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EYEはPOWERだよ(2023.12.16)

「愛はパワーだよ」というなんともメロドラマ的で歯の浮くような科白を聞いたのはもちろんドラマの中である。当該ドラマ『to Heart〜恋して死にたい〜』(以下『to Heart』)は1999年に放送されたTBS系のドラマであり、当時中学生だった私はそれを毎週楽しみに見たものだった。内容はほとんど覚えていないが、ノストラダムスの予言が真実味を帯びていた世紀末、世界滅亡前に恋して死にたいと思っている三浦透子(深田恭子)が、ボクサーである時枝ユウジ(堂本剛)に恋をし、ストーカー的アプローチの末、「愛はパワーだよ」という発言で彼を戸惑わせるシーンだけは記憶に残っている。ボーイミーツガール的プロットを骨子に持つドラマであるが、網膜剥離による失明リスクを背負ってリングに立つことを決めるユウジの決意は多感な時期の私に強い印象を与えた。ボクサーが網膜剥離になりやすいというイメージはそのときに植え付けられたものである。

なぜこんなことを書いているのかというと、かくいう私も網膜剥離になってしまったからだ。二週間くらい前から右目に違和感があった。目の中に薄ぼんやりとした膜があるような、(装着していないはずの)コンタクトレンズがズレたような違和感。思えば10年以上、眼科健診を受けていなかったため、近隣の眼科で様子を見てもらったが「異常なし」と言われただけだった。細胞数が平均より少ないが、緊急性があるわけではない、半年後くらいにまた経過を見ましょうということで診察は終わった。医療機関で検査を受けていったんは安心したものの、違和感は消えず、徐々に右目の視界は狭くなっていった。仕事中にどうしても我慢ができなくなり、以前とは異なる眼科へと駆け込んだ。散瞳剤によるとろんとした甘い世界の中で、二週間前と同じような検査をされたのち、診察室に呼ばれ、「今日来てくれてよかった。話してる暇はありません。病名は網膜剥離。これは一刻を争う事態です。すぐに緊急手術を受けてください」と言われた。あの緊張感! ドクターは私に多くを語らず、PCのキーボードを時速100kmで打鍵している。それは大学病院のドクターへ宛てた「手紙」だった。

「明日もし世界が終わるとしたら最後になにをしたいか?」と問うことは、世紀末を乗り越えた現代においても無駄なことではない。それはマルティン・ハイデガーの「先駆的決意性」をより意識し、「死」から逆算した個々の生を輝かせることにも繋がるだろう。目が見えなくなるかもしれないという恐怖は、眼前にある風景の感じ方を一変させた。それは、もしかしたら今後もう見られなくなる風景かもしれないのだ。同じ一瞬などというものはない。『方丈記』を引くまでもなく、すべては流れ、変化し続ける。視界が狭くなりつつある右目を庇いながら、病院に向かう車窓から見た灰色の空、痩せた木の枝、誰も歩いていない凸凹とした山道を私は忘れないだろう。

大学病院に着き、数時間にわたる検査ののち、車椅子に乗せられ、私は手術室に入った。時刻は20時を少し回っている。網膜にできた裂孔部分を凹ませ、白目の周囲にバンドを巻くことで、網膜を圧迫する強膜内陥術(バックル縫着術)。時間にして90分弱。麻酔と混乱で時間感覚がなかった。現在、手術から4日が経過しているが、手術の影響で右目は腫れ、3分の1も開けることができない。術前よりも見える範囲は狭くなっており、やや不安を感じてもいる。

入院中には、残された左目で、昔の映画『恋はデジャ・ブ』(1993)を見た。タイムリープ現象によって同じ一日を繰り返すビル・マーレイが、退屈だと思っていた「一日」の中に、「すべて」があることを悟り、ループ脱出に成功する映画だ。世界変革のきっかけは<ここではない・どこか>にあるのでなく、<いま・ここ>にある。それに気づけるかどうかこそが「感受性」なのだろう。閉じ込められた日常に「出口」はないのかもしれないけれど、同じ一日はない。デジャ・ブのように見えてどこかは異なっているのだ。

『to Heart』では、試合終了後に網膜剥離の手術を受けたユウジの視力は回復している。たとえフィクションゆえのご都合主義であったとしても視力回復を願う私にとってそれは希望である。いろんな人から励ましのメッセージをもらったり、医療従事者に優しく接してもらう中で「愛はパワー」という言葉の意味が20年越しにわかった気がする。「それ」だけが弱った私を慰め、勇気づける。ものが見えること。それは当たり前のことではなかった。

外が雨なのか晴れなのか、暑いのか寒いのか、それすらもわからない病室でこれを書いている。流星群も遠い山の冠雪も病室からは見えない。手元が見えにくいため、用意していた本はあまり読めなかったし、J・ディラのようにビートメイクもあまりできないまま、ただ身体を横たえながら時間を過ごしていた。定刻になったら食事が提供され、定期的に眼圧や血圧、体温を測られる。食欲の有無、排泄の確認がなされる。不自由な眼に何種類もの目薬を差し、午後に2回ほど医師の診察を受ける。21時には消灯、朝6時に目覚める健康的なサイクルが4回繰り返された。同室の患者はその4日間で細胞のように入れ替わった。ある患者が去り、別の患者が入ってきた。私の担当看護師も昼夜で目まぐるしく変わった。病院は動的平衡を持つひとつのシステムであり、私は「現象」のひとつに過ぎないのだ。

仕事を休んでしまい、周りに迷惑をかけてしまったが、この出来事は自分にとって大きな意識の変化をもたらしたように感じている。まだ右目はほとんど見えないけれど、退院することになった。医療従事者のみなさん、そして支えてくれているすべてのみなさんに感謝。ほんとうにありがとうございました。健康で。


2023年12月 810室にて

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