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「めざせ人生のソフトランディング」介護四姉妹に親の介護のホンネをきいてみた

carewillでは、carewillの活動に共鳴いただいている方等と「パートナーセッション」として対話する機会を持っています。今回は、2021年5月に行ったパートナーセッションの記事です。ご両親の介護についてブログやSNSで発信されている、介護四姉妹をゲストに迎え、お話を伺いました。参加くださったのは、長女ゆるねえさん(介護福祉士)、次女ちゅうちゃん(ケアマネージャー)、三女もよさん(資産管理担当)の3名です。

今回は連載の前編として「介護四姉妹にとって介護って何?」といった話をとりあげます。後にケアウィルのオーダーメイドも体験された四姉妹の、介護当事者としてのリアルな気持ちをぜひ最後までお読みください。

四姉妹と介護のブログ


◆認知症の母と進行性核上性麻痺の父を「在宅」で介護して18年


――まず自己紹介をお願いします。

もよ:はじめまして!私達は、神奈川県の実家で親の介護を18年続けている四姉妹です。今、認知症の母は要介護5で施設にいて、進行性核上性麻痺という神経性の難病を患う父は要介護5。長女ゆるねえが今は父と同居してくれていて、次女、三女、四女は通える距離に住んでいます。訪問の各種専門職(ヘルパーさん、訪問看護、訪問診療、訪問リハビリ、訪問歯科さん等)に代わる代わる来ていただきながら、姉妹が交代で在宅介護しています。ツイッターをきっかけにケアウィルの活動を知り、大変感銘を受けました。

――18年とは長いですね。
ゆるねえ:はい。母の認知症が18年前に発症して。母の介護は父と当時同居していた四女けろたんが中心となって行っていました。他の姉妹も時々実家に行っては起きる事件(!?)に一緒に対応していました。がんこな父は、母の病気を認めたがらず、病院に連れていくのも一苦労でした。父は5年ほど前に進行性核上性麻痺と診断され、歩行や会話がままならなくなっていきました。私達姉妹も各々家庭や仕事がありますから、このままでは両親の二人暮らしが立ち行かなくなるため、母には施設に入ってもらいました。

でも、当時の父は母に強く叱ることが多く、母にとっては、今の施設での生活の方が、心理的安全性が保ててよいのではと思っています。コロナでなかなか叶いませんが、母には時々帰宅してもらって父との対面を果たしています。

――ご両親は会話はできるんですか?
ちゅうちゃん:いいえ。母も父も、今は言葉らしい言葉はなく、私達の顔を見ても特に反応はありません。寂しいですが、心のどこかでは感じてくれていると信じるしかないです。


◆「在宅介護」を選んだ理由


――なぜ「在宅介護」を選んだのでしょうか。
ちゅうちゃん:父はエンディングノートも遺言も残していないんです。唯一の方針めいた言葉は「自然に」。


――「自然に」!短い言葉ですね。
ちゅうちゃん:はい。昭和一桁の父は寡黙かつ頑固な人で(笑)
病気が進行する中、「一体どういう終末期を送りたいのか」は姉妹でパズルを繋ぎ合わせるように、想像するしかありませんでした。父は病院嫌いで、リタイア後は家族のことを気にかけるのが仕事のような人でした。姉妹が皆で想像した結果、父にとっての「自然」は、自分の眼が行き届くところで、家族の生活音や声を聞きながら過ごすことではと考えました。

ゆるねえ:また、父の病気の特性を考え、誤嚥性肺炎で入院したとしても治療が済んだらすぐ退院してもらいました。神経性の難病なので丁寧な口腔ケアや、食事の姿勢の調整等、急性期の病院では時間をかけて行うことが難しいケアが必要です。

父の場合、入院が長引いたり、施設に入所するということは、父ひとりに長時間のケアを割くことが難しいため、時間軸を一気に縮めることになる。「自然に」が叶うように、四姉妹で父の言葉の記憶と想像力で考えてやってきました。


◆めざすのは「人生のソフトランディング」


――タイトルにある「人生のソフトランディング」について説明いただけますか。
もよ:父は会社員時代は航空関係の仕事をしていたんです。

飛行機と気象が専門だった父のことを想像し、私達が目指す「自然に」という形は「人生の軟着陸(ソフトランディング)」だ!と思考が行きついて。人生の幕を下ろそうという終末期。飛行機の「墜落」にならないように、飛行機がゆっくり降下しながらも、窓の外の景色を楽しみながら過ごせること。それが「人生のソフトランディング」だと思いました。そんなイメージを姉妹で共有したら、スーッと1つの方向を向けるように。

――心から「いい旅だった」と思えるような時間を過ごすことですね。
ゆるねえ:はい。どんな終末期を過ごしたいかは人によるんだと思います。
親が元気なうちから雑談の中で、終末期についての考え方を聞き出しておくのがよい気がします。社会情勢や医療、介護的ケア法は変化していくので、どう考えるかがポイントかと。もちろん、親が元気な時に「延命治療はいらない」と言ったとしても、それぞれの状況の中でどこまでどうするかはとても微妙な判断の連続です。最期が近づくにつれて、本人のことを知る人たちが想像しながら決めていく、そんな関係性を元気なうちから作っておくのが大事ではと思います。

――人生会議にも繋がる考え方ですね。ケアウィルが抱く思いとも繋がっています。

◆家族・訪問介護等が一体となったチーム介護の秘訣とは


――四姉妹は昔から仲が良かったんですか?チームとして協力し合う秘訣は何でしょう。
ゆるねえ:昔はよくケンカしてましたよ!(笑)私は就職と同時に実家を出ましたし、結婚して遠方に引っ越したので、無責任な姉でした。連絡が密になったのはそれぞれの子供達が夏休みに集まってディズニーランドに行く等、家族ぐるみの活動が増えたころから。

