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駐在帯同5年目。私の心のモヤモヤを乗り越えてきた方法とは?

「駐妻になるのを選んだのは自分でしょ?」
「日本でのキャリアを続けて、夫と離れて暮らすという選択肢もあったでしょ?」
「駐妻になるって決めたのは自分なのに、何で今更悩んでるの?」

夫の海外駐在に帯同して、早5年になろうとしています。そのほとんどの間、私はモヤモヤしていました。ようやくその心の霧が晴れて、この”第2の人生”を楽しめるようになったのは、ここ1年以内のことです。

冒頭の言葉は、そんなモヤモヤの最中に友達から言われた言葉でした。正直、グサっときました。しかし、そのおかげで、私の中でも気持ちの整理をすることができました。

「”駐妻”になるのを選んだかは分からないけど、夫の駐在に帯同しようと思ったのは、確かに自分。」
確かに、夫を一人で行かせる選択肢は自分にはなかった。」
確かに、私は何に悩んで、何にモヤモヤしてるんだろう。」

私が何にモヤモヤしていたか、何の消化不良で悩んでいたか。それは、「長年勤め、自分を捧げてきた会社にとって、私はそれほど価値のない存在だということを、なかなか受け入れられなかった」ということです。

夫の駐在が決まったとき、私はその会社に10年以上在籍していました。正直、自分は会社から評価されていると思っていたし、夫の赴任先には、自分のこと会社の支社があるし、「きっと会社は、私を異動させてくれるはず」と勝手に思い込んでいました。しかし、答えはNo。色々な理由をつけて異動できない理由を説明されましたが、納得のいくものではありませんでした。非公式にですが、「駐妻になったら、今までのように働けないだろ。残業だって思いっきりできないだろ。」と言われ、「そうか、そういう見方がされるのか」と悲しくなりました。

心のどこかで、私はこんなに会社のために尽くしてきたのだから、会社はきっと私のために”異例の対応”をしてくれるはず、と期待していたんです。

しかし、私は、異例の対応をしてもらうに値する社員ではなかった。その価値はなかった。当時の私は、そんなふうに思い、落ち込み、その現実をなかなか受け止められずにいました。

今思えば、その会社の考え方や姿勢が私にフィットしなかっただけの話なのに、当時の私は、その会社と一心同体会社が全てだったので、会社が私を要らないという判断をしたと、その事実を受け入れることがなかなかできなかったのです。

結果的に、帯同休職を約1年取りましたが、休職の間は、お給料がゼロなのにも関わらず、健康保険等の支払いは続けなければならないという状況で、毎月毎月、会社の口座にお金を振り込む度に、「私は会社の席を守るためにこの”お布施”を払い続けているのか…。本当にその席を守る必要ってあるんだっけ?」と思うようになりました。

結局、帯同先の国で転職活動をして、日本の会社を退職。私の”第2の人生”が始まりました。

結果的には、「海外で働いて、海外で稼ぐ」ということができて自分の自信にもなりましたし、大学院に行くことにも繋がりましたし、今の「幸せを感じることのできる自分」に繋がっているということで、結果的には良かったのですが、それまでの気持ちの整理には正直、ずいぶん時間がかかりました(4年かかりましたからね!笑)。

日本でバリバリとお仕事をされていた方で、パートナーの駐在帯同に際して、「スッキリ!何も悩みはありません!後悔なし、最高です!」と言っている方に、私はお会いしたことはありません。皆さん、何かしらの想いを抱えながら、どよーんと暗い気持ちと闘いながら、必死に次の一手を考えたり、実行されています。

「駐妻になるのを選んだのは自分でしょ?」
「日本でのキャリアを続けて、夫と離れて暮らすという選択肢もあったでしょ?」
「駐妻になるって決めたのは自分なのに、何で今更悩んでるの?」

確かに。正直なところ、当時の私は、仕事に満足していなかったし、自分のキャリアに”行きづまり感”を持っていたので、夫と離れて暮らしてまで、守るべき日本でのキャリアはありませんでした。「夫についていく」と、「日本に残って自分のキャリアを守る」という2つを天秤にかけたとしても、き、その答えはハッキリしていました。そう、結局、私は、自分自身のキャリアへの行き詰まり感、やりたいことが見つからないことが、そもそもの問題だったんだと思います。

