見出し画像

ディズニー 「星に願いをかけるトンデモナイことになる説」~ピノキオ編~

初めまして、夢語りの猫です。
早速ですが本題に入ります。

ディズニー100周年記念作品「WISH」の発表がされた。
テーマは原点回帰の「星に願いを」だ。
皆様もご存じの通り、ディズニーの大元は「願いは必ず叶う」というまさに夢のような世界観だ。
おとぎ話を具現化したその世界観は、数多の星に願いをかけ、数多の願いを叶えてきた。
最終的にどの作品もヴィランが消えて「ディズニーハッピーエンド」となるわけだ。
そこで私は考えた。それは1つの考えだった。

ディズニーの星に願いをかけたらとんでもない事と引き換えに願いが叶うのでは?

言いたいことはよくわかる。
映画だ。起承転結、日常が非日常になりトラブルが起きハッピーエンド。
これは当たり前のことだ。
しかし、そのキッカケが「星への祈り」だったら?
ディズニーキャラクター達が星へ祈ったことで「願いは叶うが試練が待ち受ける」という暗示だったら?

先ほど、ディズニーキャラクターたちは数多の星に願いをかけてきた、と言ってきた。
リロ&スティッチでは、リロが「家族が欲しい」と願い、プリンセスと魔法のキスではティアナが「お店が欲しい」と大人ながらに願いをかける。
その結果、様々な「試練」が待ち受けている。
ディズニーにとって星と言うのは「与えるもの」。
それは願いどころでは無くそれを手にする試練すら与えるのか。

この記事はそんな仮説に基づいた、ディズニー作品の説明だ。
記念すべき第一回目は「ピノキオ」
この作品について触れていこうと思う。

ピノキオは現在パブリックドメインとされている。
実写版はまだなので控えめに。
基本的に私の感想語りと考察とツッコミだ。


その① ピノキオとは


いらすとや ピノッキオ

このタイトルを見て「そんなこと知ってるぜ!」という方は多いだろう。
しかし、恐らくうろ覚えの産物でしかないと思うので一応説明を。

ピノキオはイタリアのカルロ・コッローディ原作の「操り人形の物語」が原典となる。
1883年に出版され、100年以上愛されている作品だ。
それはある意味、ディズニーの力添えもあってこそのものだ。
様々な原典の物語が謳われているが、「いい子になれば人間になれる」のに一度道を踏み外してしまうのがピノキオだ。これは大変人間らしい行動だと言える。
「いい子になるんだよ」と抑制されると、人はつい甘い言葉に耳を貸しがちだ。
「ダイエットするために甘いものを控える」と言っても、つい手にチョコレートを持ってしまうのと似ている。
最終的にピノキオは狐と猫にそそのかされ見世物にされ、遊園地に行ってしまい出た先で巨大な怪物に飲み込まれ…あとは何となくわかると思う。
人によっては酷いトラウマを植え付けられる作品でもある。
では、星に願いをかけた人物を見ていこう。

