その場にいられなかった人へ

 朝日新聞のコラムの欄「天声人語」は、603文字で毎日連載されている人気コーナーで、1904年に初めて掲載されて以来ずっと続いているそうだ。「名文」として知られ、文章力向上のため「朝の読書の時間」に天声人語の書き写しをさせる学校もあると聞いたことがある。効果があるかは知らない。

 かく言う俺も、実はこの天声人語のファンで、「朝日新聞速報」というまとめサイトで最新の天声人語のネタバレを毎日チェックしているほどだ。「新聞村」が閉鎖されたときはショックだったな。これからは文字バレで追うしかないのかと絶望したものだ。

 とくに好きなのは、俺が「天声人語式・話題ツイスト」と呼んでいるダイナミックな話題転換法で、たとえば天声人語はこうやって始まったりする。

 「1984年1月13日、銀座の木村屋というベーカリーで日本で最初のチョココロネが発売された」

 へー、そうなんだ。と思うような雑学をまじえたオープニングだ。ちなみに内容は適当だ。
 ここで続きを読むのをぐっとこらえて、視線を一気に左に、最後の文を読む。

 「岸田政権はこの春、正念場を迎える。国会での活発な論戦を期待したい」

 途中で何があったらチョココロネの話から政権の話にツイストするんだ? とワクワクしながら最初と最後の間の部分を読む。この急カーブの切れ味が鋭ければ鋭いほど「今回は調子が良いな」と思う。さらに最後に「政治の世界はチョココロネのようには甘くない」とかいって、ちょっと「伏線回収」してたりするともう大好き。あんまりツイストしてない回は俺の中で「ハズレ回」だ。

 「2023年 天声人語式・話題ツイスト大賞」を勝手に決めようと思って、去年の天声人語がまとまった書籍を読んでいると、1月14日「きょう共通テスト」というタイトルの回が目に止まった。今年は今週の土日が共通テストの日だな。

 その回は受験生に向けて「がんばれ」って言う回かと思ったら、冒頭に「子供の成長」の話をしてからこのように書いてあった。

 子のふるまいの成長ぶりに驚いたり、小言を言いたくなったり。そんな記憶をたどりながら、会場に向かう背中を見つめた親御さんも今朝はおられよう。
 大学入試の共通テストが始まる。未来の扉をあけようと約51万人が出願した。

「天声人語」2023年1月14日

 いきなり親御さんに向かって語りかけるとは。
 親目線のことなんて考えたことなかったな。さすが俺の天声人語。やるじゃん。

 もう太古の昔に大学受験を終えて、なにもかも「美しい思い出」になっている身からすると「若い人が頑張ってていいねえ」と、高校野球や大学駅伝でも見るかのような目線になってしまうのは「OB」として仕方のないことだ。

 「がんばれ」って色んな人から言われすぎてうぜえって思ってる当事者もたくさんいるだろう。甲子園のアルプススタンドでチアリーダーより全力で踊ってる暇そうな兄ちゃんみたいなもんだと思って許してもらいたい。ただ楽しくてやってるだけだから無視するといい。

 その場にいられなかった人へ。

 東大を目指して浪人生活を送っていた俺の親友は、浪人中に心の病気に罹ってしまい、しかもそのことを頑として認めない彼の父親に勘当され、ホームレス同然の状態で東京に出て、住み込みで肉体労働のアルバイトを始めた。

 当時「センター試験」と呼ばれたテストに、彼の姿は無かった。当然のことだ。もう彼は働いていたから。ちなみに今では彼は、彼が憧れていた組織で働いている。心の病気は一時期よりずいぶん良くなったみたいだ。

 俺が浪人生の頃に英語を教わっていた先生は、浪人生活が始まったばかりの4月、入試の直前に病気で亡くなった友人の話をしてくれた。入試の日まで持たないことはわかっていたが「勉強しかすることがないんだ」と泣きながら参考書を開いていたそうだ。


 怪我や病気や家庭の事情や、あるいは災害や、それ以外の様々な理由で、望んだはずの場所にいられないということがある。

 俺は2年留年した大学の卒業式に出られなかった。台無しにした人生を少しでも建て直そうと、もう大学からは遠く離れた場所で肉体労働をしていた。休みなんか取れるはずも無かったし、だいたい、華やかなだけの場所に俺が顔を出す勇気も無かった。

 昼休みに喫煙所でひとりタバコを吸いながら、Yahooニュースで俺の大学の卒業式の様子が伝えられているのを見た。春の陽気が燦々と煌めく昼下がり、前途洋々な若者たちへ贈られる「総長の式辞」を、タバコの煙が充満する工場の陰で読んだ。その場所にいられる人へ向けた、その場所にいる人のための「素晴らしい式辞」だった。

 俺の場合は俺が全面的に悪くてこうなったので(本気で)、「まあ昼休み明けまた頑張ろう」というだけのことだったが、たまたま運良く望んだ場所にいられた人というのは、その時点である意味幸福だ。俺はその場にいられなかった人へ向けて言葉を送りたい。

 この社会のどこかで、俺の想像も絶するような事情があったり、あるいは意外にちょっとした理由であったり、とにかく様々な背景を持ってこの苦しい世の中と闘っているあなたへ。どういう形であれ、運命に抗って真っ直ぐに立とうと踏ん張っているあなたを俺は応援している。応援がうざかったらすいません。無視してください。ちょっと端っこの方で祈らせてください。「健闘を祈るっ!!」「うるせえ!」「すいません……」

 僭越ながら俺は、せっかく同じ時代に生きて同じ景色を見ているみんなで、誰ひとり欠けることなくマラソンを完走したいと思っている。苦しみはみんなで分かち合いたいし、楽しいこともみんなで。

 孤独だと思わないでほしい。未来が見えないときは、俺の大好きな映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の「いつでも誰かが」を聴いてくれ。誰かがきっとそばにいる。俺もいるぞ。そのへんのどこかに。太ってる奴は大体俺だ。

 希望を失わないでほしい。希望だけは誰にも奪えない。映画でモーガン・フリーマンが言ってた。モーガン・フリーマンは信用の置ける男の役しかやらないから信用していい。

 望んだ場にいられないことを悲しまないでほしい。難しい注文をして申し訳ないが、きっとそこに何かがあると信じて闘い続けてほしい。疲れたら休んで。気が向いたらまた。それぞれのペースで。

 いつでも俺はそのへんのどこかにいる。ひとりだと思わないでくれ。最低でも俺はいるからな。ほんとに最低かもしれないが。

 きょうは共通テスト。何かの事情で受けられなかった人の、それぞれの場所での健闘を祈っている。あるいは休んでいるならゆっくり休もう。

 大学入試の共通テストが始まる。未来の扉をあけようと約51万人が出願した。

「天声人語」2023年1月14日


 いや、未来の扉をあけようとしているのは、共通テストに出願した者だけではないことを俺は知っている。

 だいじょうぶ マイ・フレンド。

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