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本音の精度

本音の精度を上げる。

これが今年、特にチャレンジしていること。

今までも本音で生きてきた、
と勝手に思い込んできたけれど
表面的な本音もどきで留まっていたことが
だんだんわかってきた。

「自分のことが1番わからない」
なんて言葉を聞くたびに、
「自分はわかっている方かな」なんて
見物客気取りで側から見ていたのに
今更、本音もどきと本音のギャップの大きさに気づく。

本音にもいくつもの層がある。
玉ねぎの構造に例えるなら、
最初"これが本音"と思い込んでいるのは
一番外側の玉ねぎで言うと、
茶色い皮に相当する部分にすぎない。

それは周りの目を気にした観点からとか、
現象化している三次元的な部分だけのフィルターを通して
汲み取れるものから浮かび上がるアクのようなものにすぎなかった。

アクを丁寧に取り除いて
コトコトと時間をかけて
新たに浮かび上がるアクをまた取り除きながら
観察していくと、ある時透明度が増してくる。

玉ねぎを弱火でじっくり炒めたときに
焦げなく、半透明の、甘い香り漂う
うまみの塊に変身する姿にも似ている。

半透明に姿を変えた本音を覗き見ると
最初見えていた"本音もどき"と"本音"とのギャップに驚く。

自分でも気づいていなかった
あるいはとうの昔に克服していると思っていた
感情に対面することも。

慣れない内は
衝撃を受けることもあった。
受け止め難いこともあった。

けれど、回を重ねるごとに
それも快感へと変わっていくのを感じた。
なぜって、本当に深いところで
腑に落ちている自分に気づいたから。

そしてその本音を受け止め
自分自身を許した時に
感情も、起きている現象も昇華して
目の前から消えていく経験を重ねたから。

とはいえ、まだまだ練習中。
脱線することも、もちろん多々あり。

それはそれで、愛しいポンコツな私と思えるようになったのは
本音の精度をほんの少し上げれたことの副賞のようで
なんだか得した気分だな。

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