もう二度と会わない気がする親友

 中学からの俺の親友に長男が生まれてもうすぐ2年になる。たまに会いに行くとどんどん大きくなって、前回出来なかったことが出来るようになっている。この間は初めて俺に挨拶してくれた。こんな俺でも人間扱いはしてもらえてるみたいだ。

 聞くと最近、「左手の存在」に気づいたらしい。「は、なんだこれ」「なんだこれ?」「ちょっと待てよ右手のほかにもう1個手がないか?」「てことはつまり……、従来の右手に加えて、もうひとつの手で様々な応用ができるぞ」というリアクションをして、それからこれまで片手で済ましていた用事を大いに両手でこなしているそうだ。

 そんなの最初からインストールされてるものだと思っていたが、そうか、左手の存在に気づくところから俺たちは始まったのかと感心した。すっかり忘れて当然のように両手を使っているが、1つずつ出来るようになってここまで来たのだ。

 曲がりなりにも社会に出てから今年で8年目のシーズンになる。いつも思うが、人間とは「出来なかった頃」のことを綺麗さっぱり忘れてしまう生き物らしい。
 新人や、与えられた仕事を出来ない人を見て、「どうして出来ないのか分からん」と言い出す連中をたくさん見てきた。「自分が新人の頃は言われなくても出来たのに」。

 嘘ばっかり。出来なかったんだよ、俺も、お前も。覚えてないだけだ。

 新社会人の方々におかれては、新人である今のことをよくよく覚えておいてほしいと思う。どんなことに躓いて、どんなことに困っていたのかよく覚えておいてほしい。そのときどんな気持ちだったかよく覚えておいてほしい。
 それで5年後10年後、新しい人に優しくしてやってくれ。「自分の頃より出来の悪い新人だ」なんて思うなよ。事実に反するから。何も出来ないところから始まったことだけは忘れないでいてくれ。

 30代になって、同世代の連中がSNSで「近ごろ入ってきた新人が考えられないミスをした」みたいな投稿をリツイートしているのをよく見かけるようになった。それの何がそんなに面白いのか、俺にはさっぱり分からん。
 社会に出たての頃は「こんな“老害”がいて〜」なんて言ってた連中が、今じゃずいぶん偉そうになったじゃないか。

 やれ誰それは「使える」とか「使えない」とかも頻繁に耳にするお年頃だ。「使う」ってのは一体なんの話だ。人間に向かって放っていい言葉かね? いつからそんな偉そうに、他人をどうこう言えるようになったんだろう。同じ時代を生きてきた連中のそういう言葉に、俺は心底がっかりしている。

 かくいう俺も数ヶ月前、就活が全盛の時期に、就活生らしき人のnoteを読んでいてはっとした。「就職活動」というものの根本的な奇妙さに疑問を呈するような記事だったんだが、俺も若い頃そんなふうに思ってたなあと思うのと同時に、俺の中に湧いてくる感想が「社会側」「企業側」の目線に立っていることに気づいた。
 昔だったら「その通りだ! ぶっ壊そうぜ兄弟!」って思ってたに違いないのに。

 30を越えると、自我が知らず知らずのうちに「仕事」とか「社会」に吸収されていく。もうそろそろ俺の自我も完全に消え去るだろう。怪物になってしまう前に、若い方々には「後は頼んだ」と言い残しておきたい。俺が人に対して「使える」とか「使えない」とか言い出したら、ためらわずに殺してくれ。そういう人間にだけはなりたくなくて生きてきたのに、もう腕がモッサモサの毛で満ち満ちている。あと数年もすれば俺は完全に怪物になるだろう。そうならずに生きてゆく方法を、いつか誰かが見つけてくれることを祈って、俺は泣きながら山奥に消えてゆく予定だ。

 「おれ、キンタマ。よろしくな!」
 「……!?」

 大学生の頃、俺は京都に住んでいて、東京から親友が泊まりに来ることになった。浪人時代を1年間一緒に過ごした親友中の親友で、今でも定期的に会っている。

 彼はバンドに入っていて、インディーズでかなり良い感じの存在にあることは聞いていた。そしてもう少しでメジャーデビューかもしれない、という状態だった。ちなみにそのあと本当にメジャーデビューして、今では結構売れてるバンドだ。

 そんなバンドでも地方のライブハウスに呼ばれて演奏するときは、交通費も宿泊費も自前でやるもんらしい。ネカフェに泊まったり車中泊したり。行く先に友人知人がいたら、泊めてもらうのが一番マシなのだ。

 3年ぶりぐらいに会う親友だから積もるエピソードをたくさん用意してワクワクしていたら、そいつからメールが飛んできた。

 『もう1人のメンバーも連れて行っていい?』

 よくないに決まってるだろ。なんで3年ぶりに会う親友との水入らずの会合に知らん奴連れてくんだよ。めちゃくちゃ気ぃ使うだろ。しかも売れてるバンドの中心メンバーだ。なんかイケてる感じの奴だろどうせ。嫌だなあと思って『ええ、マジ?』とか返した。

