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青年海外協力隊/ベリーズ派遣2019.4〜2020.4/これまでの人生で最も濃い2年の…

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青年海外協力隊/ベリーズ派遣2019.4〜2020.4/これまでの人生で最も濃い2年の記録/忘れっぽい私の備忘録/協力隊以外のことも書き始めました/

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  • ドコドコベリーズ

    「ベリーズってどこ?」から始まった26歳女子の挑戦

最近の記事

感情のログをつけるin少年院

青年海外協力隊として ベリーズに派遣されて11ヶ月。 私の担当するアートクラスでは 感情(エモーション)のログをつける 「Emo-Log(エモログ)」という活動に約半年取り組んできた。対象は12歳から17歳までの少年院に収容されている男子女子生徒だ。 今日はこの活動について, 振り返りも兼ねてじっくり書きたいと思う。————————————————————— エモログの始まりベリーズに限らずだが,少年院に送られる子どもの多くが「感情のコントロール」を課題とする場合が多い

    • 「英語さえできれば、、」なんて嘘

      青年海外協力隊として ベリーズの少年院に派遣されて10か月目。 課題は現場に山積みなのに 大した変化も起こせず 時間ばかりが過ぎ、焦り それでも, まあ出来ることを一つ一つ やってやろうじゃないか という覚悟を決めたころ。 ある改革者が配属先にやってきた。ザ キャリアウーマン!って感じの女性で 今まで会ったベリーズ人の中で一番 しっかりしている気がした。 彼女は配属された最初の1か月ほどで, 施設内の問題点を洗い出し, 次の一か月で手際よく改革案を作り上げた。 その

      • 散々もめた上司との”最後の1週間”が終わった。

        青年海外協力隊としてベリーズの少年院に派遣されて9か月が経った。この9か月,さんざん頭を悩まされたカウンターパートと呼ばれる上司が退職した。 カウンターパートという存在青年海外協力隊には「カウンターパート」と呼ばれる相方みたいな存在があてがわれることがある。(配属先によってさまざまだけれど)カウンターパートは,隊員が帰国したあとも,隊員の代わりに活動を継続していく存在である場合が多い。 協力隊ボランティアをずっと必要としている状態ではなく,最終的にはボランティアから技術を

        • 日本に逃げ帰ろうと思った日

          とにかく日本に帰りたい。 青年海外協力隊としてベリーズに派遣されて200日が経った頃,そんなことを思っていた。 あれから1か月経って,あの時の気持ちを振り返ってみたくなったので,この書きかけだった記事を書き上げてみる。 …………………………………………………… 社会人3年目に入った頃 日本での少年院の教官としてのキャリアをストップして(なんなら結婚やら出産諸々も...チャンスを見送り)27、28という人生の1番華やかな時間を青年海外協力隊として過ごすと決めた。 たい

        感情のログをつけるin少年院

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        • ドコドコベリーズ
          22本

        記事

          異国で“時間通りにミーティングを“なんて主張して嫌われた話

          青年海外協力隊として ベリーズの少年院で活動を始めて7ヶ月。 -------------------------------------------------------- きっと何の気なしに 上司の口から放たれた 「授業は時間通りに始めて」という言葉 幹部だし一応言っておこうかくらいの ほんのかるーい気持ちで言ったんだろう。 その言葉を間に受けた私と時間なんて守れない上司との話。異国で働き出して7ヶ月。 時間通りにいかないことは当たり前。 1人必死に時間通りにしよ

          異国で“時間通りにミーティングを“なんて主張して嫌われた話

          “雨のち晴れ”のサイクルが早い

          悪いことがあっても きっとその内いいことも起きるさ のスタンスで日本で生きてきて 本当にいいことも悪いこともある日々だった ベリーズに来ても、やっぱり同じで いいこともあれば悪いことも起きる。 ただ日本に比べてベリーズの方が そのサイクルがめちゃくちゃ早い 悪いことがあった1時間後には いいことが起きて元気になる その10分後には再び悪いことが。 でも大丈夫。また数時間もすればいいことが。 何でかなあって考えてみたんだけど きっと感情の感度が上がっているからだと思っ

          “雨のち晴れ”のサイクルが早い

          “先生が生徒を選ぶ“ことへの違和感を失いかけていた。

          ベリーズの少年院に派遣され3ヶ月 インストラクターの1人として 正式に授業を持ったのは今月が初めてだ。 今月はsummer campと呼ばれる プログラムが行われている月で 普段とは違う時間割で授業が行われている。 フラワーアレンジメント ドラミング ラップ 家具作り ネイル ペーパークラフト アクセサリー作り クッキングクラス いろんなコースから 子どもたちが興味のあるコースを選択する。 (ここまではなんだか素敵な感じ) 私が任されたのは ペーパークラフト クッキン

          “先生が生徒を選ぶ“ことへの違和感を失いかけていた。

          「ふるさと」はココだった。

          10年ぶりに行った 地元の歯医者での話を書く。 青年海外協力隊の派遣前訓練が終わって 実家に戻っていた時だ。 出国までの間に 歯医者に行けと言われていたので 診察券を引っ張り出してきて 10年ぶりくらいに 地元の歯医者に行ってみた。 医院長は弟の同級生の親だし 歯科衛生士は妹の同級生の親 とはいえ、 流石に10年経ってるし 気づかれることなく 一患者としてサラッと 診察を終えるのだろうと思っていた。 けれど、 そんなことはなかった。 診察券を出してしばらくすると