その② 星に願いをかけた人

星に願いをかけたのは言わずもがなゼペットさんだ。
ゼペットさんは小さな町でおもちゃ職人をしている善良なお爺さんだ。
彼には子供がおらず、1人寂しい人生を送っていた。
いるのは1匹の子猫、フィガロと1匹の金魚、クレオ。
人間の子供が欲しい、と考えたゼペットさんは見つけた願い星にそっと願いをかける。
それはつい先ほど作った人形であるピノキオが人間になりますように。というものだ。
さあ、ここで出たのが「星に願いを」というテーマ。
こういう言い方は余り宜しくないのだろうが、つまるところピノキオの今後の地獄のような日々はある意味ゼペットさんと言う元凶が引き起こした悲劇でもある。
「おい!それは違うだろう!ゼペット爺さんはただ寂しくて子供が欲しくて!」とお思いだろうが、そんなことピノキオにとっちゃ知ったこと無いのだ。
ゼペットが願いをかけなければブルーフェアリーは訪れることは無かったのだろうが、まあそもそも「星にお願い事をしても…」と思うのが通常の人だ。
ゼペットさんも同様に「星に願いをかけるなんて馬鹿げてる」と思いながらも一縷の望みを星に託したのだ。
「本当の子供になれたら…」という願いを半端に叶えたブルーフェアリーもブルーフェアリーだと思う。
いや、そうしないと物語が始まらないのも致し方ない事だが。
「初めから人間にしたれよ!」とは思うが生まれたての赤ちゃん、しかもぺらぺらと喋れて善悪の区別がつかない動く存在、見た目5歳児くらいの子供に「さあ君は今から人間だから好きにしていいよ!」というと恐らくとんでもないことになるのは明らかだがむしろそこまで喋れるならゼペットさんが最初から人間のピノキオと共に学校に行って説明してあげたりすればいいのだ。
更に小さな虫に対して「お前は良心だ」と言うのはなかなかハードルが高い。虫だぞ。虫!(私はジミニーのことも大好きです)

とにもかくにもそんな稀有な事が重なってピノキオの物語が始まる。
一晩で物語が進みすぎている。

凡その時間としてピノキオ完成で夜の8時

から踊って歌う時間があって

眠りにつくのが午後9時

星に願いをかける

入眠9時半前、まって入眠9時半前?!
流石御老体、眠るのが早すぎる。

9時半にブルーフェアリー登場
ピノキオを動かす

気付いたゼペットさんが銃をぶっ放すのが10時半
夜に銃ぶっ放したら絶対誰か来ると思うんだが壁がめちゃくちゃ分厚いかそれとも「あのゼペットさんか…また銃をぶっ放してるよ」と思われてるかの二択だ。

ここまでの話が異様に速すぎる。
この展開結構長いのではと思っていたのだが実はゼペットさんの家には時計がたくさんある上に全部ちゃんと動いてそうなのでおおよその時間を見たのだがやっぱり夜の10時半に銃ぶっ放して音楽かけて踊るのはDQNっぽくてめちゃくちゃ面白い。
その後就寝して朝になるが、その前に火を見たことがないピノキオが指を燃やしてクレオの水槽に指を突っ込ませるという事件が発生するがその後のクレオに関してすぐに水を変えてもらったものだと信じたい。

大体ゼペットさんが「ゼペット爺さん」と呼ばれてるレベルの御老体だというのに5歳くらいの子供を求めるなんて今後どうなるかなど考えたことは無いのだろうか。
少なくとも本来の親と子の年齢として60歳くらい離れていそうではある。
それでも、ゼペットさんが何らかの形で100歳まで生きることが出来たらピノキオは晴れて40歳。
結婚して子供がいてもおかしくないのか…そうか…。
ブルーフェアリー頼むからピノキオが独り立ちできる年齢までゼペットさんを助けてやってくれ。
この人は自分のベッドで煙草を一服するような人間だぞ!
寝たばこダメ絶対!!!

その③ 初日から苦難を強いられるピノキオ

さて、ピノキオと言えば「学校に行く途中にファウルフェローという狐とギデオンという猫に唆されてサーカス小屋に売られてしまう」という展開だろう。
ツッコミどころはたくさんあるが1つ1つ突っ込んでいこう。

