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信州松本と飛行機たち

ingress mission「信州松本と飛行機たち」18連についてのガイド。
スタート地点:イオンモール松本、ゴール地点イオンモール松本
シーケンシャル、各ミッションの最後が次ミッションのスタートポータル。
時限なし、季節限なし。

信州松本と飛行機…地方都市として飛行場がある、日本一標高が高い空港で、日本一離発着が難しいとか、飛行機に詳しい人ならそう思うかもしれない。しかし、それ以外に秘められた?歴史がある。

まずミッションの出発点はイオンモール松本、ここは以前のカタクラモール(ジャスコが入っていたショッピングモール)、その前は製糸工場(後述)と研究所で、その広い土地を使ったのだった。片倉は戦前まで準財閥と言われた製糸業で栄えた企業、今でも存続している。学生の頃1929年を私は「いっくにく昭和恐慌」と覚えた、世界恐慌、ぴよぴーよ速報によく出てくる「全世界の国が突然貧乏になりまくった(ソ連以外)」という謎のアレだ。日本の戦争期を15年戦争、と言ったりするから、まぁこの翌年から戦争が激しくなってくると、そういう時代。それまでは、大正ロマン、虫から分泌される繊維・シルクを世界に売りまくってまぁまぁ栄えていた良い時代だった。女工哀史、なんていう本のタイトルもあるので、女性の職工は苦労していたのではないかという方もおられるかもしれないが、そうでもなかったと言う経験者の方もおられて、結局は今と同じ、ブラック企業もあればホワイト企業もあったみたいなことなのかなといつも思う。いつでも人はポジショントークで話すからね。なので、本稿では松本でも行われていた戦闘機関連工場等建設に関する強制労働については触れない、もちろんそんなことがあってはならなかったことだし、これからもそうだ。

「常識の範囲内でお使いください」ってジブリ太っ腹よな

さて、ジブリの「風立ちぬ」を見た方は多いだろう、脚本はもちろんフィクションだが、堀越二郎という人は実在した、本庄季郎という人ももちろん。彼らは東大から三菱(名古屋)に入社、もちろん堀越はゼロ戦・A6M零式艦上戦闘機の主任設計者(主務者)だ。太平洋戦争が始まる、1941年・昭和16年に始まったこの戦争は、1945年・昭和20年8月に終わる。

話は1944年(昭和19年)の12月の名古屋から始まる。7日に遠州沖大地震、13日には名古屋三菱(今のナゴヤドームあたり)が空爆される、ダブルパンチどころか戦争末期の食料・物資不足に加えてのトリプルパンチだったろうな…(陸軍50連隊テニアン島(松本山岳部隊)玉砕(44年8月)、硫黄島の戦い(45年2月))。なので翌年の2月には三菱がごっそり疎開する、行先は…信州松本だった。もともと飛行機部品の工場もあったし一日がかりとはいえ電車…当時は蒸気機関車、で一本だったし。敵の本土上陸攻撃があるのは必至で、すでに松代(現在の長野市・エヴァで3号機が暴走したところねw)では首都・大本営移転の工事が始まっているから南の備えになるし。
しかし機械工業と言えば信州諏訪だが(例えば時計のSEIKO・現セイコーエプソン)、7日の大地震は諏訪にも大打撃を与えていた、諏訪は震源地から遠いが、地盤が弱い土地があってかなりの被害があった。また、諏訪湖が良い目印になってしまい空爆の標的になりかねない、ということもあったのかもしれない。

堀越も本庄も松本に移ってきた。たった半年の間だが、日本の飛行機製造の中枢が松本になった。堀越の部下には東條輝雄というエンジニアもいた、前年まで首相を務めていた東條英機の息子さん。この人と堀越二郎は後に戦後初の国産旅客機YS-11の開発にも関わった。1982年からはYS-11が松本空港ー大阪空港(伊丹)を結ぶ。
多くのエンジニアたちは戦後、飛行機設計を禁じられ新幹線などの電車の設計に携わった。今では多くの日本の新幹線、電車が世界中を走っている。リニア新幹線は松本へは来なかった(来る計画もあったのだが…)。

