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転職体験記1(都庁時代)

隣でジュピくんは寝ています。今日は、自分の転職の話です。
この12年で7つの職場を経験しました。業種は2種類、地方公務員と私立教員です。先日、そのうち5つの職場の人たちと再会する機会がありました。転職して経験したこと、転職しても変わらないこと。これを機に、書き留めてみます。今回は、都庁を退職して、教員免許取得のために大学に通学するまでです。

初めての職場

最初の職場は地方公務員です。志望理由は、環境問題に関係する仕事で、地方への転勤がないこと。学生時代の試験勉強が実り、晴れて希望していた東京都庁に採用されました。配属先も希望通りの環境局で、こんなに上手くいって良いのだろうか、という調子の良い時期でした。

実際に働き始めてみてすぐに、私は違和感を感じていました。高校の頃から、環境問題を扱う行政で仕事をすることに憧れを抱いていました。そのため、すでに仕事をしている職場の先輩たちや上司に強い関心と憧れを抱くと同時に、どうも場に馴染めない違和感を感じていました。その矛盾を上手く把握できず、数年過ごしていました。

違和感の正体

結論から言うと、私の強みと職場が求める能力が一致していなかったのが原因です。お役所は、革新よりも安定が大前提。世の中を支える組織に求められる当然の役割です。大きい組織で、たくさんの行政課題を抱える職場では、円滑に業務を回すことが何よりも求められます。個人の突発的なアイデアが必要ないわけではないけれど、それよりもっと回すことの方が優先順位が高かった。

私は、正義感が強く、何事も自分が納得して自分のやり方で進めたいタチです。集団の空気を読む技術はこれまでも磨いてきたので、なんとか合わせようともがきましたが、業務が忙しくなるとその余裕はなくなっていきます。法令を勉強しつつ、その解釈に納得して一つの仕事を済ませるまで、他の人よりとても時間がかかりました。

男社会を知る

それに加えて、中高女子校で育った私には、男女平等の傾向が強いといっても、やっぱり男性が多く男社会の組織では、理解できないことが多く、躓いてました。相手を立てる、というプライドを大切にする男社会の根本原理をどうしても蔑ろにしてしまいます。部署同士のプライドがあることは感じても、それに倣うことに悉く失敗していました。今思えば。だから、よく怒らせていたような…。

内部管理を主に担当してました。部署同士のやりとりをするなか、同じ都庁という立場で、都をよくするために仕事をしているのに、情報を共有しない理由は何?という思いが顔に出てただろうなぁ。笑 自分のプライドのために案件を通さないとかいう精神が、公のために働く役所で罷り通るなんざ、もってのほかだと、今でも思ってしまいます。笑 あまりにも率直な物言いをする私が、何回、上司や周りの部署の人間の顔を硬直させたか…。。笑 今思い出すと笑い話ですが、叱られる経験も少なかった私にとっては、地雷を踏みまくって、叱られる毎日は緊張の連続でした。

組織人になるための努力

頑張り屋さんだったあの頃、せっかく入った憧れの職場で認められたくて、随分とエネルギーを使いました。周りの先輩の仕事の仕方を必死で真似て、一人前になろうと残業もたくさんしたし、先輩や上司ともよく飲みにいって仕事を教えてもらいました。周りの人たちは可愛がってくれました。見ていられなかったんだろうなぁ、、必死に頑張っても空回ってました。。それでも、努力の甲斐あって、4年目になる頃、異動して3つ目の職場に配属になった頃には随分役人にも馴染みました。

それでも、最初から感じた違和感は拭えないまま。都庁はとても大きな組織です。組織内での辻褄は合わせる必要があります。そうすると、一つの事業の執行管理を担当していても、事業と関係ないことが原因となって事業内容は変化していきます。それが、私にはどうしてもダメでした。

行政で目の当たりにした事

この組織で、行政の現実は痛感しました。なぜ、行政は問題の根本解決ができずにいるのか。社会を良くしたい。そのために問題があるならそれに携わりたいと、ただシンプルに思っていました。行政がなぜ苦戦しているのか、納得しました。詳しい説明は省きますが、これは行政単体に問題があるのではないです。社会の仕組みが作り出したものの一つが行政だから。社会の仕組みは人々が苦労して作り出したものです。

