見出し画像

[読書の記録] Dan Charnas "Dilla Time: The Life and Afterlife of J Dilla, the Hip-Hop Producer Who Reinvented Rhythm" (2023.06.22読了)


 著者のダン・チャナスはニューヨーク大学ティッシュ芸術校で教鞭をとる音楽史の研究者だ。特にヒップホップの歴史を商業的な側面から読み解く研究を専門としており、主著にはヒップホップビジネスの一大年代記である”The Big Payback”(2010, Berkeley)がある。
 本書は、チャナスが巧みなストーリーテリングの技法を駆使して、Jディラ(本名James Dewitt Yancey 1974年-2006年)の人生を切り口に、ポピュラー音楽におけるリズムの進化史について書いた一冊だ。

 Jディラが取り入れた独特のビートメイキングの技術と、それが聴き手に与える不思議なリズム感覚を、著者は書名の通り"Dilla Time"と名付け、読者に提示する。この本には図表がたくさん使われていて、Jディラのビートのつくりが視覚的に解題されている。そのつくりというのは、例えばベースはジャストのタイミングに対してモタっているいっぽうで、ハンドクラップはツッコんでいるというような、一聴して「ズレて」いたり、ともすれば「ちぐはぐ」な印象すら与える、Jディラの登場以前にはなかった斬新な構造だ。
 同時に、Jディラの諸作は決して「ちぐはぐ」などではなく、むしろ完全に計算ずくで作られていたことも明らかにされる。Jディラの神経症的とも言うべき細部への執着こそが革新的なビートを生み出す源だったということが、肉厚な伝記的記述を通して裏付けられる。

 本書でJディラは終始寡黙な人物として描かれる。彼は短い生涯を文字通り音楽にささげた。極寒のデトロイトの自宅地下室で黙々とビートを製作したり、レコード店でディギングをしたりしてストイックに時間を過ごすさまには、まさに職人という言葉が似あう。いっぽうでストリップクラブが大好きだったり、女性関係は放埓だったりといったやんちゃな若者としての側面も登場する。
 少し人よりは内向的だが、それでも人並みに遊んでもいたこの才気あふれる音楽家が、死に至る病(TTP)を発症したのは28歳の時だった。最初は強がって周囲に病状を隠し、不調をおして板にも乗った。しかし、病態が進行したことや、マッドリブをはじめとするStones Throw Records関係者と出会ったこと、親友であるコモンが先に活動拠点を移したことなどが重なり、2004年5月には気候が温暖なロサンゼルスに転居することを決意する。
 著者は数々の関係者へのインタビューを元に、Jディラがロサンゼルスでどのように晩年を過ごしたかを記述していく。人工透析や血漿輸注など闘病の描写も痛ましいが、最期の時まで寄り添った母モリーンをはじめとする周囲の人たちが、彼の生活と創作を懸命にサポートしていたようすが胸を打つ。

 正直に言えば、最初に本書のタイトルを見たとき、「いかにもアメリカ人らしい大げさな書名だ」とも思った。けれども読後、その思いは消えていた。”Dilla Time”はJディラの音楽がわたしたちの聴覚上の時間をどのように変化させるのか、という謎解きでありつつ、Jディラが過ごした時間についての書物でもある。そして副題が示す通り、Jディラの死後に流れる時間の話でもある。特に、Jディラが遺した膨大な音源の知財権をめぐる仁義なき係争に関する記述は、ビジネスサイドに強いチャナスだからこそ書けた内容だと感じた。
 いま、ブラックミュージックの領域で次々に発表される音源の中で、Jディラの影響を受けていないものを探すのは難しい。この本を読んでいると、Jディラ亡き後も変化を続ける「いま」の音楽を巻き戻すようにJディラの生前の姿を蘇らせる著者の語り口が、浮かび上がらせていく時間の流れが確かにあると感じる。ディラビートの謎を解くようにJディラの家族の来歴や幼少期を描き、彼がおこなった発明を大きな音楽史や技術史、産業史の流れへとつなげる鮮やかな筆致に、私はすっかり魅了されてしまっていた。

↓J Dillaに関連する他の記事


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?