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橙色、ときどき勿忘草色

先日、大学の友人に会いに行った。大学から実家が15分にあったわたしの普段の行動範囲はとても狭くて、まだ生まれてこの方電車通学・通勤をしたことのないわたしは(あまり信じてもらえないが)「誰かに会いに行く」ということには気力も体力も必要だ。家が大好きで、小さい頃は「かれんちゃんのお尻には根が生えてるんちゃう。」と父に言われたほどだ。旅行は大好きで、世界どこへでも休みとお金があれば文字通り飛んでいく。そんなわたしが、友人に会うために飛行機に乗り込んだ。

今日は仙台に住んでいる大切な友人、「はるちゃん」のお話。はるちゃんは、彼がつけた彼女の呼び名で、わたしは普段彼女を本名で呼んでいる。

はるちゃんは大学1回生のときからの友人で、もうかれこれ6年の仲になる。実際文字にしてみるとこんなもんか、と思うし、6年間の中で会った回数も実はそこまで多くないのも意外…でもないか…学生時代、狂ったように予定を詰めていたわたしたちが会う回数は周りの友人たちに比べてかなり少なかったと思う。彼女とは学科が一緒で、教職の履修登録に苦労しているときに出会ったことを昨日のことのように覚えている。第一印象は「この子と友だちになりたい。だってきっと楽しいから。」だった。

6年の中で、わたしたちがでかけた回数はそれこそ1〜2回。神戸に1回行ったっけ。旅行には行ったことがない。よくやったのが、ひとり暮らしをしている彼女の家に泊まりに行き、ほぼ夜通し話し、夏も冬もシングルベッドで肌を寄せ合って眠り、朝とも昼とも言えない時間に起きて買い物に出かけるというもの。大人になったら過ごし方は変化するかなと思っていたけど、この前の仙台も過ごし方はまったく変わらなかった。仙台まで行って、夜は家で仲良く餃子をするくらい落ち着いた仲なのだった。

はるちゃんとはいろんな話をする。軽い近況報告のあと、それぞれの話を深堀りしていく。先日は…というかいつも、恋バナが一番盛り上がる。わたしは彼の話をした。「付き合ってもいないのに、家族になりたい。最近ダブルベッドを買おっかって言っててね。」というわたしの話をまるでそれが普通のことのように、うんうん、と聞いてくれる、家具屋さんはるちゃん。はるちゃんは、いつもそうなのである。どんな話をしても、しっかり受け止めてくれる。英語でいうとacceptな感じ。でもこれは、彼女が家具屋さんで働いていて、色んな家族を見ているからではないと信じている。

はるちゃんと彼は似ている。これはもうふたりともに話してあることなのだが、雰囲気、話す内容、感性等が似通っているように思えて仕方がないのだ。彼が「夕方の、夕暮れ時が一日の中で一番好き。」と言った2日後、彼女が同じことを言っていたように。仙台にいた晩、はるちゃんと話してほしい、と思ったわたしは彼に電話をかけて、はじめましてをしてもらった。その時、彼に、「あなたが言ってたこと(夕暮れ時が好きなこと)と同じことを、はるちゃんが言ってたよ。ね?」と言った。そうするとはるちゃんは「うん、そうそう。さえりさんの本でね〜…」と、わたしたちのお気に入りのライターさんの本を取り出して、さえりさんの「青い時間」とはるちゃんが小さい頃に名付けたその時の名が同じだったことをわたしたちに教えてくれた。夕暮れ時がすきな彼も、彼と出会ってはじめてそう思えたわたしも、「すてき、すき、はるちゃん〜〜〜。」となって、やはり彼と話してもらって正解だと思った瞬間だった。最初は、「家族になったら互いの友人と仲良くしたいしな、第一弾!」という軽い気持ちで、仕事終わりの彼は疲れていそうだったし、嫌がるだろうかと思っていたけれど、彼はその「声でのはじめまして」を文章に残すくらいにはるちゃんのことが好きになってくれた。はるちゃんも、急に話に出てきたわたしの彼と急に電話がつながって嫌がるだろうか、と思っていたが、好きな小説や詩の一節まで読んでくれて、とびきりの笑顔が見られた。総じて、第一弾は成功といえるかな。