さて、話を戻そう。果たして1945年8月までに松本で組付けが完成された機体はあったのだろうか?あったとしたら「A7M烈風」なのだが、これはどうも怪しい点がある。松本市のこのページによれば、この機体は松本にあったとのことだが、別のページによれば全く同じ写真が青森三沢のものとなっている。しかし、松本で烈風を進駐軍に引き渡したという証言は確かにあったようだ。

ただ、空想してみる。時の世界最高峰の最新鋭機が、風立ちぬのように牛で松本空港(現在の空港より東寄りにあった)へ運ばれてゆく、万が一の空襲を避けて夜間の運送だったろう。そして、同じエンジニアたちの作った国産機YS-11が37年の時を経て、同じ地に舞い降り、飛び立つ…

さて、私が若いころ聞いた話。話してくれた人は小さいころに松本空港から、特攻機を見送ったそうだ。戦闘機ではない、その飛行機は複葉機の九三式中間練習機・通称赤とんぼ。戦争末期には練習機まで特攻攻撃(Kamikaze attack)に駆り出さねばならなかった。彼の言ったことを今でも覚えている「練習機だからね、遅いんだよ。ずっと、見送っているんだけど、飛行機の音がね、いつまでもいつまでも聞こえるんだ、赤い機体(オレンジ?)がねいつまでも見えるんだ…」

さて、もう一つの信州松本と飛行機たちの物語はロケットエンジン戦闘機「J8M秋水」である。実際には運用されなかったが、ジェット戦闘機ですらない、ロケットエンジン戦闘機であった。ドイツが開発したこの戦闘機の資料を日本は手に入れることができた、戦争末期にどうやって?ドイツから潜水艦で運んできたのだ。

小林源文「装甲擲弾兵」より

しかし完全な設計図ではなかったため、試作と試験が繰り返された。この試験は、やはりはじめ名古屋の三菱で行っていたが、1944年12月に同様の理由により疎開を余儀なくされた。wikipediaでは横須賀市に移ったとの記載があるが、どうやら一部?は松本にも移って試験が行われていたらしい。その地がミッションでぐるりと回る松商学園(当時は明道工業学校)。実はこの高校は当時の片倉組が財政を支援し松本商業学校と名前を変えたもの。

この写真は現存する松商学園の講堂前で(正面玄関ではない)1936年建設。このミッションではその横を通る。日本での3人目の女性理学博士・加藤セチという女性研究者はこの写真に写っているのだろうか?

さて、秋水は殺人的な戦闘機であった。ロケットエンジン・液体ガス噴進なので撃墜はされないがコントロールも難しい。特攻機ではないにしても、整備も離陸も着陸も命がけであった。源文先生の「装甲擲弾兵」を若いころ読んで衝撃を受けた、そのメッサーシュミットMe163コメート(彗星・部隊マークは蚤)と松本がつながるのは私としては何とも感慨深い思いがする。

wikiより 現存する米軍に接収されたコメート


ちなみにドイツの技術者の一部はアメリカに投降して月まで人をロケットで飛ばした、NASAの初代所長はフォン・ブラウン(旧ドイツ軍SS少佐)。月のフォンブラウンって聞くとガンダムを思い出すけど元々は人名。松商学園については白線流しとか野球とか(昭和3年甲子園優勝、ちょうど恐慌の前だ…)旧制松本高校と北杜夫(斎藤茂吉の子)とか、いろいろあるけど、それはまた別の物語。お時間があれば旧制高等学校記念館へお立ち寄りを、ここも通る。ちなみに松本高校の卒業生たちは東大、旧帝大に行くのが常だった、北杜夫は戦後すぐ東北大学へ。松本高校は移転して旧陸軍第50連隊駐屯地へ、信州大学・同附属病院となった。駐屯地のある松本は軍都であった、対ソ連戦を想定した山岳部隊として名高かった50連隊は、その特性を生かせず南の島で玉砕。多くの父を、息子を、夫を失った人々は、松本にやってきた技術者たちをどのような気持ちで迎えたのだろうか?

