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MBA卒業~ディーンズ・リストかなわず

アカデミック・レップ最後の仕事

MBAに通っていた時、アカデミック・レップ(学級代表)としての最後の仕事は、卒業式で「最も面白かった授業」の教授を発表することでした。この頃には、英語で人前で話すことは平気になっていました。

卒業式には日本から両親も来ていました。時差ボケと、よく理解できない英語のスピーチが続き、居眠りしていたようでした。すると、突然私がスピーチしたので、びっくりして目が覚めた、と言っていました。

ディーンズ・リスト:成績トップの証明

復学したとき、成績トップ10%になってディーンズ・リストに載りたいという夢がありました。

休学中の1年間の札幌での予習と、復学後、フォンテーヌブローの図書館で過ごした長い時間から、私が勉強に費やした時間は他の学生より長かったと言えます。

でも、私は残念ながらディーンズ・リストにはのれなませんでした。

それでも、ヨーロッパでの仕事は見つかったし、成績もディーンズ・リストとまではいかずとも良い方だったので、満足してMBAを卒業できたと思います。

気分としては、高校野球をやっている学生が、甲子園には行けなかったけど、部活頑張って良かった、と思って最後の試合のグラウンドを去るような感じでした。

卒業証書授与"with distinction"と呼ばれるのは,

かっこいい。

卒業式では、一人ずつ名前を呼ばれて、卒業証書を受け取ります。

他のクラスでアカデミック・レップを担当している学生の多くは、ディーンズ・リストにのっていました。勉強を好きな人が立候補するのでしょう。

また、MBA時代一番仲良くしていたジョギング仲間のフィンランド人の女の子も、ディーンズ・リストにのっていました。

アジア人は言葉のハンデが大きいと思っていましたが、中国人が2人、ディーンズ・リストにのっていました。2人とも、マッキンゼー出身でした

ディーンズ・リストの学生は、名前の後に「ウィズ ディスティンクション」と読み上げられてかっこよかったです。

やっぱりちょっとうらやましかったです。


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