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"あけおめ" と社会システム

ご来光を撮ってみました。日が昇ってくるその上の空にまだ月が残っていますね。

「あけおめことよろ」って今でも言うのかな?
新年の始まりの喧騒と恒例行事を、SNSを通して思い出しているような次第です。
紅白の「変わろうとしていろいろやるけど滑っている様子」は「いい家育ちのお坊ちゃんが擦れた世間に馴染もうと無理してる感」があって微妙だったなぁ、とか。

見る価値があるかどうかは別にして見てしまうんですね。「あけおめ」も「何がおめでたいのか?一日跨いで2018年から2019年になったことの何がおめでたいのか?」は論点ではありません。

高度経済成長期とその余韻があった時代に、紅白を初め年始年末のバカバカしいテレビ番組をわだかまりなく見れたのは分かる気がするんですよね。今年もこれ終わり、来年は今年より良くなる、給料もボーナスも上がる(物価も上がるけど)、新しい耐久消費財を購入できる、生活水準が上がる。地価も上がる、株価も上がる。総右肩上がりですね。アドレナリンが出ないわけがありません。「細まけぇことはいいんだよ!」の世界です。おまけに日本の経済発展が、世界における日本のプレゼンスをアテストしてくれる。

「来年は今年より良くなる」という確信に疑いはなかった。まさに「明けましておめでとう」なわけですね。

もう10年かそこらまともに見ていないので近年の状況は知りませんが、変わろうとして試行錯誤した紅白も「良かった時代の高揚感」は刷新できないのだと思います。だってあの高揚感こそが紅白であり年末年始の空気感なので。まぁ小難しい話(?)は「朝まで生テレビ」にまかせて、ということでしょう。

「おめでたいからおめでたいんだよ!」ということで、暦に合わせて「あけましておめでとうございます」と一瞬かしこまることが道理を弁えた大人の振る舞いなわけですね。あぁ「あけましておめでとう」は社会システムの一部だったんだなんだなぁ、と、かつて感じていた違和感の背景に思いを巡らせた2019年の年始でした。



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