グザヴィエ・ド・メーストル「シャンベリ気球実験のご案内」

【原題:Prospectus de l'expérience aérostatique de Chambéry】
【モンゴルフィエ兄弟による1783年の気球有人飛行は大変な驚きをもって迎えられ、多くの出版物に描かれただけでなく、フランスでは家具や食器にまで気球の意匠が使われるなど一大流行となりました。今でもフランス語では気球のことを「モンゴルフィエール montgolfière」といいます。この文章は、当時わが街でも気球を揚げたいと思い立った弱冠20歳のグザヴィエ・ド・メーストルが協力を募るために書いたパンフレットの案内文で、グザヴィエの名で公にされた最初の文章ですが、実際には兄ジョゼフの手が多く入っているようです。原典はŒuvres inédites de Xavier de Maistre, Tome 1, 1877を使用しました。()は原註、〔〕は訳註です】

新聞が「ついに人間は空を飛び、空に浮かぶことができる」と告げたとき、それは人間精神にとって素晴らしい画期であった。しばらくは驚嘆と称讃のあまり、冷静に異論を予測できようはずもなく、誰もがのぼせていた。皆が「気球」だけを見、話題は「気球」一色となった。正規の物理学者からしがない職人まで、誰もが自分の気球を飛ばしたいと思った。子どもたちでさえ「軽航空機〔気球や飛行船などの総称〕」「気体」「牛腸膜〔薄くて気密性があるため気球の皮に使われた〕」等々の単語を口にできた。新たに気球実験が行なわれるたび、ヨーロッパじゅうに評判が伝えられ、愛すべき国、自国のものを何でも溺愛する国、栄誉を与える前に近隣諸国に疑り深い者がいるかどうか確かめたりなどしない国は、驚きで昂奮した大衆から発明者たちへ、感謝として示せる褒美は何でも、惜しみなく与えた。個人の顕彰、あらゆる讃辞、胸像、メダル、碑銘、云々。発明者たちを栄光で満たし、この発明の物語と発明者たちの名前を遥か未来の世代まで伝えるために、できることは何でもしたのだ。

気球への熱狂の第一波のあと、感嘆のどよめきの中から辛辣な批判の声が聞こえてきたことは確かだ。しかし、われわれの熱狂がときに冷ややかな哲学者の笑い種となったであろうにせよ、この発見を軽蔑をもって受け入れた者がいるからといって、それをどう考えるべきか?われわれが甚だ間違っているのか、それとも熱狂するより批評するほうがよっぽど考え足らずなのか。

輝かしい実験の最初の目撃者たちに軍配を上げよう。これほど狂喜の許された事態はあるまい。軽航空機は、どこから見ても熱狂に値するし、冷静に向き合う力など人間にはない。この実験は、有用性の概念とは全く無関係に、五感を魅了し讃嘆を強いる、圧倒的なものなのだ。空中の「航海術」あるいは「飛翔術」は、もはや今日では、永久機関のような、頭の空っぽな者の気晴らしにすぎない空想や未来の話ではない。これほど人間の力を超えるように見えるものはない、ただ試みたというだけでは無鉄砲な者が愚かに見えた。世論は「過去のイカロスたち」全員の運命から考えて、狂人より少しばかり上等と考えてやれば充分な名誉だと思っていた。

すると、皆の予想を裏切って、片田舎で、あれこれけちをつけて狂気の企画だと述べ立てる多くの名士たちの予測など気にせず、モンゴルフィエ兄弟が発見を掴み取り、布と煙で羨望をかき立てた。

ミュエット城〔最初に気球の有人飛行を行なった場所〕に想像で赴けば、ふたりの大胆な男(不当なるペーメー神〔ギリシャ神話の女神、噂・名声の擬人化〕は、ふたりを後継者たちよりも充分に持ち上げていないようだ)が初めて「綱を切れ!」と言い、初めて心許ない機体で宙に浮き、初めて胸躍らせる10万もの観客たちの頭上を飛んだら、――最初の称讃の嵐など、すっかり許してしまうだろう。

