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ものと暮らす。

リビングの模様替えをした。引っ越した当初に少しして以来なので、5年ぶりくらいだと思う。今までは真ん中に小さめのテーブルがあり、そこで子どもたちが工作をしていた。ダイニングテーブルとは別の工作用のテーブルで、見る間に紙やモールが散らばった。毎日片付けながら疲れていく、言えばやってくれもするけれど、やっぱり夜な夜な片付けるのは親の仕事だった。

動線も良くなかったし、ついものを置いてしまう。冬に炬燵として使っても、ラグは敷いてあれど床がそもそも冷たいのでそちらに行かないし、炬燵布団に隠れたストローの切屑や毛糸がずっと気になっていた。けれど、勿体無いし、とか、今は子どもたち優先でなんて、ずーーーーーっと気持ちに蓋をしていた。

契機はいろいろあったけれど、地震のこともあり部屋の家具を見直そうかなと思った時、どうせ終わる今ならば、少しでも好きな空間で暮らしたいと強く思った。

そしてできた空間は今、とても居心地が良い。掃除もしやすく、ちらかりにくくなった。ごろごろできる至福。今朝は子どもたちと夫でプールに出かけたので、私はリビング、こんなに掃除に手間がかからなくなって、花も咲いていて、あったかくて、よかった‥とYogiboにもたれかかり、雨垂れをみながらぼんやり。

懸念していた工作は、床でもできるしダイニングテーブルでもやっている。心配しなくても大丈夫だったのかと拍子抜けした。床に紙が散らばっていたりもするけれど、高低差が無くなったのでまだ掃除もしやすい。

午後、炬燵や余ってしまっていた加湿器を手放しにリサイクルショップにいったら、炬燵は引き取ってもらえず「ものが溢れている時代なんだね」と夫は言っていて、そうか、そうだよなと思った。買うよりも、手放す方がよっぽど難しい。

引っ越してきた当初は、初めて実家を出て、家族四人で暮らしを立ち上げるということ、初めての子育て真っ最中だったこともあり、無くて困るものは予め買ってしまいたい!と急いでいろんなものを買った。でも5年経ってみれば、無くて困るもの、は相当に少なかったなと思う。新しい生活への不安を、物を揃えることで払拭したかったし、そのためにものたちは懸命に働いてくれた。インスタグラムで見たおすすめの便利グッズや、おしゃれなものは、たしかに私を一時的にであれ救ってくれた。

そうしてだんだんと、自分の暮らしが確立していくうちに、なにが必要かがわかってきたとも言える。これからもまた変わるかもしれないけれど、出来うる限り長く愛せるものをゆっくりと選んでいきたいという気持ちになっている。

それには、焦らないことだな、とも。あとは失敗しても、きちんと認めて手放す勇気を持つことだな、とも。

僕の世代は、親が勿体無い勿体無いと言って、捨てられない世代だったから、捨てるのに罪悪感があるんだよ と夫は言う。

けれど、不便だと思っていても勿体無いから現状を変えられずに、しんどさが降り積もっていく方が、よほど恐ろしい気がしている。人は変えられないけれど、環境はそれなりに変えられる。そして、後悔なく居られるようにものとよく対話して生きていきたいなと思う夜です。後単純に、不便さや寒さから来るイライラが激減して嬉しい。
家が好きになってうれしい。

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家に対して向き合ったら、自ずと家族と向き合うことにもなって、逆もまた然り。どうしても相容れないことがあるのは当たり前で、感謝を忘れずに、お互いできるところを補い合って行けたら良いよなぁと思うようになりました。もちろんパーフェクトではないけれど。

今まで目を瞑っていた日々使うあれこれをアップデートしたら、とても快適になって、うれしくなってありがたいと思います。また子どもたちが大きくなったら、変わっていくと思うけれど、その時々の最適解をわかるように、感度高くいたいものです。
落ち着いたら寝室も整えたい。好きなコファーを置いて子どもの本はその中に入れて、すっきりさせたいな、と目論んでいます。働こうという気持ちはそういうところからも湧いてくる。ものと暮らすのはやっぱり面白い。

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