震災から10年。やっと話します。

今日、ラジオドラマお「はるかぜ、氷をとく」のスピンオフ番組

「はるかぜの旅路」がNHKで放映された。

友人の娘さんが声優としてラジオドラマに出演。

「はるかぜの旅路」では彼女の10年を、友人家族や知人が出てきて

共に語り合いながら番組が進んでいく。


「あの時」 福島のひと、みんなが懸命に考えた。

考えて考えて考え尽くして、

それぞれの結論を出したのだと思う。

結論を出さなかったのだと思う。


「どうやったって戻れないんだから。震災前のあの世界には。」

そんなセリフに、

自分も毎日悲しくて、

TVを見ながら未曾有の現実に

「何をどうしたら?」

「わたしはどうしたら?」と考え続けた。人知れず泣いた。

1年動きまくって、私の守るものはこの子どもたちだ、と気がついたんだった。


ほんと、いろいろあった。

2012年3月に「自主避難」を決めて、茨城の実家に移動した私と娘たち。

仕事での自分。家庭での自分。矛盾するこころ。

ひとたび関東に入ったら何もなかったような様子に

苛立ちと悲しさと苦しさと安心と。。。


避難したどの親も

「あの避難はバカげた行動だった!」と思えることを祈っていた。

あんなに悩んで悩んで決めたことなのに、おかしなことだけど。


外に洗濯物を干す。

窓を開けて眠る。

水道の水でお米を研ぐ。

近所のおじちゃんの野菜を食べる。

そんなあたりまえが怖くて、できなかった毎日。

「ふるさと」の曲を聞くたび涙して、声にならなかった。


何より、一人で福島で仕事をふんばってしていた主人。

3年前に戻ってからの方が、その心の溝が大きいことに気がついた。

あの時、互いに納得して決めたはずだった。

時々茨城で、三春で会う週末婚。

なかなかいいぞ!と思っていたのもホント。

でも、互いに思いやりすぎて言えなかったことがきっと満載だった。


福島にたくさんあった幸せな記憶と大切な人を切り捨てた、

と感じる自分への嫌悪感・罪悪感。

三春に戻ってからの自分への目を気にしていた私をきっと彼は知らない。

彼は三春でどんな毎日をすごしていたのか。私も知らない。

自分でも気がつかなかった自分の本心。それを知る今日この頃だったりもする。


私は福島に嫁いで20年で、こんなに福島を好きになって、苦しかったんだから、

ここで生まれ育った人たちにとってはどんなに苦しかったことか。


3年前に、三春に戻ることを決めた時、当時小4の三女に話した。

震災当時2歳半だった彼女は、何が起きたのかわからぬまま避難。

父親はたまに茨城にやってくる生活がスタンダード。

7年前に何が起きたのか、どうして戻るのか、、、

「よくわからないけど、

私のことを大切に思ってくれていたからだ、というのは分かった」と言った。

10年たってどうだった?

「みんな、お疲れ!って感じ。」ってまりっぺが番組の中で言った。

いろいろわかる感情もわからない感情も心にあるけど、

そんな感覚なのがよくわかる。


「みんな、お疲れ!つぎ、いくよ!」って感じ。

わたしたちの10年。これからの10年。

ALL IS WELL!

きっとうまくいく。


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