偉大な哲学者!鋭く厳しい目で人間のあらゆる弱さを見つめ、何事も許さない哲学者よ、どうぞ「気球」を見ただけで厳めしい眉に皺を寄せてくれたまえ。もし祭り上げられるのが自分だったら、どれほど大衆の熱狂を許したくなるだろうか、考えてみたまえ。国民的な誇りとは父の愛のようなものだと、覚えておきたまえ。子どもっぽいことも許せるようにならねばならない。

しかし「気球」は何の役に立つのか?――よく聞きたまえ、高名な批評家たちよ!われわれは気球を知らないから気球を作って学ぼうとするのだ。電球の黎明期にいたら、あなたがたは間違いなく電球を壊すよう勧めただろう、今われわれの「気球」を燃やそうとしているように。なぜなら、われわれに「避雷針」や、あるいはカヴァッロ〔Tiberius Cavallo〕、ルドリュ〔Nicolas-Philippe Ledru〕、カンケ〔Antoine Quinquet〕、ベルトロン〔Pierre Bertholon de Saint-Lazare〕といった諸氏の優れた実験をもたらした電気というものは、間もなく他の現象とも結びつけられ、おそらく自然の最も偉大な秘密を暴くだろうが、長いこと役に立たない驚異でしかなかったからだ。一般に、予想もしていなかった事実を人間に教えてくれたり、新しい力を人間に与えてくれたりする発見は、何でも昂奮をもって受け入れられねばならない、というのも、そうした力や知見によってこそ、過去の世代には知られていなかった領域を旅してゆけるのだし、そこで何を探せるか、探すまでもなく見つけられるかさえ知らずに、厚かましくも「わたしはその地を訪れたいと思わない、そこには見るべきものが何もない」などと言うのは、軽率の極み、さらには滑稽の極みだからだ。

そう考えて、われわれは軽航空機の公開実験のための寄附を募ることにした。われわれの作ってもらう「気球」は、当然ながら完璧な球形にせねばならないと考えており、3人乗りとなるだろう。直径が55ピエ〔約18m〕、したがって87143立方ピエの希薄化された気体を搭載し、7625リーヴル〔約3.7t〕ぶんの大気の重さ(微小な値は無視する)を軽減できるだろう。「気球」の浮力については述べない、まだ積荷の総重量が確定していないからだ。ただ、その力が(重量を無視して)3812リーヴルであれば、不自由しない万全な準備として充分なように思われる〔検算すると必ずしも正確な計算でないようだが、数値は全て原書ママ〕。

機体は発明者たちの原理に倣って作られ、積載されるだろう。上半球は、気球の天頂のみに固定された網で覆われ、網目は全て頑丈な索具に結ばれ、索具は「帯」あるいは「赤道」を成す。実験によって、この部分は木で作ってはならず、また一般に「気球」の部品に硬い物質を使うのは避けるべきであることが分かっている、完成度は浮揚のための流体の圧力に追従できる柔軟性にこそかかっているのだ。他の索具は、片方の端を「帯」に、もう片方の端を柳でできた桟敷席に結ばれている。桟敷席は気球の「骨」を延ばしたものによっても支えられている、それは綱のようなもので、紡錘形の縫目の中を通され、地球の子午線のように機体の表面を垂直に這わせてある。

われわれの「軽航空機」は、現時点で考える限り、少なくとも目下の荒天が治まって邪魔されなければ、今月の18日から20日までの間に飛ぶだろう。要件を全て備え、また尊敬すべき所有者がぜひ役立ててくれとわれわれの計画のために提供してくださった、ビュイッソン=ロンの囲い地の真ん中で揚げられる。

われわれの実験に使う機体の各部位について、これ以上の詳細に立ち入るのは無益と思う、見れば誰でも分かるのだから。総じて保証できるのは、あらゆる構成部品に込めた細心の注意、制作物を点検する方々の熱意、最も慎重な方々によって間違いなく集められる卓越した素材の品質である。だから、最も些細な実験にも耐えられないような無用の恐怖がわれわれの企画をよぎり、不愉快にさせられないよう願っている。

好事家のみならず善良な市民は皆、この素晴らしい実験を行なうことに興味を持ってくれると思う。冷ややかに見つめたり、面白い発見を貶めたりするのではなく、手順を辿り、くまなく検討し、謂わば「馴染の空気になる」ほうが、本物の哲学者たちには相応しい。