当時思った解決策が、「駐在帯同すれば、現状を打破する一手になるかもしれない」でした。それなのに、頼みの綱だった会社は異動させてくれず、自分の中で次にやりたいこともなく、悶々とした気持ちを引きずったまま、帯同生活が始まりました。そう、結局、私は、やりたいことが見つからないことにイライラ、クヨクヨしていました。それを会社のせいにしていた。

要は、私は、会社や自分以外の何かに依存していたのだと思います。

会社にはこんなに尽くしてきた(自分が勝手に、一方的に)。
会社からは評価されていると思っていた。
会社に引き留めてもらえるほどの価値が自分にはなかった。

自分の仕事にワクワクしない。
他にやりたいことももない。
とりあえず、現状打破のために駐在について行こう。何か変わるかも。

変わらなければならないのは自分なのに。
やりたいことを見つけるのは自分なのに。
自分の価値を認めるのも自分なのに。

いつのまにか、会社と一心同体のサラリーマン・マインドセットが染み付いていました。

駐在帯同は、「キャリアの転機」です。そして、それは急に訪れるものではないでしょうか。自分が思い描いていたキャリアプランを突然根本から崩すものだったりします。そして、決めたのは自分のはずなのに、なかなか消化できないモヤモヤした気持ちに悩まされたりします。

ぜひ、自分をモヤモヤさせ、悩ませるものの根幹は何なのか、原因を探ってみてください。私自身、決して気持ちの良いものではありませんでしたが、「長年勤め、自分を捧げてきた会社にとって、私はそれほど価値のない存在だということを、なかなか受け入れられなかったんだ」ということに気づいたとき、スッと心が楽になりました。

私たち人間には防衛反応があります。つらい気持ちになると、その辛さを抑圧し、なかったことにします。しかし、心の奥深くには辛さは存在し続けるので、それがちょいちょい悪さをするのです。それが、モヤモヤであり、どよーんとした気持ちです。どうしたらよいか、それは、抑圧させた気持ちに気づき、根本原因を認識し、心の表面に引っ張り出して認識し、受け止めること。そして、昇華させるのです。

私が本記事でお伝えしたかったのは、会社への恨み辛みでは全くありません。自分なりの昇華までの経緯です。

そして、私たち”駐妻”へのエールを送りたいと思っていました。もし、私のように、なかなか消化できない想いをお持ちだとしたら、「それって、もしかして、こういうことではないですか?」と、私の例でお示ししたかったのです。

ご自身に当てはまっても、当てはまらなくても、「あ、そういうことか…」と思えるだけでも、少しは楽になると思いますし、「私の場合は違うな、でも何が違うんだろ…」と向き合うきっかけになれば、それはそれで意味のあることだと思うのです。

駐在帯同は、何年続くのかも分からないし、住む場所が変わるというだけでも、相当な心身の負担が伴います。それに加えて、自分が大事にしてきたキャリアを、急遽、転機にさせざるを得ない状況になります。

ぜひ、自分に優しくなって頂き、「この変化は相当なものだ」と認識されてみてください。そして、周りに頼り、一人で抱え込まず、「ふざけんな!」という心の声にも蓋をせず、上手く乗り越えて頂きたいです。

私は4年かかってしまったけれど。

…ということは、帯同期間が4年未満であれば、帯同期間中にはモヤモヤを消化できず、未消化のまま、また日本に戻る、ということもあるかもしれませんよね。ぜひ自分に優しくなりましょう気合いで乗り越えられるものばかりではないと思います。

以前暮らした国では、日本人眼科医は1人しかいないのに、心療内科の日本人医師は3、4人いる、ということがありました。それだけ、当地で心の健康を崩す日本人の方が多いということだと思います。

駐在帯同5年目。やっと、自分のことをこうして書けるようになりました。そして、「私と同じようにモヤモヤを抱えた駐在帯同の方の、お役に立てたらいいな」という想いをずっと温めてきたなかで、ようやく今回の記事を書くことができました。それを嬉しく思います。

最後に。もし、あなたの周りで駐在に帯同することになった方がいらして辛そうだったら、「決めたのはあなたなんだから、何今更悩んでるわけ?」とは仰らず、「何かあったらいつでも連絡してね」と温かいお言葉をかけて頂けたら幸いです。

お付き合い頂き、ありがとうございました!


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