まず、人間の学校でも手続きは必要ではないのかね。
ゼペットさんは言っていた「明日お前は学校に行くんだ」と。
学校って別に「子どもがいます。手続きなしで入学できます」ってところではない。
と、思ったがあながち間違いでもないのかもしれない。
学校に行けるのは余裕があって裕福な子ども、という点がある。
原典の舞台がイタリアだが、1887年頃のイタリアの小都市学校では3,4年生の多くが生計を立てるために学校を辞める、もしくはサボる子どもも居たそうだ。
当時のイタリアは、子どもを「子ども」という目で見ておらずどちらかというと「商売道具」「安価で使える使い捨ての道具」「従順な労働者」という観点で見ていた。
悲しい事だが、それが当時のリアルだ。
子どもは成人女性の半分の値段で雇え、体力がないが子どもはたくさんいるので駄目になったら次の子ども。という風に。
だから「子供が出来たので学校に連れて行きます!」と言わずに学校に行かせるのはもしかしたらあり得たのかもしれない。
まあ、これは1887年のころでピノキオの映画自体は1940年なのであんまり供述すべきことでもない。
が、後述する「見世物で働く」という点に繋がる気がする。気だけ。
安心できるところは子供たちの通学シーンでちゃんと女の子も通学している、という点だろう。
ここは1940年頃っぽい。

アニメでは学校に行かず、ファウルフェローが「よし!君はスターになるんだ!」とスカウトをしている。
ピノキオはまだ善悪の区別はつかない為、ファウルフェローについて行ってしまう。
先生にあげるためのリンゴがファウルフェローに食べられてしまうがそれも良い比喩表現で「先生に渡す物もないし…」と思わせて来る。
「ダメダメ!そんなの駄目だよピノキオ!ちゃんと学校へ行こう!」と視聴者とジミニーが思っても遅い。

だがよく考えてみてほしい。ピノキオは「人形」だ。
人形が学校に行けばどう思う?君の隣に座ってるのが木で出来た操り人形。
ビスクドールでも何でもいい、クマのぬいぐるみだったら?
彼らが「ハロー!」とあいさつすれば誰だって一回は気味悪がる。
この点はアニメ版では詳しく描かれていないが、ディズニー実写版ピノキオであれば「先生に蹴とばされ、学校の外に放り出され、勉強する機会すら与えられない上に子どもには笑われる」
そんな学校に行きたいと思うか?いいや、行きたくないね。

ファウルフェローの話に移ろう。
ファウルフェロー。本名「ジョン・ワシントン・ファウルフェロー」
肩書を書くなら「”正直者”ジョン・ワシントン・ファウルフェロー」
ディズニーリゾートではフェロー様という愛称で呼ばれている愛らしい悪党狐だ。
リゾート内ではファンタジーエリア、イタリアエリアに出没し、子どもがいないかベビーカーの中を見て回ったりしている事が多く、紳士的な立ち振る舞い、意外とアグレッシブな動きをすることで有名で多数の女性ファンを射止めたいわゆる「かっこいい系キツネ」だ。
ちなみに葉巻派。
ストロンボリの事を「悪党」だと知りながらギデオンに糸を付けて売ろうとして見破られるという悪党を騙す詐欺師とも言える。
そんな彼に「木の子供」と見破られるほどやはりピノキオは「木」なのだ。
学校に行くにしても手順は絶対必要だし1人で歩いてはいけない存在でしかない。
ファウルフェローが「学校なんかよりステージの方が煌びやかで成功するさ」と言ってすぐに唆す。
(「ハイ・ディドゥル・ディー・ディー」を歌う際のアニメ手法はこだわって作ってるので視差的な表現が使われている。必見)
そんな少年を見守る良心も初日早々寝坊をしてしまうという事実。
おいおい良心~!?善悪知らない赤ちゃんが無事学校に行けるとお思いか~!?
「学校近いし大丈夫だろう」とお思いか~?!
でもジミニーは絶対怒ったりしない。諭して優しくして常に笑顔でピノキオに接している。
「アレは誘惑なんだ」と言って反論するピノキオに対して「劇場にはいかないよ、と言うんだ」と言うが相手は赤ちゃんだぞ。
せめて「人を呼ぶんだ」とか「ジミニーと一緒に行動する」とか無いのか。

