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アメリカからきた出羽守(ではのかみ) キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事制度講座(50)

過去に配信したメールニュースを再掲しているこのシリーズ。第50号は「50号記念」と称して、発行以降の振り返りやアンケートのご紹介をしていました。さすがにこれは再掲してもあまり意味がないかなと思って、今回は改めて作成してみました。なのでこの号だけは書き下ろし(?)

出羽守ってご存知ですか

「またでたよ。まったくあの人は出羽守だから」という言い回し、最近はあまり聞かないでしょうか?(「あぁ、あの鉛筆を削ったりするやつ?」と思われた方、それは「肥後守」です…)
出羽守…読み仮名をつけるとすれば「ではのかみ」。ここの「は」は副詞なので発音上は「wa」になります。なので発音上は「でわのかみ」になります。まぁ、むしろ出羽守というのは当て字というか、駄洒落のような物でして、たとえば本社から子会社に出向してきた人が「本社ではそういうやり方はしない」とか言ってみたり、転職してきた人が「僕が前いた会社ではこうでした」と言ってみたり、やたらと以前の職場の話を引き合いに出すようすを「では」が多いので「ではのかみ」と呼んだというものです。

そしてこの出羽守、多くの場合、言うだけで実際に何かするのかと言えば口出しをするだけという人を指すことが多いです。”ちょっと面倒くさいやつ”、”鼻につくやつ”と言った感じのネガティブなイメージをまとっているといってもよいでしょう。わざわざ直接指さないで、こうした隠語を使うこということ自体、あまりいい意味ではないということが分かりますね。
あぁ、そういう人なら知っている、となりにいますという方も多いのでは? 
本社や他社のうまい進め方、ノウハウを教えてくれるという点ではこの出羽守はありがたい存在ではあります。なのに、なぜ困った感じの存在になるのでしょう?

困った化する理由…

一つは先にも記したように、自分では取り組まない点。
「○○ではこうやっているよ」というとき、そのやり方を知っているのはその話を持ち出している出羽守しかいないわけです。なので、「そう仰るならやってみて下さい」と思うわけです。なのに言うだけでそっから先は他人まかせというのでは、言われた方も何だかなぁと言う感じです。「○○では」というのであれば、ぜひ手を動かしてみて欲しいところです。

また、仕事は効率よく進めるのがよいですし、多くの人は効率よく進めたいと思っています。ただ、その効率は、同じやり方であればどこでも同じかというとそうではなくて環境によりけりなのです。その環境はハードウエアがどれほど整っているかということもあるでしょうし、人手の多寡というのもあります。お客様の多さや取扱商品の程度というのもあります。そうした環境の制約もあってやり方が決まってくるということもあるのです。ですから本社ではできてても、支社や支店では同じようにはできない、というかその職場にあったやり方の方が効率が良いということもあるのです。そのあたりの事情も汲まずに正論を言われても…というのもあります。
もちろん、部分最適が過ぎて、その職場ではというよりもその担当者が最も進めやすいやり方になってしまっていて、同じ職場の他の人にとってはあまり効率的とは言えないことになっていることもあります。そうところに先のような「言うだけで手は動かさない人」がやってくると、「仰っていることはその通りなのですが」ということになってしまいます。

それは本当に解なのか?

もう一つ困るのは、その方法が必ずしも正しいとは限らないこともあるということです。キャリア開発だけでなく組織開発や人事、業績管理…およそどの領域でも顔を出すのが米国からいらっしゃる出羽守。「米国では…」と仰る。米国は日本より20年進んでいるという話を聞くこともあるのですが、たしかに米国は日本よりも進んでいるかもしれません。
しかしながらすべての領域において進んでいるわけではないと思いませんか? 例えば高齢化した社会における問題解決。この領域においては日本の方が先に問題状況に突入しているわけです。まぁ、手を拱いている間に抜かされてしまったということかもしれませんが、今の米国にソリューションがあるようには思えません。

ソリューションということで言えば、例えば、ダイバーシティに関すること。確かに日本よりは進んでいるかもしれない、でも解決していますか? 未だに課題が山積しているままではありませんか? うまく行かないところも含めて学ぶのであれば大いに意味はありますが、「米国ではこうやっている」といわれても、はいそうですか、とは言いがたいところがあると思っています…。
もちろん、我が国にソリューションがあるわけではないので、やらなければいけないことはたくさんあるのです。ただ、出羽守がきてあたかも「米国ではこうやっている。これが正しいソリューション」といわれてもはいそうですねとはいえないと思います。
最近の話で言えばジョブ型人事制度なんかもその一つ。カウンセリング領域でも「○○理論」だとか「○○法」だとかでも同様かと。
念のために申し上げますが、まったく役に立たないと言っているわけではありません。むしろ学ぶところ、研究すべきところは多いと思います。ただ、無批判に「米国では」といって引用するのはそろそろよした方が良いのではないかなと思うのです。

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