映画の話しようぜ

 久しぶりにテレビを点けたら金曜ロードショーで「ズートピア」がやっていた。懐かしいな! 大学生の頃に映画館で観たぜ。1人で観た。1人だろ映画というものは。そういえば陽キャラみたいな中高生の集団がいっぱいいたな。忸怩たる思いだ。

 大学生の頃は、誰しもそうだと思うがうっすら映画監督になりたくて(うっすらなりたいよな?)、そういう目線で映画館に通っていた。

 「はいはいズートピア。ラセターは今回プロデューサーですか。ふぅん、さて、お手並み拝見といきましょうねえ……」

 「うぜえシネフィル」を気取っていた。せっかくならもっといいものを気取るべきだ。

 『シド・フィールドの脚本術』を買ってきてボロボロになるまで読んだ。ボロボロになる頃には傑作をモノにしているだろうという見通しだったが、単にボロボロになっただけだった。雑に扱ったりしてとにかくボロボロになるのを優先したが、ハリウッド流の脚本術にすごく詳しくなって終わった。誰か俺に「三幕構成」について質問してくれないかな、と思って日々暮らしている。

 「アリストテレスがさあ〜」
 「ミッドポイントってご存知??」
 「結局は『チャイナタウン』を観ろって話でね」

 と、受け売りをウザさたっぷりでお送りしよう。

 現に似てるかどうかわからないが、『シド・フィールドの脚本術』の文体には多大な影響を受けている。翻訳なんだが結構「読ませる」文章なのだ。

 他には『恋空』と『泣き顔にKISS』が俺の文章の基礎になっている。本人が言ってるんだからそうなんだよ。

 「ちょっとうまく行かないからって、人生を投げ出さないだろ?」
  『シービスケット』

 『シド・フィールドの脚本術』の各章は、著名な映画の引用から始まる。このチョイスがまた絶妙で、その章で語りたいテーマに関係する映画から抜き出してくるんだが、セリフ自体は本文にあんまり関係がなくて、単にその映画の一番良いセリフなんだろう。元になった映画を観たくなるようなチョイスをしてくれている。

 この本は、実は翻訳が「直訳っぽい」と評判が良くないのだが、英語版の原著を読んだらこの「引用」が存在しなかった。だとすると翻訳者はグッジョブだ。上に挙げた「シービスケット」のセリフなんて、よくそこを持ってきたなと感心する。実際の映画の中ではめちゃくちゃさりげなく語られるセリフなのだ。

 「君と一緒にいると、もっと良い人間になろうと思える」
  『恋愛小説家』

 「恋愛小説家」のクライマックスで、主人公がヒロインに言うセリフだ。主人公は精神的な病気を抱えていて、しかもそれでかなり厄介ごとを引き起こすタイプだ。行きつけの喫茶店で「自分の席(勝手にそう主張している)」が埋まってると、そこに座った客に延々と嫌がらせするような感じの……。そして、病院や薬も嫌いで、病気と向き合ってちゃんと治療しようとしない。そんな主人公だ。

 その男が、喫茶店のウェイトレスの女性に恋をする。主人公を唯一ギリギリ「厄介者扱い」しない女性だ。それでデートを重ねるんだが、デートのたびにムカつくことを言ってヒロインを怒らせる。最後、ちょっとマジで仲直りするためにまた南国風のレストランに誘い、やっぱりまた怒らせてしまう。

 「たまには私が喜ぶようなことのひとつも言えないの!?」

 と言われ、主人公はおもむろに、

 「最近、ちゃんと病院に行ってるんだ」
 「薬もすこしずつ飲むようにしてる」

 と語りだす。それを言われてヒロインは「??」となる。どういう意味? そこで上のセリフを言うのだ。

 「君と一緒にいると、もっと良い人間になろうと思える」

 「最高の褒め言葉だわ……」

 両方ともなんて良いセリフなんだ……と思って実際の映画を観ると、吹替とも字幕とも違うオリジナルの翻訳である。しかもちょっと意訳が混じってて、ぶっちゃけ特に「シービスケット」に関してはだいぶ意訳なんだが、でもこっちの方が「良い」のだ。

 「海が、夢で見たように、真っ青でありますように……」
  『ショーシャンクの空に』

 これもちょっとネタバレになるから詳細は言えないが、オリジナルの翻訳だ。でも吹替や字幕の訳よりずっと良い。『シド・フィールドの脚本術』の訳者の方には、この場で賛辞を送りたい。あなたの翻訳が好きです。

 兄弟姉妹(とくに兄か姉)がいる人はわかると思うんだけど、テレビで映画をやっていて「これは面白そうだぞ」と思ったところで突然チャンネルを回される現象はよくあったんじゃないだろうか。俺の場合は兄貴が2人いて、特に長男がチャンネル権を独占していたので、何本も途中で回されてしまった映画がある。