「まっすぐお帰り!」と言ってくれたゼペットさんの望み空しく、初日から突然行方不明になってしまったピノキオ。
あまりにも自由過ぎる。星に願いをかけたがゆえに自由奔放な生き物が生まれてしまった。
ゼペットさんは現代で言えば胃痛に悩まされるだろう、胃痛どころでは無いから行動に移したわけだが。
せめて初日くらいはゼペットさんも一緒についてきて先生に一緒に挨拶してほしい。
リンゴ1つで手懐けられると思っているならそれはゼペットさんがあまりにも人を知らなすぎる。

その④ ピノキオは善悪もお金も知らないのだ

詳細はないがストロンボリに売られたピノキオは歌って踊る人形として見世物小屋に入れられる。
それをただしかめっ面で見ているジミニー。
失敗して大恥をかけ。と言っているが成功体験を得た方が子供は成長しやすいので失敗して大恥をかかせるのはいかがな物か。
これでは人間になってもこの時のことが最悪になり人の笑顔が恐ろしく感じる場合もある。
人形に「糸が無いのは素晴らしい」と歌われて呆気にとられるピノキオだがセクシーな人形に対してメガネを取ってみようとするジミニー。
良心~~~~~~~~!?!?
ブルーフェアリー!この良心あんまり仕事しないんですが?!
しかも本人は大盛業、見誤ったかというジミニー。
これはさっきその③で行った子どもの労働の比喩表現に近そうだ。
ピノキオは人形だがその精神は子どもと大差はない。というか100%子どもだ。
子どもを見世物にして荒稼ぎをして必要ない時は逃げないように檻にぶち込む。
その時点で確実に子どもを商売の道具としてみてない、子どもとして扱っていない。
そもそも木か……
ジミニーは「スターに良心は要らない」と言うがスターにこそ良心と分別は必要なのでは~!?!?
その後、金にもならない鉄の塊をピノキオにあげ、お金の概念すらわからないピノキオは喜んでしまう。
せめてお金の概念や「知らない人について行かない」と言った最低教育をするべきだった…学校に行くのがあまりにも早すぎた気もする。
だらしのない良心だとジミニーは自分を責めるが実にそうである。
ピノキオはこの時に泣くのだが涙はどういう原理で流れているのだろうか…。
ジミニーはとにかく優しい。ピノキオには絶対涙を見せることは無い。背中を向けて泣いている。
良心としての不甲斐なさやピノキオをこんな目に合わせたことで後悔しているのだろう。

初日のゼペットさんがあまりにも可哀想だ。
家に帰ってきてたくさんの素敵な料理を作ってみんなでお祝いをするはずだったのが息子は狐に唆されステージで荒稼ぎさせられた後に檻に入れられ恐喝されている。
机には美味しそうなチキン、フィガロにはバターの乗った魚、クレオにはケーキ。ちょっと彼らにとってあまりいい食事とは言えないがアニメ表現なのでスルーしよう。
大雨の中老体に鞭打って探しに行くゼペットさんだが、そもそもあなたが学校までちゃんと連れて行っておけばこんなことにはならなかったのだ…。

その後ブルーフェアリーがやってきて「正直に言うんだ」とジミニーが忠告するがピノキオは嘘を吐く。
この時点で「善悪の区別がついてしまった」のだ。
怒られまいと保身に走る嘘をピノキオはいつの間にか知っていた。
「これは悪い嘘だ」と解って言ってしまった。
「僕は悪くないんだ。悪いのは別の人だ」と擦り付ける。
それがすぐに見える形で発現した。
何故か鳥まで生み出すのだが本当にどういう原理で鳥まで生み出したんだろう。
「嘘は大きくなって鼻のように隠せなくなる」と言ってくれた。実にそうである。
ブルーフェアリー自身が良心になるべきでは?と思ったがそうしてしまえば物語として実に面白くないし願い星の妖精ずっと1体の人形に付き従っているのも何かとこう、良くない気がする。独占法とかで。
いい子にならなきゃ木の人形のまま、嘘を吐くと鼻が伸びる。という話は本当に子供に対して言い聞かせるにはぴったりの言葉だ。
ピノキオは是非、まだ善悪を知らない子供たちに見てほしいね、トラウマを植え付けようが「子どもの内は親の言う事を聞かないと恐ろしいことになる」という事を知った方が良い。
あと虫を良心にしないこと。