もよ:「無責任」なんて実際はそんなことは全くない。近くにいる家族が現状をこまめに共有して、遠方にいる姉も遠方からの支援をできる時にしてくれました。

ちゅうちゃん:ゆるねえは3か月に1回位実家に来てくれて、近くに住む私達が日ごろ行き届かない事(例えば母の服の買い出しとか)をわーーっと整えてくれたり。

もよ:父の診断が下りた日の話し合いで、ちゅうちゃんが「介護はみんなで」と言ってくれたのも大きかったよね。

ゆるねえ:四女の管理栄養士のけろたんも、父の嚥下障害の進行に合わせて、食事の固さや喉落ちを調整したり、父が好きなフルーツをいかに食べてもらえるか、食べる喜びを感じられるか、食の面から支えてくれました。さりげなく栄養も足してくれました。

お互いが得意でやれることを自発的にやっていました。「私はここまでやっているのに」なんていう人はいなかったし、「ありがとう」が全員のベースありました。
チームワークは長年の積み重ねで培ってこられたのかな、偶然の産物と思います。

――地域の訪問介護やショートステイを利用したのも大きかったとか。
ゆるねえ:はい。介護サービスの利用は、ちゅうちゃんが先を見据えて担当のケアマネジャーさんにオーダーしてくれました。姉妹だけでは到底できない介護体制を整えてくれたのは本当に大きかったです。

もよ:ゆるねえが同居してくれてからは、ゆるねえが病気の進行を把握して、介護福祉士さんへのケアの変更を細かく連携してくれました。介護福祉士さんたちも、いつの間にか強力なチームとして一体となってケアしてくださいました。


◆四姉妹の悩みと思い


――四姉妹さんの介護を見てるととても立派な気がします。
ゆるねえ:実は在宅介護をしていると言うと、「すごい」とか「とてもそこまでできない」といった声をいただくことが多いんです。実際は、たまたま四人で得意分野の分担が出来ていたり、介護の後半は父が自分で動けなくなり身をゆだねてくれたことだったり。偶然が積み重なって、父の底力もあって、何とかやれている感じです。

――ブログやツイッターでも情報発信されていますね。
もよ:介護は、情報があるかどうかで、判断や気持ちの面で大きく違います。

あくまでも私達の場合のやり方ですが、乗り越えながらやってきた失敗談や経験談がどこかの介護家族のお役に立てばと思って書いています。

ちゅうちゃん:介護はケースバイケース。決して私達のやり方が全てではないけど、情報がない中で選択肢を知らないまま後悔をする人が多いのも事実なんです。


◆キーワードは「割り切り」「できる範囲」「各自の生活を犠牲にしない」


――在宅介護は24時間ずっと対応しなければならず大変なのでは。
ゆるねえ:父は病気の特性上転倒が多かったです。自分の力で動ける時は勝手に歩いて転倒して、何度も頭を打ったり。四女けろたんが帰宅した時に床に転がって立ち上がれなくなっていたことも。救急車で運ばれたこともありました。

家の中の事故で亡くなってしまう可能性もあったんですが、それなら運命だからどうしようもないという「割り切り」をしていました。

――割り切りする、しない、の境目はどこにあったんですか?
もよ:父の部屋に「見守りwebカメラ」を取り付けて、皆で時々スマホで画像をチェックして、父が倒れていたらその時近くにいる姉妹が見に行く。住宅改修で段差をなくしたり、家具の角にクッション材を取り付けたりもしました。

ちゅうちゃん:私達の場合、「できる範囲」で「各自の生活を犠牲にしない」という共通認識を持っていました。介護を理由に離職することは父が喜ばないと分かっていたので、できるだけ各々が普通の生活をして、24時間そばにいなくても何とかなるよう仕組みで工夫しました。

ゆるねえ:父の性格や歴史、戦中戦後を経験した考え方がわかっていました。頑固で依存心がなく「かまうな!」と怒る人だったから割り切れた部分があります。

――carewillの笈沼さんも親の介護に思いや後悔を抱えています。
もよ:笈沼さんがお父様の介護で感じた原体験はとても共感するものがあります。ただただうなづくしかないほど。

ゆるねえ:もしかしたらうちの父はもっと早く亡くなりたかったと思っているかも。

――そんなことは絶対ない!
ゆるねえ:そうだといいですが。昭和一桁生まれの長男で、家族や親族を守る立場の人だから、おむつなんかつけてる姿を見せたくなかったと思っているかも…なんて思うこともあります。でも痛い、苦しいをできるだけ排除し、おむつでもケアで快適にすることで孫の成長がみれたでしょ!って言い返しちゃいます。


◆失敗や経験がどこかの介護家族のお役に立てば


ゆるねえ:後悔しないように、でもその思いが行き過ぎていないか、自己満足になっていないかという視点も忘れずないでいきたいです。
いつ何があるか分かりませんが、父の眼を見ながら、父が苦しくないように、苦しくないように、と考えてやっていこうと思っています。

もよ:あくまでも私達の場合としてですが、ブログの経験談も読んでいただけたら嬉しいです。私達の試行錯誤が誰かのお役に少しでも立てば、両親もきっと喜んでくれる気がします。

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皆さんのお話を伺っていると、「チーム介護」という言葉が脳裏に浮かんできます。介護される側であるお父様も、介護する側の姉妹も「自然に」。後編では、そんな皆様からみたケア衣料ブランドcarewillについて、お話を伺いました。そちらもどうぞお読みください。


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