はるちゃんと彼が似ていると思うのは、「人間関係の内と外」かもしれないと最近思う。はるちゃん曰く、彼女は内と外がはっきりしている人らしい。めったに人を家に上げないし、彼女の人間関係は「家族」の枠・「友達」の枠・「職場」の枠とはっきり仕切られているらしい。はるちゃんは会う人会う人ひとりひとりに違った表情を持っていて、話題もひとりひとり分けているらしい。普段ひとにおすすめをしないというのも、とても意外だった。彼女は「わたしの好きなものはわたしの主観で好きなのであって、それを話したところでじゃない?」と言う。だから、電話でたくさんの作家さんや彼らの詩集や小説をおすすめしてくれたことがあとからとってもうれしくなったし、学生時代から彼女のおすすめをたくさん聞いていたわたしは、とてもしあわせな人間なのではないか、と帰りの飛行機で心躍らせた。わたしの目には橙色に映る彼女からは想像ができないけれど、そうやってひとと距離をとって生きているらしい。その想像ができないのは、彼女が友人ひとりひとりのことを、職場の人ひとりひとりのことを、とても大切にしていることが伝わるからかもしれない、とも思う。はるちゃんは、わたしのことを漢字の名前で呼ぶ。もちろん、声だけのときはわからないのだけれど、ちょっと変わった名前なわたしはひらがなで呼ばれることも多いし、漢字で呼ばれることはめったに無い。先日出会ったわたしの彼のことも、決して誤字することなく、漢字で呼んでくれる。この、内と外を感じさせない、やさしい、ひとへの気配りこそが彼女らしさであり、わたしははるちゃんがだいすきだ。

普段、彼とわたしは第三者の話をたくさんする。だから、わたしたちのLINEにはたくさん、ひとの名前が登場する。はるちゃんもそのひとりで、仙台に行く前から、はるちゃんはこんな子でね〜〜と紹介をしていた。わたしは彼がひとを紹介するときがとても好きだ。もちろん、一切の悪意を感じないし、愚痴なども聞いたことがない。そして、どうして彼はこんなにも善意、良心…なんとも言い表せない、ひとへのあたたかくてやさしい思いで溢れているのだろうと思ってしまうほど、そのひとへの「すき」をさまざまな言い方で話してくれる。普段は、はるちゃんと同じく、彼も漢字まできっちり、そのひとのことを教えてくれる。ここが、彼らの似ているところであり、わたしの彼らへの好きの一因なのだと思っている。

彼からはちゃんと言葉できいたわけではないからはっきりしたことはわからないけれど――これを今晩の話のネタにしたい――、彼にもきっと内と外があるのだと思う。そのひとにしか見せない顔があって、そのひととしかしない話がある。普段はそれを人と共有することなんてないのだろうし、だからこそ昼間たくさんの人と話す仕事をしている彼は、顔中の表情筋と頭にたっぷり疲れをためて帰ってくるのだろう。そうか、だから夜のひとりのYoutubeタイムが必要で、ひとりの時間がなによりも大切なのだろうな。ずっとふたりで過ごした週末はよくパンクをする彼の気持ちもわかったような気がした。

ひととの距離感を大切にしている彼ら。それと対極にいるのが、わたしだ。わたしはひととの間の壁を壊すのが得意だ。過去の人にもほかの友人にも、もちろんふたりにも、当然最初は壁があって、壁が邪魔をして本当にしたい話ができないとき、でもその時が仲良くなるタイミング、そのひとが仲良くなるべきひとだと確信したとき、わたしは壁を壊しにかかる。最初は勇気がいるけれど、一度壊しかけてしまえば、大抵の場合、自然にその壁は崩れてとけてしまう。はるちゃんのときも、彼のときも、同じように壁を壊した。こうして壁を壊しにかかった友達に間違いはない。そのときに出会って仲良くなるべきひとに巡り合わせてもらっているだけなのだろうと思うけれど。

ふたりと過ごしていてとても嬉しいのは、彼らが対極にいるわたしとかなりたくさんの時間を共有してくれているということ。はるちゃんとは、日本中どこにいてもどちらからともなく連絡を取り合い、時々電話をして、互いが誰を想い、なにを思っているのかをなんとなく知っている状態を保っている。彼女は、時々「わすれられていないかな。」と感じさせるのがうまい。まさに勿忘草色(わすれなぐさ、forget-me-not)に映るからこそ、連絡しようと思うのだけど。彼とは最近毎日――にランクアップしつつある――電話で繋がり、朝までそのまま一緒に迎える。Youtubeタイムはどこに行ったんだろうと気にはなるけれど、彼の寝息を実際に耳に感じるのと、以前までのように想像するのとでは安心の度合いが桁違いだ。

ありがとう、ふたりとも。ありがとう、わたしのハンマー。あなたのおかげで、彼らの深いところを知ることができて、似たふたりが出会うことができた。この勇気という名のハンマーは死ぬまで、いつでもいつまでも振るえるようにしっかり離さないで持っておきたいと思っている。


P.S. ただ、彼はすべてのひとの名前を語るわけではない。過去の人の話をするときは、決して名前を言わない。結局わたしが聞いてしまうのだけど、ふわっとぼかして、わたしの記憶に残らないようにしてくれているんだろうな、と勝手にやさしさとして解釈している。そういう配慮の行き届いたところが、またわたしのなかの「すき」を増やしていく。


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