低気圧は突然に

悔しいと、ひとりでに目から熱いしずくがぼろぼろと流れ出てくる。泣きたい気分などではない。でも、そんなことはお構いなしに涙は両目から溢れ、睫毛を濡らし、頰をつたって、ぽたぽたと手元に落ちてゆくばかりなのであった。昔からずっと、そうだった。怒っているとき。歯がゆいとき。地団駄踏みたいとき。負けん気を起こしているとき。自分の気持ちが揺れてどうにもならなくなると、なぜか膨らんだものが込み上げてくるのだった。大人になった今でも相変わらず、そんな自分の生理現象に辟易させられ続けている。

喧嘩しているときに涙がこぼれると、まるで相手に言い負かされたかのように受け取られるのが癪で、余計にくしゃくしゃして、さらに収まりがつかない気持ちになった。感情が高まると、その火照りを冷まそうとするかのように涙は惜しみなく流れる。けれど、ひとしきりわあわあと嗚咽をあげれば、涙の筋が乾く頃には、自然とその昂りはやわらいで、かわりにとろりとした眠気がやってくる。ああ、そうだ。まるで駄々をこねて草臥れた子どものようなのだ。身体中から熱を発散させて感情を露わにしていたと思ったら、次の瞬間には泣き疲れて寝息をたてている柔らかい生き物。

こんなにも心が単純で未熟なまんま、なりだけ大きくなってしまった自分に、時々呆然としてしまう。頰についた畳のあとも、足指の爪の先に挟まった海遊びのあとの砂つぶも、変わり映えせずここにある。それでいて、ひとたび大人しかいない場所に放り出されれば、なりの大きさに応じた役が与えられる。なんてことない顔をして、そつなく意思疎通をはかって、嫌味もまるっとのみこんで、約束をひとつ残らず守らなくてはならない。だから、スイッチひとつで自分の気持ちのあかりを入れたり消したりする。でも時折、切り替え忘れて、出先でにわか雨に遭遇することがある。金曜は、まるで真夏日のスコールだった。

#エッセイ #似非エッセイ

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