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忘れてもいいということ。手紙とフィルムカメラ。

おはようございます。昨日は、いやもう今日ですね。AM1:00まで起きていて、結局薬を飲んで眠りにつきました。

雨の、屋根を叩く音が響きます。とってんとってんたたたた。昨日はあんなにいい天気だったんだけれど。植物に水をやらなくてもよいね、と思うと同時に、やっぱり雨かぁ、と思う。

昨日はお洒落な便箋を買いました。文通をしている友人たちが、葉書ではなく便箋を使って送ってくれた『手紙』をみて、なんだか良いなぁと思ったのがきっかけ。思ってみたらずいぶん便箋で書くことをやめていました。
LINEやSNSでももちろん連絡は取れますし、取りますし。郵便は翌日配達される時代ではなくなり、一週間ほどかかることもざらになった現在では、火急の事、必ず伝えなければならないことは、手紙に託すにはあまりにも危うい。

けれど、その時々に浮かんだ言葉を、ボトルシップに入れて海に流すみたいに。その人に合った便箋を選び、言葉をしたため、折って封筒に入れて糊付けをし、気持ちに合った切手を貼って、封緘をして家の近所の横断歩道を渡ったところにあるポストにいれます。

コトン。

忘れ去られたように、けれどしっかりと存在感を持って立っている赤く四角いポストも、私は好きなのです。

フィルムカメラと手紙、好きなもの。

どちらにも共通するのは、忘れてしまえる、ということでしょうか。フィルムは現像するまで待っていてくれる。手紙はポストに出すまで待っていてくれる。その不可抗力とも言える間に、救われることがあります。

そして面白いのはいつか自分が手紙に書いた言葉が、相手をそっと救っていたと知りました。友人からの手紙には、私がかつて手紙に書いたという言葉が引用されていました。

ーーー
雲に隠れても月はあり 太陽が沈むから 
月の輝きは 地上まで届きます。
ーーー

あらあら、こんなに良いこと、書いたっけ。と全く覚えていませんでした。でも、それを美しいと感じてくれて、沁みたのならよかった。

しんどくて、薬を飲みました。薬を飲むことは悪いことじゃないのに、なんだかあーあ、という気持ちになります。不安が通り過ぎるのを、ぼうっとした頭で待つための薬。そろそろ病院の予約を取らなければ。

ゆっくりと、ゆっくりと黒い水が満ちて沈んでいきます。井戸の奥の方からでも、手紙を出そうかと思ったのに、もうそんな気持ちでなくて、書き終えた葉書も、まだ紙袋からだしてもいない便箋も、籠の中から取り出せずにいます。



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