見出し画像

【🇰🇼🇯🇵クウェート#22】日本語クラスにて


10月14日(土)

一日中、勉強をしていた。
病で休んでいた遅れを取り戻さないといけない。

マレーシアの友人は今日もお見舞いに来てくれた。
彼は毎日毎日お見舞いに来てくれて、蜂蜜を届けてくれた。

蜂蜜の使用はハディースでも推奨されている。
医療的・文化的なだけでなく、宗教的な側面もあるように思う。

彼にも、昨日モールで買ったお礼の品(トッポ)をあげた。

SHOKZのイヤホン。日本の親友がおすすめしてくれた。マレーシアの友人も同じものを使っている。
もう1人のマレーシアの友人

実は、明日クウェート大学の「日本語講座」にゲストとして招かれている。

講座では、日本文化についてプレゼンする。私は富士山についてプレゼンする予定だ。

午後はその用意をした。


10月15日(日)

久しぶりのクラスだ。

全然知らない学生が大量にいるが、なぜか全員私の名前を知っている。どうやら教授やルームメイトが、毎日私のことを話題に出していたらしい。

全員に名前を聞いた、何人かは覚えられなかった。向こうが名前を知っているのに、こちらは名前を知らないという状況は少し気まずい。


授業前に、ランゲージセンター長が「政治的意見の学校への持ち込み禁止」について説明した。

これがハマースとイスラエル軍の衝突を指していることは明白だ。
今月の7日以降、日本でもこのニュースで持ちきりだと思う。

今回の衝突に対するクウェートでの反応については、後日特集記事を作りたい。


教科書

正直なところ、教科書はそれほど難しいわけではない。授業は教科書主体で進めているので、少し物足りない部分が無いわけではない。

私が病に臥せっている間にクラスが増設され、現在は3クラス編成になっている。

レベル1 (初級)
イブラーヒーム教授

レベル2
アブドゥルムフシン教授

レベル3
ハーリド教授

私はレベル1に在籍しているが、2や3に所属する日本人学生もいる。
クラスの変更は自由であり、時間の余裕あれば複数のクラスに出席することもできる。

余裕ができればレベル2にも出席したい。


授業後は、18時からの「アラビア語講座」に向かった。
クウェート大学が主催する市民講座のようなものだ。受講生にはクウェート大生のみならず、一般人もいるようだ。
講師は日本人で、その方が今回お招きくださった。

私は浴衣を着た。「文化交流」の場には、基本的に浴衣を着て赴くようにしている。

バスに揺られることおよそ30分。シャダディーヤキャンパスに到着した。
このキャンパスに来るのは久しぶりだ。

経済学部の校舎
校舎の全てが燦々とライトアップされている。
高くて怖い。エスカレーターには、特に落下防止用の措置があるわけでもない。


まず、日本人学生がプレゼンをした。

私は富士山について話した。


日本語を学ぶ学生たちは、積極的に質問してくれた。

「富士とはどういう意味ですか?」

「富士山は静岡のものですか?それとも山梨のもの?」

こういった質問は、日本の文化やことばを見直すきっかけになる。
私にも学びのある機会だった。


何人かのアラブ人学生が、お返しにパフォーマンスやプレゼンをしてくれた。

最初の学生は、ペルソナ5の「僕らの光」をアカペラで歌ってくれた。

私は「ペルソナ」シリーズについて詳しくはない。

しかし、どうやらクウェートのオタク界隈ではかなり人気があるようだ。
データを消して何度もクリアしたという猛者に会ったこともある。


2人目はクウェートの食生活について、3人目は娯楽について日本語で話してくれた。

クウェートの名物料理について

プレゼン後は学生たちと話した。

色々日本語について質問してくれた。私もアラビア語について質問した。

マルヤムさんは、マチュブース(中東の米料理・お米の上に肉や魚が乗っている)を後日届けてくれると約束してくれた。

帰りは、学生が車で送り返してくれた。BMWの高そうな車だ。
ドアを閉める時、少し緊張した。


受講生たちの勉強理由を聞いたところ、「日本のアニメや映画が好き」といったものもあれば、「日本に観光したい」「色々な国のことを勉強して価値観を広げたい」というのもあった。

いずれにせよ、全ての学生が積極的に学んでいた。
受講生たちの姿は、私に刺激を与えてくれた。


日本語を学んでいる人にしばしば会う。

寮の友人であれば、ロシアのムハンマド、台湾のサイ、モンゴルのバットなどがそうだ。

マレーシアのサイイドはかなり日本語に堪能だ。時折、私の独り言に日本語で返してくる。
(彼はよく「which is 無理」と言う。私はこれが大好きだ。)

ファイサル先生の学生たちも、とても熱心だ。

(↑ファイサル先生について)

日本語を学んでいる姿を見て、あるいは彼らに日本語を教えることで、改めて母語について学ばされることは多い。

それだけでなく、アラビア語を学ぶ自分の姿勢を見直す契機にもなる。

皆に熱意で負けることがないよう、励まねばならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?