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家のドアを叩く必要がある人

0.これだけ浮世から離れると

amazonとかいわゆるネットショッピングがすごく便利で、うちのマンションのポストはいつでも満員御礼。もうマンションのエントランスからでなくても、ポスト越しにものが手に入る状態。いつしか人間に、100mを9秒で走る脚力はいらなくなる今日この頃。

1.誰がうちに来てくれるのか?

来客のためのリビングとか、食器、お菓子も用意しておかないとね。なんて時代は我が家にはなく、お客様を迎え入れる準備に乏しい。もちろん、そんな不義理を十年以上やっていると、我が家のピンポンを押してくれる他人さまは、ピンポンダッシュしたいガキだけだ。いや、マンション住まいは、ピンポンダッシュのガキにも不人気で、部屋番号を押さないとピンポンならないから、押されもしない。我が家のピンポンは、こうして、クロネコヤマトさんや、佐川急便さん、その他、配達屋さんの指紋だらけになる。浮世から離れるということは、そういうことか。

2.振り返ると

我が家のピンポンは、僕の存在をはるかに超えたモノとカネの交換窓口としてしか存在しない。たとえるならば、パチンコの交換所のようなものだ。まれに玄関よりも内部に侵入してくれるのは、火災報知機に多大な興味を持つ警備会社の方だけ。来客がないということは、家のリビングは書類の山と、カプリコのカスだらけになり、堕落した生活に見える僕は『公私ともに堕落している』と他人から烙印を押されそうになる恐怖とともいることになる。普段はだらしないけど、難しい本に囲まれながら、脚立の上でページをめくっているような生活を想像させる僕でありたいのに、そういった妄想すら許されない状態におかれる非寛容な社会ではもう、生きていけなくなる。なんとなく、老後が見えて来る非リア充の生活だが、実は多くの高齢者世帯は似たような状況だと(希望的観測をもって)考えている。であるならば、高齢者に会おうと家のピンポンを押す人はめったにいない。そう、本人に会うために押されるピンポン割合は減っているに違いない。そして、ご本人が要介護状態に陥ったときに、本人に会うためのピンポン頻度が異常に上がってくるのだ。

3.と、すると。

要介護状態でおひとり暮らしの高齢者のことを考えると、仮に、週2回の通所介護、週3回の訪問介護、月2回の訪問診療、月1回のケアマネ訪問。実に22回/月で自宅のピンポンが本人に会うための目的で鳴らされることになる。冷たいコンクリートジャングルで生き延びているアーバンライフの飯塚にとって、ベンチマークすべきは、おひとり暮らしの要介護高齢者であり、世の中の幸せのKPIが、『あなたには月に何回、あなたに会うために訪問してくれますか?』ってことだとすると、完敗である。つまり、僕はそれなりに不幸なんだ。

そもそもこれだけの人があなたに会うためにピンポンを鳴らしているなら、クロネコヤマトさんとか、佐川急便さんではなくて、訪問介護員がウーバーすればいいんじゃね?って思うよね。夏に一本、お茶を持っていくクロネコヤマトではなく、もっていって、一口飲むところを確認する介護職員の方が価値が出せると思うのね。

平成28年9月の『在宅介護実態調査』試行調査結果【抜粋版】によると、1.要介護度の重度化に伴い、『訪問系』を組み合わせたサービス利用が増加しており、2.『訪問系』サービスを利用する方は、『施設等の検討・申請割合』が低く、3.『訪問回数の増加』に伴い、介護者の『認知症状への対応』『夜間の排泄』の不安が軽減し、4.『訪問系サービスの利用者』では、介護者が就労を『問題なく、続けていける』との回答割合が高い、上に、5.『訪問回数の増加』に伴い、介護者が就労を『問題なく、続けていける』との回答割合が増加、している。

4.本人のためになる訪問で生活を支えるために

訪問介護は、訪問して介護をする目的のために行われる。平成30年3月30日付の通知では、老計10号の一部改正が行われたが、依然として『訪問介護』は、介護をするための訪問である。少し制度をずらして、小規模多機能型居宅介護の『訪問のサービス』は、生活を円滑に行うための訪問であり、労計第10号の縛りを受けない。訪問のスタッフが便箋をもって、高齢者と孫のために手紙を書く時間も、仕事として許されるものである。小規模多機能以前の高齢者の生活では、応援がないとそういった健康で文化的な生活を営むために、『通所介護』内でしかできず、したがって、1時間でかける手紙のために6時間ほど拘束されるなんて話もざらにある。要介護高齢者は文化から切り離される。この国の文化的な生活は、高尚なもの(少なくとも自立した生活を営むことができるもの)になる。どきゅんには許されない状態である。多くの町民に文化を許さないような国は貧しい。うわっ滑りにキラキラしているものだけが文化を謳歌できるとしたら、それ自体が文化ではなく、仮面舞踏会である。文化と共に生活を艶のあるものにして、最期まで生きる。そのための応援を介護職はするべきだ。そう、高齢者宅のピンポンを押している以上、そこに、物質だけではなく、文化をも届ける。そういった仕事になっていくとよい。

5.で?

僕も一緒にやっている株式会社LYXISでは、高齢者や、僕たち世代(アラフォー世代)が親などに感じている『テレ』と『罪悪感』を突破してあらゆる世代の幸せを願う事業を行っています。高齢者にもっと艶のある生活を空くってほしいと思っている介護事業所の方や、介護職員はぜひ、お問合せください。

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