 しかし「絶対気が合うと思う」という親友の押しに負けて、仕方なく許可することにした。気が合うとしてもな……。そいつも俺と気が合う奴ならこういうとき遠慮しろよ。気乗りしないまま一応UNOとかを用意して、最悪UNOのコンテンツ力で一夜を盛り上げようと画策した。

 集合場所の出町柳駅前のコンビニで初めて顔を合わせたときには、「もう1人のメンバー」、仮に「もっちゃん」としよう、もっちゃんにめちゃくちゃ謝られた。もっちゃんも親友の押しに負けて仕方なく着いてきたらしい。親友は相変わらず「絶対気が合うと思うんだよなあ」と言ってる。もっちゃんはちょっと顔を合わせて帰るつもりだったらしい。

 もっちゃんのこのテンション感が既に良かったので、せっかくだから泊まってけよと言って家まで一緒に帰る。もっちゃんは長年の伊集院リスナーで映画好き、熱狂的な横浜ベイスターズファンで、性格はどちらかというと暗めでひねくれている。そして言葉の端々に「笑わせよう」とする意思を感じる。「こいつ俺だ」と思った。俺がもう1人いる。違うのは俺がロッテファン(当時)なことぐらいだ。

 全ての話題が俺の興味のある話題で、俺が話すことにいちいち「めちゃくちゃ面白い」と腹を抱えて笑ってくれる。俺が中学生のころ夢見た「俺の分身」がそこにいた。会って早々、クソ楽しいのだ。

 そのあとは親友そっちのけで、もっちゃんと夜が明けるまで語り続けた。当時の俺の持論、「本当に気が合うなら『好きな食べ物』の話題で盛り上がれるはずだ」という説の通り、気がつけば9時間ぶっ通しで好きな食べ物の話をしていた。
 もっちゃんの繰り出してくる「カラムーチョうまくね?」や「ヨーグルトうまくね?」が俺に刺さりまくった。本当にその通りだ!

 俺も溜めに溜めたエピソードトークを差し挟み応戦する。めちゃくちゃ笑ってくれる。もっちゃんも高校時代の唯一の友達「キンタマ」の話で応戦してくる。キンタマしか友達がいなかったらしい。よりによってキンタマだ。そのキンタマとの出会い、入学式の直後に突然廊下で呼び止められてキンタマが自己紹介してきたときの会話が、上に挙げた「おれ、キンタマ。よろしくな!」だ。俺の持つ全てのエピソードより面白いその話が、今でも忘れられない。

 もっちゃんは埼玉県民だったから、俺が埼玉に帰るときに誘えば会えたんだが、お互いに「俺」なのでめんどくさがって2人で会うことはなかった。結局親友のバンドが京都に来るときに、親友と3人で会うのが何回かあったぐらいだった。それもどんどん彼らは忙しくなっていって、会っても1時間とかそれぐらいだった。

 それからもっちゃんは色んなことがあって、そのバンドを脱退した。連絡が取れなくなってどこかへ消えてしまったのだ。事情が事情なだけに、俺も深くは詮索しなかった。本当に色々あったらしい。

 もっちゃんに最後に会ったとき、3人でペーパーナプキンの切れ端にサインを書いた。俺以外の2人はすでにちょっと有名人だったが、俺はただの留年大学生。もっちゃんのメガネのサインと、親友の名字をもじったサイン、そして中央に「俺」と漢字で書いた。その頃から俺のサインは「俺」と決まっている。

 別れ際、いちばんオススメの本を貸し合おうという話になった。オールタイムベスト、お互いに自分の分身とも言える本を貸し合った。俺はヴォネガットの『スラップスティック』、もっちゃんは胸ポケットからカバーの取れたボロボロの文庫本を貸してくれた。サローヤンの『パパ・ユーア・クレイジー』。

 今でも大事に取ってある。素晴らしい本だ。読み返すたびに、この世界のことを好きになる。そしてこの本を好きだと言ったもっちゃんがたまらなく好きだと思える。

 「我々のルールは、我々の手に入る全ての愉しみを愉しもう、というルールなのさ。ただし、一人の人間も傷つけないでだ」

『パパ・ユーア・クレイジー』

 きっと今でもどこかで、もっちゃんは元気に、いや、かなりひねくれた感じで、もっちゃんなりに生きてるんだろうか。親友によれば、少なくとも生きてはいるらしい。それならよし。

 勇気が挫けそうになるたびに俺はもっちゃんのことを思い出す。この空の下のどこかにいる、もう二度と会わない気がする親友。いつたまたま遭遇しても、彼にダサいと思われないように、面白いと笑ってもらえるように、変わらない自分でありたいと思っている。

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