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教えたい、気になる、は「余計なお世話」かもしれない

電車で見えたお隣さんのスマホ

年を取ると老眼になるから。スマホは文字が大きい人が多い。近眼だった人はメガネを外してみるからそんな必要ないかもしれないが、眼が良かった人はさっぱり見えない。いちいち老眼鏡を出すのも大変だから、設定で文字を大きくする人も多いようだ。私は遠近両用メガネを使用しているからそういうことはないけれど、わたしよりスマホを駆使している妹は私のスマホの文字の4倍くらい大きな文字だ。

電車に乗って座った際に、隣の席にいた高齢者が持っていたiPhoneでLINEを開いたのが見えた。

今、診察が終わった
これから会計

などなど、自分(その人)が送ったLINEが見えた。
その人はそれを確認してから、右上の三本線をタッチした。
写真、動画、ノート、ファイル、等々の画面が出てきた。そして、じーっとそれを見ている。それが結構な長時間。1分?2分?

戻りたいの?
左側の三角だよー

と思うけど、さすがにそれを言うと、まるで覗いてるみたいだから言わない。覗いているんじゃなくて見えちゃっただけだし…(苦笑)。
でも私は気になってたまらない。
横目でチラチラみていたところ、しばらくすると、三角をタップして前の画面に戻った。
そこでまた、さっき見た相手とのLINE画面を、再びまたじーっと見ている。またまたそれが結構な長時間だ。

何なに?
何がしたいの?
教えてあげるよー

私はそうは思うのだけど、覗いているみたいだから(苦笑)じっと我慢。
さっきより長い時間がたち、しばらくしたら、ご自身でタップしてひとつ前のいろんな人が出てくるトーク画面に移った。

ふーっ。
こんなふうに気になってたまらない私は、つくづくお節介なんだなぁと思う。

お節介は、余計なお世話

今の時代、そういうお節介が役立つことももちろんあるのだろうけど、私にとっての今回の学びは、待っていればちゃんと自分でできるんだ、ということ。
要は、余計なお世話だということ。

私たち定年女子は、長く働き続けたせいで、すぐ解決しようとする。なぜなら仕事で成果を出すことを求められてきたから。だけど求められていないのに教えてあげなくていいのだ。
時間がかかっても自分でできればそれが一番いい。
自分でやることによって、さらに覚えられるだろう。
だけどこっちがイライラするからつい手を出してしまうのだ。
知ってるから教えてあげたくなっちゃう、のだ。

こういう行為はおっさんの専売特許かと思っていたけど、いやいや、女も一緒ですね(汗)。
特に働き続けてきた定年女子の場合は。

もちろん、求められれば教えてあげればいいのです。
子どもの頃、自分でやりたいと思っているのにやってくれちゃって、つまらなかったという経験がある人いませんか?
「自分でやる~!」と泣いている子どもを見たことありませんか?
子どもだけじゃない。何かの機械や道具なんかも、使い方をいろいろ教えてくれるけど、結局のところ自分でやってみないと使い方が覚えられないってこと、ありますものね。

シニア層に特化した人材会社の人が、面接で延々と自分の経験やスキルを話す人が多い、と言っていたことを思い出します。
そういう人は、結局採用されない、と。
話し続けるその話、相手に求められているかどうかわからないですものね。

今日、隣のおじさんのスマホを覗いたことの私にとっての学びは、
①じっと待つことの重要性
②言いたくなっても、それを相手が求めているかはわからない
の二つ。
すぐ言いたくなるのは、こちら(=私)の問題で、その話を求められているかどうかはわからないということですね。

はい、肝に銘じます😅

さて、結局その後彼は、またまたじーっとスマホ画面を見てから電源を落とし、さらにしばらくしたら、スマホをあちこち見たり触ったりしてから再び電源を入れました。
そこで電車を降りてしまったので、その後何をしたのかはわかりません。
それにしても・・・
何か見たら、いちいち電源を落とすの?
それともただ電源のオンオフをやってみただけ?
やっぱ私はいろいろ気になるのです。

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