気球を操縦できるようになるだろうか?と、いつも聞かれる。おそらくそうなるだろう、程度はともかくとして。それに十中八九、問題を解決するのは「わたしが解決するだろう」などとは言ったことのない者だろう。しかし書見台の前で思索に耽っていれば気球の操縦が上手くなるだろうか?そう思いたいものだ、理論を称えよ!だが実験に基づかない理論はこっぴどく失敗しがちである。とくに警戒すべきは、人間が未だ力を試したことのない領域においてだ。人間は「虚空で」「空論で」動いたことなどないからだ。そこで起こりうること、起こりえないこと、起こるに違いないことは、千もの知識人たちが家でぬくぬくとしながら何でも巧みに説いてくるようなことではない。言わせておこう、われわれは「気球」を作ろう。使っていれば、どんなに深く考えても分からなかったことが、分かるようになるだろう。何としても「ベルリン馬車〔大型四輪馬車〕」に乗るのと同じくらい「気球」に乗るのに慣れねばならない。意地悪な連中が「無駄な反復」「愚かな出費」などと呼ぶものこそ、いま皆が目を向けている大いなる目標へと至る唯一の方法なのだ。「空論」なのは、仰々しくも無益な多くの誹謗文書の作者である。「気球操縦法」は、「おそらく」大いに恥じ入って慎ましくなるだろう〔「失敗しない気球操縦法」〔Moyen infaillible de diriger les Ballons〕という、気球を馬に曳かせた諷刺画が出たらしい〕。「空気の挙動」という疑わしいものに頼れるか、あるいは「空中での動作」という確実なものにのみ頼れるかを知ろうとするのは、「空論」なのだ。後者の力をもっと有効に使う術を知ろうとするのは、「空論」なのだ。ともかく、6千年の経験から充分に分かったとおり、発見というものについて、われわれは「来歴」から推論することはできず、偶然の「途上」に謙虚に立つのが賢明である。

われわれはといえば、舵取りの方法について語るほど向こう見ずではない。立派な夢を描くこともできよう、しかし誘惑を振り切って、これだけは述べておこう、モンゴルフィエ兄弟の方法で作られた、空中に長く留まるための機体を利用して何ができるか示すため、また今に至るまで中途半端な成功しか収めていないとしたら、それは作りの悪さや、その他くどくど論じるほどでもない原因に帰せられるべきであることを皆に納得させるために、最大限の努力してきたのだ。

シャンベリの「気球」によってモンゴルフィエ兄弟に改めて称讃を送ることとなるのを心から嬉しく思う、世論が毎日われわれに朝から晩までモンゴルフィエ兄弟のことを話してきても、われわれは一瞬たりとも倦むことはない、なぜなら世論が兄弟の謙虚さについて語ることなしに兄弟の名を挙げるような事態にはまだ至っていないからだ。

しかし何にも増してわれわれを夢中にさせるのは、驚くべき光景によって科学的興味を、とりわけ実験物理学的興味をかき立てることだ。誰の心にも然るべき昂奮が起こり、高められ、少しばかり遅れた実験だからといって些かも興を削がれはしない、遅れてきた雄々しさは確固たる気質の証と考えたいところだ。堂々たる巨体が盛大に広がり、宙に浮かぶのを見た若者は皆、自分も同じ栄光に浴することを望んでよいはずだ、努力すれば自分も同じ道を行けるのだ、「全ては発見され尽くした」などと言ってはいけない、無限に飛翔する知性にとって恐れるべき障碍とはただひとつ――怠惰のみなのだ、と思って欲しい。

「気球」の発明は今なお、どんな身分、どんな国の人間にとっても、思索と発奮のよき題材である。自然の恵みの分配とは何と感嘆すべきものか!この優しい「母」が、どの子も決して蔑ろにはしないと時たま知らせてくれるのは、何たる心づかいだろう!物理学の神が、人間は鳥と並ぶ存在になれることを教えてくれるつもりだったとして、「それはあなたがたのところではなかった」のだ、ロンドンやパリの諸君、奇蹟を起こすために運命の人物を探した、それはどこかって?――アノネー〔モンゴルフィエ兄弟の生地〕だ!