そういういろいろな思いを込めて、このミッションを作った。月曜日でなければ松本市中央図書館(ここも通る)には松本と戦争についての常設展示があるので見てみてほしい。普通の松本観光では味わえない歴史と私の大好きな松本の細い路地道を堪能してほしい。後半では湧水や牛乳パン(小松パン店)、ベビーシュー(マサムラ上土店・旧本店)、コーヒー(かめのや等)、うなぎ(まつか、櫻や等)などを楽しむこともできる、この辺りはいろんな観光情報をあたってほしい。

最後に、普通の観光案内では載っていない情報を。私は松本の銭湯が好きだ。昔から「東の扉、西の白骨」と言って松本圏域で良い温泉は山深い扉温泉と白骨温泉と言われてきた。平野部にも温泉はあることはあるが、銭湯も捨てがたい。なぜか?お湯が湧水(井戸水)だから。なんとも味わい深いお湯なのである。例えば菊の湯、桜の湯なら歩いていける距離。車で帰りに安曇野や長野方面へ行かれるならラーラ松本6階のお風呂(プールではなく)なんてのも捨てがたい。あまり知られていない松本の良いところだ。

私は戦史や戦記が好きだ、だからと言って戦争は嫌いだ。ではなぜ戦史や戦記が好きか?それは人の愚かさをまざまざと見せてくれるから。愚かなので歴史を学ぶ、でもまた愚かなことをする、でまた学ぶ、ヒトとはそういう愚かで楽しい動物なのだと、いつも思う。

「宮崎駿の妄想ノート 泥まみれの虎」より

実際的なミッションのガイド

徒歩の方はJR松本駅から徒歩かシェアサイクルで、車の方はイオンモール松本の駐車場(土日3時間・平日5時間無料)か、あがたの森の駐車場(無料)へ。イオンモールにもシェアサイクルあり。時限なし、季節限なし。
車やバイクはお勧めできない、城下町というのは道が細くて一方通行の嵐だから。


ここは無理だろうなー、という細い道が意外と行けるので入ってみてね、でも人の家には入っちゃだめだよ。

あがたの森正面前のおいしいパン屋さん
旧蚕糸(さんし)試験場の小道 こういう道を入ってゆく。ちなみに昔は一面の桑畑だった。
夏ならアイス(最寄りポータル県(あがた)の道祖神から南へ少し)
なんだあれは?ロケット発射台?ザウス?
幅員減少だけど、もちろん歩いてゆける。清水、源池、小池といった地名が湧水の地であることを物語る。
お寺のこういう路地を入って
これでも公道(市道)
こういう道へは入ってはいけないね。マンションだし、私有地だし。だめだよ、だめだよ。
mission11が本作のクライマックスかなー
もちろん入ってゆけるわけで
公道(市道)
もちろん道沿いじゃなくて、あの家々の間の道を行く(ここも市道)
このような小道の多くが暗渠。下水や雨水というよりは湧き出た湧水を流しているのだろう。
改築の話がちらほら出ている松本市立図書館本館
裏からこんにちは、松本神社・松本城。駐車場に観光客用トイレあり。
わざわざ道路標識があるってことは歩いては入れるってことですよね!
ここ数年でめきめきとおいしいビールを送り出す松本ブルワリー

最後まで見てくれてありがとう。もう、この先松本の中心部?でミッションを作ることは無いと思う。楽しんでいただけると幸いなのだが。
2022/7/10 セカンドサンデー シルバーメダル獲得の日に。

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