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ハントマン・ヴァーサス・マンハント/第2章/第1節/「月の砂漠と呪いの血統」/後編

(承前)

そして二匹の怪物が俺を凝視している。……思えば遠くへ来たものだ。妹に手を引かれて、月明かりを頼りに谷底めいた岩場を歩いた記憶がよみがえる。じっと我が手を見る。握って、開いて、あの晩の記憶を更に引き出そうとして、それは果たせず瞑目する。俺の心は既に決まっている。ただ、今の「どちらでもない状態」を一秒でも長く噛みしめていたかった。

「……兄さん、いつもの意地悪はやめて?早く私を安心させて……」

ああ、わかったとだけ返事をして、俺は隣に立つ相棒の手を取った。相棒は変な声をあげて、その場で軽く飛び上がった。

「えっ、あっ、ダンナが私を選んだことに驚いたのではなく、その、私の手の握り方が気持ち悪くてビックリしました!絶妙な力加減でした!!」

これで疑念が確信に変わった。相棒の手の冷たさと、記憶の中の、妹の手の冷たさが、ほぼほぼ一致したのである。俺の妹は、ずっと昔から人の生き血を啜る怪物だったのだ。俺の半生は吸血鬼と過ごした半生だったのだ。

「ええ……本当にそんな笊(ざる)みたいな穴だらけの推理に自分の命運を委ねてしまって大丈夫なんですか?ダンナがニンゲンの雌の体温を知らないだけなんじゃ……いえ、わかりました。わかりましたから銃をしまって……」

フン、と鼻を鳴らして俺はガンスピンを披露する。どうせ銀の弾丸は使い切った後だし、それは相棒も把握している筈である。それでも嫌なものは嫌だから仕方ない、といったところだろうか。

「……そうよ。私は、ずっと前から正体を隠して兄さんの隣にいた。でも、それは私欲からの行いではなくて、同盟からの指示で兄さんを守る為だったのよ?ハントマンには『十六に満たない齢のニンゲンの血を啜るべからず』のルールがあるけれど、大人しくそれに従う貴族ばかりではないわ。それ以前にルール無用のマンハントが、平民どもが、この街に一体どれだけ潜んでいると思う?感謝なんて望んでないけど、非難される謂れだって無い筈よ」

「……彼女に言うことは本当です。特にダンナは、その……。生まれた時点で今回の❝ゲーム❞のコマに選ばれることが内定していましたので。ハントマン同盟としても❝ゲーム❞が始まる前に百年に一人の❝三ツ星ニンゲン❞につまらない不慮の死を遂げられては興醒めも良いところといいますか……」

その辺の事情は後で時間をかけて自分の中で消化する。なので熟慮すべき直近の課題は正体を偽る怪物と、そうではない怪物のどちらを信じるか、というものだ。俺は俺の相棒を信じる。こっちの方が強いはずだし。俺は馬を牛に乗り換えるような愚は犯さないのだ。未だ見ぬ❝伯爵❞級の吸血鬼と対峙する瞬間が、そう遠くない未来に待ち構えているはずなのだから。

「……わかった。兄さんの決意は疑わない。今まで、ありがとう。それから、さよなら。……ねぇ、兄さんの本当のパートナーになりたかった……」

言うが早いが蜥蜴の手足めいた何かが二本ずつ、妹の腹と背中を突き破って現出する。息を飲む間も無かった。黒い体液が噴水のように溢れ出る。いなくなった妹の代わりに立っているのは、嗚呼、全身に唇を具(そな)えた異形の竜だった。謎めいた粘液に塗れし十メートルはあろうかという長身が二本の脚で立ち上がり、月光を浴びて誇らしげに輝いている。遅れて、肩から翼が展開する。翼には目玉の模様があった。否、模様ではない。その双眸が俺を捉えて離さない。瞬きしている。笑っている……。

「……ありゃりゃ。どうも最初からエンジン全開、ガス欠のリスクは度外視で我々を始末するつもりみたいですね。どうしましょ?」

相棒は首を傾げて、こちらの表情を覗き込んだままだ。心なしか楽しそうですらある。もしかして、俺の命令を待っているのか。

「そうですとも。一応、ハントマンはパートナーの指示が無いと積極的に戦闘行動を開始することが出来ませんので……逆に言えば、どうやらダンナの妹君は戦場に赴く前に、その辺り問題はクリアしているみたいですな。一体どうやって……ぶつぶつ……」

おぞましい怪物を前にしても相棒は良く言えば泰然自若、悪く言えば危機感が感じられない振る舞いだった。もしかしたら彼女の本性は、あれよりも凄まじい怪物なのかもしれない。しかし今はそれどころじゃない。あの怪物を速やかに始末してくれ。そう言われた相棒は両の目をぱちくりさせている。

「……本当にいいんですか?たとえ正体が悍ましい怪物だったとしても、ずっと一緒に暮らしていた仲の良い妹君だったのでしょう?こういう時にニンゲンは、無駄だと知りつつも可能な限り説得を試みようとするものだと思っていましたけどね。……それも所詮は『自分は人事を尽くした』なんて自身を納得させるための儀式のようなものでしかないのですけれど、ふふ」

確かに俺は後悔するだろう。だけど、迷ったら負ける。負けて死んだら後悔さえ出来はしないのだ。俺は生きる。何を犠牲にしたっていい。後悔したって構わない。何より、今後も戦いは激化していくことを踏まえれば、こんなところで危ない橋を渡るつもりは無かった。俺には野望がある。この街を差配するという野望。人間が吸血鬼に怯えずに暮らせる街を、枕を高くして眠れる夜を勝ち取るという目的が果たすまで俺は死ぬわけにはいかないのだ。

「それではダンナの野望を果たす為、いっちょドラゴン退治といきますか」

(❝終焉❞に続く)


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