          「ふるさと」はココだった。

          ウェルカムモードのところ申し訳ないが英語ができないのだ。

          表敬訪問ということで 所属先を管轄している省の事務所に 挨拶に行った。 担当のダイレクターは わたしの顔を見るなり 嬉しそうな笑顔で迎え入れてくれる 「待っていたのよ」 「会えて嬉しいわ」と 私の履歴書を改めて見返し更に 「色んなことができると思うわ」「楽しみね」 とワクワクしてることが ガンガン伝わってくる。 それが嬉しい 一方で頭にチラつくのが 英語力問題だ。 どう考えても 活動の障害になるのが英語 絶望的に聞き取れない クレオール訛りの英語 そして 絶望

          ウェルカムモードのところ申し訳ないが英語ができないのだ。

          初の海外生活が始まる〜ベリーズで何やろっかな〜

          今回は要請から少し離れて ベリーズで挑戦してみたいことを 思いつくままに書き出しておこうかなと。 断っておくと、 活動について何も考えていないわけではない ただ情報があまりにも少ないので 「何をするか」「何ができるか」は 現地に入ってからもう少し 練る必要があると思っている。 きっとどの隊員もそうだけど。 活動の方針が決まったら、 またシェアしようと思う。 では、ここからは 私がベリーズで挑戦したいこと 1年後くらいに現状報告できたらいいなあ。 1 英語で高度

          初の海外生活が始まる〜ベリーズで何やろっかな〜

          反応への感度を上げて,あがり症との戦いは休戦だ。

          人前で話すのが苦手と思っていたが 正確には「反応のない場で話すことが苦手」 だったことが判明した。 今日は反応の感度について、考えてみる。 あがり症に悩む人は少なくない。 私ももれなくその一人である。 ぱっと見「元気」「パワフル」のイメージを 持たれることが多いので「あがり症」というと信じてもらえないことが多い。 でも正真正銘のあがり症だ。 中学時代は,教科書をみんなで順番に読んでいく形式の授業が大嫌いだった。シーンとした中で、自分の声だけが響くあの感覚が怖かったし、

          反応への感度を上げて,あがり症との戦いは休戦だ。

          台本がないと授業ができない

          授業をしている時が一番好きだった。 計画通りに行くことなどほぼないが それがいい。 同じ単元の授業をしていても、 前回とは違う授業が生まれる。 最後に伝えたいことは、 単元ごとにあるのだけれど そこに行き着くまでのプロセスが 生徒の反応によって毎回違う だから授業が好きだった。 「授業は生き物ですね」と前に私に言っていた人がいたけど 本当その通り。 台本をただ読み上げるような 「死んだ授業」はしたくない。 そう思っていた。 でも、訓練所で 英語を使った授業を

          台本がないと授業ができない

          感覚的に生きてきたけど,言語化を試みる

          訓練所にきて, 「ボクシング朝みんなに教えて」 と言われることがあった。 しかしながら,わたしにはそれができない。 なぜなら 全て感覚的にやって来てしまったからだ。 ボクシングを習い始めた時、 会長から手取り足取り教えてもらったけれども それらは 言語として頭の中に入るのではなく 感覚的に体に入った。 なんどもやって体で覚えた。 だから どうやって言語化したらいいのか 悩んでしまう。 塾の講師を4年,現職を4年 「先生」と呼ばれて8年だ。 「教えること」を仕

          感覚的に生きてきたけど,言語化を試みる

          異国で自分ができること

          二本松での訓練が始まって6日 訓練所の環境は最高だ。 個性豊かな候補生らと講師陣のお陰で 次から次へと色んな感動や発見が訪れる だけども 目の前のことを見逃さないようにと必死で, それらの経験が熟成させる前に指の間から、 するするとこぼれ落ちていく感覚に 焦りも感じている。 ようやくの休日,今日はどこにも出かけずに 「頭を整理する日」としよう。 今回は テクニカルの授業で打ちのめされた話を書こうと思う。 青年海外協力隊の派遣前訓練で 「英語」を訓練する場合。

          異国で自分ができること

          いざ、参ろうか。

          青年海外協力隊2018年度4次隊の 派遣前訓練が福島県二本松で 明後日から始まります。 この日をどれだけ待ち焦がれていたことか よーーーーやっとです。 ある程度の英語力を付けてから この訓練に臨むはずが まあ、予想通りというか期待通りというか 大したことのないまま本日を 迎えてしまいました。 これまでの人生で なんど「今度こそ」と思って 英語を学んだことか、、、 でも今度こそです。笑 ここでやらなかったら 一生やんないですよね、 というか現地で恐ろしい目に合いそうで

          いざ、参ろうか。

          そろそろ“面白い人”になりたい。

          クラスには ムードメーカーと呼ばれる人が 一人や二人存在するものだ (わたしはというと人生で一度も このポジションについたことはない。) 中学生の頃にも ムードメーカーはいた。 彼らは、3人組だった。 周囲とは少し違った空気を纏っていた。 大人にも見えるし 無邪気な子どもにも見えた。 不思議な中学男子3人組。 当時「メーリス」という メールの機能が流行し始めた頃だった。 メール一斉配信できるあれだ。 クラスや部活の連絡事項を一斉に送るのに便利だった。彼らもあれを使ってい

          そろそろ“面白い人”になりたい。