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[読書の記録]円堂都司昭『ソーシャル化する音楽』(2013.06.23読了)

※本感想文は2013年に書かれています

文化系音楽ファンの間ではけっこう話題になっている円堂都司昭『ソーシャル化する音楽』を漸く読んだ。
帯のコピーには「次々と新しいムーヴメントが起こる音楽シーン」が「全方位レビュー」されている、とあり、その通りなかなか面白い本であった。

ゼロ年代、ソーシャルメディアの登場に伴ってポップミュージックの消費環境がドラスティックに変化し、同時にコンテンツも急速な最適化の歴史を辿ってきたのは誰もが知るところである。
ゼロ年代以降の音楽シーンを考えるうえでは、フェス、iTunes、YouTube、DOMMUNE、K- POP、Perfume、やくしまるえつこ、菅野よう子、神聖かまってちゃん、AKB48、ももいろクローバーZ、ゴールデンボンバー、アーバンギャルド、初音ミク、けいおん! 、音ゲ、エア・ギター、「歌ってみた」「踊ってみた」など、膨大なキーワードが想起される。また、ウェブや雑誌でもさまざまな言論が行き来しているが、それらを体系的に整理し解説した本というのは今までになかったと思う。

同じく今年(※本感想文は2013年に書かれています)に入って出た音楽本である『誰がJ−POPを救えるか?』が産業論寄りだったのに対し,『ソーシャル化する~』はきっちりコンテンツに踏み込んだ分析がされているので、専ら聴く専門の音楽ファンも読んで楽しい内容であろう。


本自体がサーベイ形式なのですべての内容を要約するのは難しいのだが、基本的には以下のコンセプトを、ゼロ年代以降の音楽シーンを語る上での鍵となる道具立てとして分析に用いている。

分割:様々なレベルで「作品」としてのまとまりを分割、分解する手法(音楽配信→アルバムではなく曲単位、フェス→「アーティストのワン・ステージ」という消費単位をつまみ食い可能な形に)

変身:音楽の形を変える手法(リミックス、マッシュアップ、着うたなど)

合体:音楽に関し、それを作り演奏したアーティスト以外の人間がかかわる(合体する)ことによって起きる状態を楽しむ(音楽ゲーム、エア芸、アーティストとタイアップしたパチンコなど)


ここで、あえてしょうもない感想を書くと、
これら「分割」、「変身」、「合体」といった手法あるいは現象は、あたかも21世紀に入ってテクノロジーとメディアの変化によって突然現れたかのように書かれているのだが、全部ヒップホップ/R&Bの業界では、はるか昔からやられてきたことではなかったか?という疑問を持ってしまった。

古いジャズやソウルのレコードからとったフレーズを新しいビートに載せかえたり、時にはもとの曲すら特定できないほどの粒度でパーツを抽出して別の曲の中に散りばめるサンプリング(チョップ&フリップ)や、DJ自らがさまざまなレコードから切り出した曲を繋いだ音源を売り物にするというミックステープ文化、既存曲に別のアーティストをフィーチャーして再演したりだとか、あるいは曲と曲を繋ぐ部分のビートにあわせてダンサーが自由に踊ったり(ブレイクダンス)とか、これら諸々はすべてヒップホップの登場時期から同ジャンルを特徴づけてきた技術/製作手法である。

それをまったく無視して突然鬼の首をとったかのように「分割」「変身」「合体」といったコンセプトをまったく新しい物かのように提示してドヤ顔をされても、ナンダカナァと思ってしまった。

もちろんゼロ年代以降の日本音楽シーンで起きている変化は、ブラックミュージック的な所作論には回収されないレイヤーでの変化である。
音楽の消費者同士が自発的に音楽を分割し、合体させ、変身させていっており、結果としてプレイヤーとリスナーの境界は不可逆な形で曖昧になってきている。
また同時に、SNSやN次創作のファンコミュニティを介することで、音楽の消費者の間ではソーシャルな「繋がり」に価値を置く新たな共同性が生成されている。これは昨今のフェス人気にも通底する要因であり、かつて米国でもウッドストックやライヴエイドのようなフェスにおいて人々が思い描いたコミューン幻想が40年の時を超え、当時の理念とは少し形を変えて現出したものともとらえることができる。。。とな。

それにしても、クラブミュージック系への言及や目配りが少ないのは確かなのである。
あくまでロックを主軸に書いてあるので、音楽ファンの中でもロックリテラシー低めな私のような人は、ちょっとついていけない部分もあった。
日本では依然としてポップミュージックの最大勢力はロックだということなんだろう。

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