渇望を求めて経済活動のループを回し続け、更に人生を捧げることが必要になる気がする。

この両極端な選択に考えを巡らしているうちに、公式SNSやブログの更新を毎日追いかけることは割に合わなくなっていた。推しに対する好意──最低限必要で最大限大事にするべき感情──だけが最後に残り、ほかの要素は全て天秤の逆側に置かれた。好意に対するアンバランスを是正するために、あまりに少ない代償しか差し出せない状態のことは、推し活と呼べるものではなく、もはや破綻している。

やり残した最後の卒業式が、推し活からの卒業だったとしたら皮肉なことだ。

書き忘れていたが、推し活に熱を入れていたころの自分は明らかに生き急いでいたし、推し活イコール人生を全力で生きていた。同時に、いつ来るか分からない自分自身の死に対してはっきりと怯えていた。そして死の中でも特に、未練や執着を残した死を恐れていた。だからこそ、そのバッドエンドを迎える可能性を排除したかった。

私は推し活の過程において「きりの良い箇所」をいつも探していて、そこで区切ることは未練と執着を断ち切る絶好のチャンスだと考えていた。終わりのない推し活を長く続けるという目標は最初から存在していなかったため、後悔が感じられなくなるタイミングで辞めることが一番良い終わり方だと思っていた。後悔を感じないためには、それまでに渇望していたことを達成していくことが必要だ。そして、ある程度の場所に到達したときにそれより高い次元にある欲求を諦めること。区切りに差し掛かった時にどうするか?「やはりまだ後悔しそうだから更なる高みを目指したい」と思うか、「ここで引き返さなければ更なる深みに嵌りそう」と思うか?その自問を繰り返してきた。もはや強迫観念である。

推しの供給が月間ないし年間の一覧表として存在し、その全てを100パーセントとするなら、自分は何パーセントに参加できるだろう。限界を超えた努力で何パーセントに達し、何パーセントで妥協できて、何パーセントを下回ると不満なのかという計算に全力で挑んだ。そして満足に至るパーセンテージを(ここ数年)達成した。

手に入れられそうにないものは潔く諦め、手に入れられるものは絶対に手に入れることで満足を得られた推し活スタイルは、なんと要領の良いものだろう。ましてや都合の良いものだと言われれば否定できるところがない。完全に自覚できていなかったが、好きな気持ちを燃やして推し活をしているつもりなのに、その炎に別の何かを燃やし続けてきたことが浮き彫りになっていた。

ファンコミュニティにいると、好きであるなら骨身を削ることを良しとし、途中で脱落するようであればその程度だという価値観に囚われがちだが、合理性に基づく自分の存在がそれによって否定されるような気がして実は恐怖を感じている。反面、その価値観に否定されないための努力には、もう意味を感じていない。破局を失望なく迎えられる準備と、推しのいない世界を生きるための見通しができてしまったからだ。ここまで書いて初めて、終わらせるために始めることの刹那に気が付いた。私は「好き」との付き合い方について考え直す必要があるようだ。

「いつ辞めてもいいように推し活する」努力は、満足に向かって最短で収束する終活のことである。



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