 「フォレスト・ガンプ」という感動の名作があって、日曜洋画劇場だったか、テレビでやっていた。俺が小学生の頃だ。

 トム・ハンクス扮する主人公がベンチに座っていて、隣に座ったおばさんに話しかける場面から映画はスタートする。

 「人生はチョコレートの箱。開けてみるまで中身はわからない」

 とのセリフは、名台詞として有名だ。

 主人公のフォレストは、知能と体に障害を持っていて周囲からいじめられる。さんざん酷い目に遭って、観てるこっちも「がんばれフォレスト! がんばれフォレスト!」と思って握り拳に力が入る。そこで例のアメフト場のシーンだ。脚に付けた装具が外れ、フォレストの知られざる能力がここで発揮される。誰も追いつけないほど足が速いことがわかるのだ。どこまでも走るフォレスト。自由への疾走。解放。カタルシス。序盤の名シーンだ。

 走れフォレスト! どこまでも走れーー!!

 ポチ。兄貴がチャンネルを回した。おい!!!! おいおいおいおい!!!!!

 「フォレスト・ガンプ」をここで観るのやめた人類、ほかに存在しますか!? なあ。こっからじゃねえかよ! 絶対にこっから面白くなるに決まってるじゃねえか! 忘れられねえ。忘れられねえよ。

 地味な名作でいうと「スリーパーズ」という映画がある。若かりしブラッド・ピットや全盛期のロバート・デニーロ、そしてケヴィン・ベーコン! ベーコンが悪役として最高に良い味を出している。

 「スリーパーズ」は、悪ガキたちがイタズラ半分にチンケな犯罪を犯しているのだが、ひょんなことで誤って人を殺してしまう。少年院に入れられ、ケヴィン・ベーコン扮する刑務官たちに性的虐待を含む非道な扱いを受ける。
 大人になった彼らは街のバーで偶然、ベーコン扮する刑務官に再会する。そして、暴力と法律によって刑務官たちに徹底的な復讐を果たす、というのがあらすじだ。

 これも小学生の頃、日曜洋画劇場でやっていた。

 イタズラから誤って殺人にまで発展してしまい少年院に収容されるところは、子供の頃の俺には、いつ当事者になってしまうかわからないリアルな恐怖としてスリルフルな展開だった。少年院はとんでもなく恐ろしいところだ、という噂は作中の少年たちも知っていて、主人公は「この街から逃げる」という選択肢も真剣に考えるのだが、デニーロ扮する神父に説得され、刑を受けて責任を果たすことを決める。逃げずに少年院に入ることを決意する主人公の悲愴な覚悟ぶりは、子供ながら俺にも伝わるものがあった。

 少年院に入り、周囲の体のでかい連中にさっそく暴力を振るわれるのだが、主人公は挫けない。ここでやっていくと決めたのだ。腹は座っている。

 そこにベーコン扮する刑務官が登場する。舐めるように主人公たちを眺め、なんなら舌なめずりもしてただろうか、すでになんか怪しげな雰囲気だ。そしてある夜、「秘密の部屋」に主人公たちは連れていかれる。刑務官たちに囲まれ、性的な虐待を受ける。

 感情のない声で、ベーコン扮する刑務官はズボンを下ろし、こう言う。
 「くわえろ」
 「ほれ。なにしてるんだ。くわえろ」

 この場面は、小学生だった頃の俺には具体的なことは何ひとつわからなかったが、とにかくとんでもないことが起こっているということだけがわかった。
 真っ暗な部屋に、「音」と嗚咽だけが響く。一生涯、脳裏に刻まれる悪夢のような……

 ポチ。兄貴はチャンネルを回した。おい!!!!! おいおいおいおい!!!!!!
 あのさあ!!! だったら最初から観るなよ!!!!!

 大学生の頃、ひたすらTSUTAYAに通って映画を観まくった。楽しみのひとつは、こうして兄貴に途中で回された映画を見つけること。そして続きを観て、ほら、やっぱり面白かったじゃねえかと思うこと。

 「フォレスト・ガンプ」も「スリーパーズ」も、「ショーシャンク」も「イエスマン」も、そうやって出会って、やっぱり面白かった映画たちだ。テレビでやってるぐらいだから簡単に見つかった。

 それで言うと、日曜の昼間にやっていた、骨の戦士が砂漠みたいなところで戦っている映画と、少年の頃から鍛え上げられた兵士が遺伝子改造された兵士に圧倒的な差を見せつけられる映画にいまだに出会えてない。詳細を知っている方はご教示願います。タイトルを教えてくれたら必ず観ます。

 今となっては良い思い出である。

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