その⑤ そもそも治安が悪すぎる

無事ストロンボリの手を抜けたピノキオだが再びファウルフェローの手に落ちる。
荒稼ぎのファウルフェロー、今度はコーチマンという男に悪い子どもたちを連れてこいと言われるのだ。
その判別は「学校も行かずにサボる子どもたち」。
いいかい、子どもたち諸君。学校に行かないでサボると誘拐されても文句は言えないぞ。だからいい子にするんだ。いいな!
というメッセージがめちゃくちゃ強い。
コーチマンはそんな子どもたちを連れて「おもしろ島につれてこい」という。
ファウルフェローは「警察にでも知られたら!」と言うくらい、この島は法外かつ誰も知らない島なのだ。
誰も知らないから子どもが悪い事をしても助けてと叫んでも誰も来ない。
天国と地獄が背中合わせだ。
更に入った子どもはロバになるというおまけつき。
あのファウルフェローが怯えて汗も出してしまうほど恐ろしい島なのは変わりない。
おもしろ島とは何なのか。それは子どもたちをロバにして売り飛ばす奴隷島のようなものだ。
ロバはいわゆる「荷運びに最適」な生き物だ。実はあんな小さななりをしていて馬より牽引力が強いという特徴」がある。
売られた子どもたちは見る限り「金鉱山」「岩塩鉱」「サーカス」などに売られてしまうようだ。
「子どもだからって好き勝手した報いだ!」とコーチマンは言ってるがまさにその通りなのである。
悪いことをすればロバになってお母さんから突き放されてもしょうがないぞ。と言うのは物心ついたばかりの子どもにとって恐怖の他ならない。
ピノキオはとにかく子ども目線で物事が進むため、今見ているこちらも恐ろしいくらいだ。
ゼペットさんが祈ったことでこの近辺の子どもの失踪事件が明らかになりそうなのだが悲しいことにピノキオ以外がどうなろうと構わんのだ、状態なので悲しいがロバになった子どもたちは二度と戻らないだろう
そもそもロバから人間に戻す手立てもないし。
ここ等辺の表現はロバにすることでマイルドになっているがその③で言った通り子どもたちは「安価で使える消費物」として使われていたこともある。
一応原典のピノキオは「ロバになる」という表記があるのでそれをもとにしているのだろうが、やっぱりその背景があると怖すぎる描写だ。
泣き叫ぶ子どもたちが助からないのも後味が悪い。その後が書かれていないがやっぱり売り飛ばされて戻らないのだろう。

しかし、ここまで来てピノキオは成長している。
ファウルフェローに唆されそうになったがピノキオは抵抗した。
「お父さんのところへ帰らなきゃ」「おもしろ島にはいけない」とハッキリ言っているところを見て嬉しいかな善悪の区別はハッキリがついた。親心。
少なくとも今朝がたの「ファウルフェローを信頼して」にはならないようだ。(それでもファウルフェローの嘘診察は素直に受けていたので心配)
その後、チケットだと言ってトランプを渡されるが「でも行けないよ」と反論しようとしたところ、半ば拉致されるようにピノキオは連れていかれてしまった。動きを見る限り離れようとしているが背後のギデオンに腕を掴まれてしまった。
このあたりの治安余りにも悪くない?!
そんな治安の中子どもたちを単独で学校に行かせようとするこの地域は一体。
集団登校下校が必要になるレベルで周辺の治安が悪すぎる。
まあそもそもイタリアって治安悪いし…。
しかしコーチマンのロバ車に乗って子供たちが大騒ぎしているのを見てワクワクしているピノキオもいた。
やっぱり君懲りてないけど周りに流されてワイワイしたくなる気持ちも大きくよくわかる。
ちなみにこの牽引しているロバたちはずっと下を向いているが何を隠そう前述した「ロバになった子どもたち」なのだから。
ただ炭鉱とかに売られないだけまだマシなのかもしれない。
懲りないねえと言っていたジミニーだけどここはジミニーを怒れない。
ジミニー視点では再びピノキオがついて行ってしまったように見えるからだ。
これから起こる凶行は知らず、ただ「楽しみに行く」のと「子どもがたくさんいるから安心」という反面があるのかもしれない。
それでも深夜に子どもたちを載せてるロバ車が居たら絶対気になるだろうし朝起きたら親たちがとんでもないことになっていないのか心配。