そして、この組織に馴染む自分が、あまり好きになれませんでした。私にとっては、譲歩することが多い(自分の思いは反映されることが滅多にない)割には、得るものに満足できない職場でした。給料たくさんもらっても、疲れすぎて遊ぶ元気も湧かない毎日でした。仕事の後に、先輩たちや同期と楽しい時間も過ごす一方、ストレスで体型も変わり、生活も乱れました。26歳の時、車で移動中に上司と担当する事業のこの先の事を話していました。知事の方針次第で、自分たちが何をするのかは変わるんだというような話だったと思います。その話をしながら、私はふと、もうこの職場にこだわるのはやめようと決めました。

退職後の行き先

退職することを決めてからは早かったです。周りに決意を伝えると、それを応援してくれました。安定した公務員を退職することに驚かれることは多くても、そもそも「安定」が志望理由に全くなかったので、自分としては惜しさはありませんでした。あの頃は、次の仕事のことまで頭が回らずに、退職金も入るし少しゆっくりしようと思っていたのです。が、直属の上司の強い勧めで大学に在籍することになりました。

あの頃の私にって、教員は魅力的ではなかったです。それでも、どこかの組織に在籍する事を勧められて、母校に戻りました。科目等履修生という形で、教員免許取得に必要な単位の取得を目指しました。私にとって、この2回目の学生時代がこれまでの人生で最も楽しい時間となりました。初めて、自由を感じた時期です。大学在籍に乗り気ではなかったけど、この選択を勧めてくれた上司に今でも感謝しています。

思い返すこと

退職を決められたのは、憧れていた最初の職場で自分の限界まで力を尽くしたことが大きかったです。憧れと、適性は違うのだと、嫌というほど実感しました。そして、行政の現実を理解し、納得できたことも一つの理由です。それが知りたくで、この職場を選んだから。その後、都庁時代を懐かしく思うこともありましたが、今でも退職したことは良い判断だったと思っています。

この間、久しぶりに先輩たちに会って、人に恵まれたことを思いだしました。今では考えられないくらい、正直すぎる愚痴をぶつけていました。たくさん飲んで、付き合ってもらいました。この後も私の転職は続きましたが、最初のこの判断は、英断でした。たくさん学ばせてもらって、充実した4年間だった。この頃の苦労があるから、今の自分があリマス。

苦手な仕事で身につくこと

自分が苦手なことに全エネルギーを使うのは、とても効率の悪いことだと思います。なかなか成果を感じられません。けれども、自分を知るとても効率の良い方法です。何が違うのかの千本ノックをするようなものだから。そして、基礎能力を身につけるためには、最適で、私にはこの職場で良かったです。苦手だったからこそ、周りの先輩や上司にたくさん頼って、カッコ悪いところを見せて、教えてもらいました。

この経験のおかげで、同じ教員同士で共感できないことがあるのもまた事実です。そのため、経験していなければなと思ってしまうこともあリマした。同僚と分かり合えないことは、私にとって悲しいことです。でも、この考えは間違っていたとはっきり言えます。先日、久しぶりに先輩たちに連絡を取った時、腑に落ちました。なぜ、都庁に行ったのか。職場で学ぶのは、仕事に必要な能力ばかりではないようです。あんなに苦労して身につけた都庁のしきたりはほぼ忘れたし、覚えていても全く使えません。けれど、そんなことは瑣末なことです。人間関係の学び、社会への視野、自分を知ること、全力で挑んだ成果はもっと大きなものでした。私が4年間で経験したことは、得難くとても貴重なものだったのだと、時間が経ってからの方が感じます。

2度目の大学生

1回目の職場をやり切って、ご褒美のような2年間の2度目の大学生活が始まります。本当にワクワクしっぱなしの日々でした…

つづく

noteを書き終わるのに待ちくたびれたジュピくん(こたつ布団の上にて)


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