ある晴れた昼下がりのこと

晴れた金曜の昼下がり、子どもふたりを連れて、地下鉄に乗っていた。水族館の帰り、はしゃぎ疲れてぼんやりしている上の子と、目が覚めかけてかすかにぐずり始めるあかんぼ。そろそろあやしどきかな、とベビーカーに手を伸ばしかけたとき、ふと通路を挟んだ向かいの席の人たちが目に入った。

あれ。いや、まさか。でもそっくりだなーー。その次の瞬間、目が合うと、向こうも驚きではっと息を飲んだのがわかった。互いに相手の名前を思い出すのが追いつかないくらいのほんのゼロコンマ数秒の間で、頭の中で小さな生き物がとてつもなく早いスピードでかけめぐり、藻屑のように散らばった記憶を必死にかき集める感覚ーー

彼らは、かつてのわたしが有期で働いていた職場の上司であった。入れ替わりの激しい下働きで、しかも6年ほども前に在籍していた名もなき人間がよく憶えられていたものだと思う。ただ、真に驚くべきはこれにあらず。その邂逅は、彼らの職場から実に400km以上も離れた場所で果たされたのだ。彼らは出張で、たまたまわたしのいま住んでいるまちを訪れたのだという。とある平日の午後、何年も連絡を取り合っていない人間と、地方都市の地下鉄の同じ車両に居合わせる確率。それが一体どれほどのものなのか、想像がつかない。

奇跡というと大仰だけれど、この類の偶然は確かに存在する、と思う。およそ10年前、ロンドン市内のユースホステルで、自分と同じく日本からのバックパッカーだった男の子と知り合ったときがまさにそうだった。ホステルをチェックアウトした後は、互いに自由なひとり旅、特に連絡を取り合うこともなかったにもかかわらず、数日後、ブリュッセルの街角で、ばったりと彼に出くわしたのだ。

翌日オランダへ旅立つという彼と、その場は再会を祝して軽くビールで乾杯し、わたしは一足先にわたしはフランスへ移動した。が、再びその数日後、今度はパリ市内の駅の構内で、2度目の再会を果たしたのであった。日本人のバックパッカーが訪れる国と観光地というかなり絞られた範囲とはいえ、外国語も心もとなく、行程と呼べるような立派なプランもない貧乏旅行の人間たちが、そうそう何度も偶然居合わせることがあるものか。

わたしは文盲ならぬ「数字盲」ーーそれも重度のーーで、腹痛に悩まされるほど高校の数学に苦しめられた。そんな訳で、確率論などはあやふやなまま大人になってしまった。けれど、幸運やよい偶然は「99%あり得ない」より「1%は起こりうる」の方が人生はおもしろい、と信じている。なので、この午後の出来事はこれからの日々の何かの伏線になっているのだろうか、などとわくわくしてしまうわたしである。ぼんやり思いをめぐらせていたら案の定、一駅乗り過ごしてしまったけれど。

#エッセイ #似非エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?