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日本に逃げ帰ろうと思った日

とにかく日本に帰りたい。

青年海外協力隊としてベリーズに派遣されて200日が経った頃,そんなことを思っていた。

あれから1か月経って,あの時の気持ちを振り返ってみたくなったので,この書きかけだった記事を書き上げてみる。

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社会人3年目に入った頃
日本での少年院の教官としてのキャリアをストップして(なんなら結婚やら出産諸々も...チャンスを見送り)27、28という人生の1番華やかな時間を青年海外協力隊として過ごすと決めた。

たいそう意味のある2年になるはずだと
大いに期待して日本を出ることを決めたのだ。

決断から休職の承諾を得るのに一年ほどかかり、試験を受けて合格、派遣に至るまでに更に一年ほど、ここ最近は「青年海外協力隊」が人生の最優先事項になっていた。

いろんな人が背中を押してくれた。職場では後輩たちが私の穴を埋めるべく必死に働いて帰りを待っていてくれると言ってくれた。

そして、ようやく来れたベリーズ

しかし、
いざベリーズの少年院で活動を始めてみると想像していたそれとは違った。

違ったというよりは,
想定内の困難が待っていただけなんだけど。
それを何としてでも乗り越えてやろうという気持ちが萎えてしまったというのが正しいかもしれない。

萎える原因は山ほどあった。ここには書ききれないほどに。

こんなことに耐えて2年過ごす意味があるのか?と思わずにはいられなかった。だったら,日本に帰ってシステムが整った日本の少年院で,一人でも多くの子どもの矯正教育に携わりたいと思ってしまった。時間を無駄にしたくないという気持ちがすごく強かった。活動する意味を全然感じられなくなっていたから。

そう思ってしまった日から1か月が経つ。
不思議なことに今は「帰りたい」気持ちがおさまって,2年間の任期を全うしようと思えている。

あんなに帰りたかったのに。

配属先との話し合いもうまくいかず,上司にも理解されず,時に攻撃も受けて,,山積みの問題点は一向に解決していかない。「何をしに来たんだろ」「来た意味がない」「ほかの人が来ればよかったかな」そんなマイナスの言葉が、心に渦巻く中,私をベリーズに引き留めたのは配属先の少年院の子どもたちだった。

ベリーズにきて,何一つ変えられてないと思っていたけど,確かに変わったことが一つだけあった。

それは子どもとの関係だ。

はじめは片付けや授業態度について細かいことをたくさん言って,子どもから嫌われていたけれど。今では,何も言わなくても片づけをするようになったし,話も前に比べたら聞くようになった。全く感じなかった「リスペクト」を感じるようになった。授業以外の時間もお話をしたり,一緒にご飯を食べたり,時にはくっ付いて甘えてきたり,心の距離も近くなった気がする。

これは,唯一私がこっちに来て起こせた変化だと思う。

それに気づけたとき,少なくとも子どもたちにとっては「いてよかった存在」であれるかもしれないと思った。目の前の子どもたちにちゃんと全力で向き合う。日本の少年院でやってきたことと同じだけど,シンプルにそれは意味があることだし,人生の27.28の二年間を費やす十分な理由に思えた。

こっちに来た時,日本の少年院を知っている分,私が何とかしなきゃと背負い込んでいたけれど,そんなの簡単じゃないに決まっている。

だから焦らず,まずは目の前のこどもの教育に集中することにした。任された授業をしっかりこなす。それだけ。協力隊の目的である「技術移転」にまで辿りつけないかもしれないし、ただのマンパワーかもしれないけどれど。それでもいいかなと。(ボランティア派遣初代だしという言い訳も添えて、、)

そうして子どもに起きた小さな変化が,いずれ上司や同僚に伝染していけば,十分

日々考え方も,気持ちも変化していく協力隊生活だけど,いまはそんな気持ち。また帰りたくなった時のために,ここに残しておく。

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