ちなみにおもしろ島という場所があまりにも「悪」そのもの過ぎる。
まず子どもたちを質の悪いマークトゥエイン号のような船に乗せて島に行くのだが見たところ島中にあるらしく島に行くためには洞窟を通る必要がある。
島とピノキオたちの街はかなり離れているようにも見えるし、大騒ぎしても何しても警察が来ないのは確かだろう。
警察は穴の中まで調べたりしない。

あと子どもたちの中に女の子が見当たらないが、これも1887年頃のイタリアの歴史なのだろう。
女の子たちは母として子どもを育てる将来が決まっている為、「純潔な妻であり賢明な母になる」ことが求められた。
母親は子どもにとって一番近い教育者であり、学校と家庭の両方で子どもを育てていく方針だったようだ。
ピーターパンでもあったが、「女の子は賢いからベビーカーから落ちたりしない」というのもこういう背景がありそうだ。
後日ピーターパンの話も書いていこうと思う。

おもしろ島に着いた彼らは身に降りかかる不幸も知らず好き勝手する。
喧嘩に破壊、無賃飲食、煙草にお酒。
ここに来てしまってピノキオは「悪い事するの楽しい!」と言っているので善悪の区別に対しての認識がさらに強くなっていた。
コーチマンは「好き勝手すればロバになる」と言っていたがイタリアではロバは「愚か者、頑固者」という意味だ。
とは言ったものの、好き勝手し過ぎた結果、おもしろ島がとにかく大変なことになっているので修繕費の方が大変そうだ。

一方のゼペットさんは息子を探すために海に出たそうだがどうして海に出たのか。
家に帰ってくることを予見して家にいればこんなことには……。
帰ってきたときに家には蜘蛛の巣が張っていたが一体どのくらいの時間帰ってこなかったのだろう。
あのおもしろ島の惨劇を見る限り、1日ではなさそうだ。
子どもが長期間いなくなれえば海に出て探すか……。そうか…。
そうはならない気がするなあ
警察という概念があることも解っているので警察に相談しても「木で出来た息子なんです!」とも言いづらい。
「ピノキオが人間になれますように」と願った末こんな大変なことになってしまうとは、ゼペットさんも大変だ。

その⑥ 人食いクジラ

さて海に出たことを知ったピノキオとジミニーは海に探しに行くことになる。

余談だが以前どこかディズニーのアニメ制作の裏側の動画を見たことがあるが、この時の水の表現があまりにもリアリティがあり過ぎて水の揺らめき、反射などが全て頭がおかしいくらいに良い描写である。
ピノキオが「モンストロ知らない?」と魚たちに問いかけた後散り散りに逃げる魚たちの急ぎが水の表現として描かれているのだがロストテクノロジーかと思うくらいリアルで凄まじいので必見だ。
これを踏まえてリトルマーメイドも作られたそうだが、当時のアニメーターたちは「ピノキオよりマシ」と言っていたのを何処かで小耳に挟んだ。
ソースはない。記憶からとなる。

ちなみに「クジラは人を食べない」と思われがちだが恐らくこの人食いクジラことモンストロの元ネタはマッコウクジラだろう。
みんなの考えるクジラと言うのはザトウクジラやシロナガスクジラのことが多い。
このクジラ種は繊毛と呼ばれる歯の代わりの細い毛のようなものが点いているのだが、それで海水を濾してオキアミだけを食べていく。
一方のマッコウクジラは歯がついており、ダイオウイカやタコを好んで食べるのだという。
モンストロにも歯がある為、恐らくモデルはこのマッコウクジラだ。
少なくとも、誤って人を食べるという事は少ないだろうが。

とにもかくにも、そんなモンストロの口の中で生活をするしかなくなったゼペットさん。
星に願いをかけたことで木の子どもが出来たのだが、その子は帰ってこないし探しに行ったらクジラに飲まれるわで散々な目に合っている。
御老体によろしくない。
クジラの中で細々と生活を続けていくゼペットさんは本当に悲しく見える。
「何日も獲物無し」と言っているようにこのモンストロに入って何日も生活している。
更に海底でとても寒いのだろう。いや、全体的な季節は冬に入りかけなのかもしれない。
ゼペットさんが探しに行くときにマフラーをしているし、みんなが長袖を着ているところを見て肌寒い時期なのはよくわかる。
半袖を着ているのはなんとピノキオただ一人だ。
こんな最期を迎えるなんて、と悲しそうなゼペットさんの語り口だが願いが叶った反面こんな最期を迎えることになってしまうなんてあまりにも酷だ。
だがその後にマグロの大群を食べるためにモンストロが口を開けるがそれさえも「来たぞ!」と言っているところを見るとやはりこれは何度か経験している。
いったい何日此処にいたのだろうか、暗くて外も見えない、時間も解らない世界でただただクジラが口を開けるのを待つのは気が狂ってしまいそうだ。
マグロと共に入ってきたピノキオは無事、ゼペットとの再会を喜ぶ。
その後は皆の知っている通りの展開なので割愛させてもらおう。

その⑦ 試練と結果

さて、ここまで書いてきたがどうだろうか。
頭の仮説として「ディズニーの星は願いを叶える代わりに試練を与える」という点だ。
「大人の言う事を聞かないと、いい子にならないと大変なことに巻き込まれてしまう。親にも心配をかける」
勇敢で正直者、思いやりがあれば人の子どもになれる、と言われたピノキオは無事人間の子どもになることが出来た。
こうして幸せな親子に辿りつくことが出来た2人は幸せに暮らすのだろう。
一方ジミニーは良心としてブルーフェアリーから勲章をもらったのだが正直良心としてではなく良き相棒として導いた方が正しい。
ジミニーがいなければ先に進むことも出来なかっただろう、迷ったピノキオを導く星はジミニーだ。
物語はここで終わるので結論を記述する。

ピノキオ

願い事→「ピノキオを人間にしてほしい」
依頼者→「ゼペット」
前結果→「動くようになったが木の人形のまま」
最終結果→「人間の子どもになる。

以下作中の試練パート

  1. 怪しい人物について行って身売りされる。

  2. 身売り先を信用した為、恐喝と監禁を受ける。

  3. 逃げ出そうとしたが逃げきれず島に飛ばされる。

  4. 島の中で悪いことを進んで行った結果、半分ロバにされる。

  5. 父親がクジラに飲まれ身動きが出来なくなる。

  6. 一瞬仮死状態になる。

結論・「星に願いをかけると数倍になって試練が訪れる」

では、また別の作品で。

参考資料

  • ディズニー+ ピノキオ

  • ディズニー+ 実写版ピノキオ

  • Wikipedia ピノッキオの冒険

  • Wikipedia 輓獣

  • 早田由美子著 19世紀イタリアにおける捨て子

  • FANDOMディズニーwiki J・ワシントン・ファウルフェロー

  • 経済新聞 クジラが人をまるのみ! 奇跡の生還者が語る口の中



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?