不思議なことだ!この偉大な発明、世界をわれわれの支配下に置かせた驚くべき技法について考えてみれば、われわれは学識者なる肩書の者には何ひとつ、ほぼ全く負うていないことが分かる。しょっちゅう大都市で会合を開き、天才のためになるものは何でも用意され、教育や技術や野心、それに予算にも囲まれて、学識者たちは解説や修正や分析や改良をしている。ところが人間の力には何も加えられないのだ。思い上がった理論が学会の中で訳知り顔に計算したり夢想したりしている間に、首都や学校から遠く離れて、永久に名を刻む瞬間まで全く知られていなかった慎ましい好事家のもとで、実験が奇蹟を生んだのだ。

この発見は、ヨーロッパの知識人たちを恥じ入らせるためにこそ為されたかのように思われる。発見に必要な何かを欠いていたのか?否、現代の物理学者たちは山ほど本を持ち、「気体」の基本的な性質を知っているし、雲が空に浮かんでいたり煙が竈から立ち上ったりするのは誰もが見ているのだから。モンゴルフィエ兄弟が自身の方法を説明しているとき、同じく空中での航海術を解説しているボレリ〔Giovanni Alfonso Borelli〕の著作を読むこともできた。最近は、運命が名士たちをからかうために、彼らが見ることのできないものを彼らの目の前に置いて遊んでいたかのようだ。そのことを考えさえすれば発見に至れるまでになっていたとでも言えようとき、アッシリアの王を恐れさせた手ほど致命的ではないが同じくらい無謬の手が、研究室の壁に「お前は貫目足らずだと分かった」と書いたのだ。

だから唯一真正かつ唯一実用的な実験物理を信じて任せよう。学術的な計算や理論を無視はしまい、しかし然るべき「探究的」実践にも価値を認めよう、何事も軽々しく通り過ぎず、世界じゅうを絶えず「探索」し、ごく小さな物の前にも立ち止まり、目に入ったものは何でも動かし、重さを量り、分解し、道理を手で掴み取りながら、なお闇の中で光を期待して手探りするのだ。思索に技術を加えよう、ときに鑢や鉋を手に取るために代数の公式を離れるのが下品なこととは思うまい。

支援が足りないとか、大都市から離れているとか、田舎ゆえにできないことがあるとか、そんな言いわけをしても無駄だ。それらを考慮したからといって、われわれが意気を挫かれることは全くない。秀才たちは首都に生まれ、首都に集まるように見える。しかし「秀才」は「天才」の解説をするだけなのだ、そして「天才」はどこにでも生まれる。

寄附者たちに漲るこのような考えは、若い同郷人たちの心にも同じ印象を与えるだろう。新聞の冷ややかで生気のない記事に代わって、われわれが若人たちに同胞を昂奮させたのと同じ刺激を与えようというのは、彼らのためなのだ。現代物理の最も偉大な驚異のひとつである華々しい光景が、目から頭に入り、魂を燃やさせ、大いなる物事への芽を伸ばし、科学によって追い求められる喜びや栄光に満ちた活力ある思考を与えることができたら、さいわいである。

これが、一見したところ無用そうな企画に、われわれがとくに込めた動機なのだ。

とはいえ、空疎な駄法螺ではないにせよ、われわれが科学を称えつつも多分に娯楽的な動機ぶくみであることを、隠しはしまい。科学は素晴らしい、それはそうだろう。

しかし思うに、娯楽もまたそれ自体の価値がある!
〔出典不明〕

見世物としての側面からのみ考えたとき、多くの旅行者を乗せ、空に昇って悠々と飛行する巨大な「軽航空機」に比肩しうるものが他にあろうか?人間は鮮烈な刺激を渇望している、そう!われわれはそれを、現在まで知られていなかった分野において、皆のために用意するのだ。物事への自然な興味に、引き続いて起こる容易に予感可能な多くの楽しみを加えたら、この実験の日は、技術が人間という存在をこの上なく喜ばせてくれた日として書き記されねばならないと、納得できるだろう。

ここで挙げた見世物という考えは、抗い難い性向によって、見世物こそ華とする者たちのほうへと引っぱってゆくが、しかし社会の美しいほうの半分に向けて、われわれの実験について特別な讃辞を送らずに終えることはできない。この企画を捧げるのは、とりわけご夫人がたに対してなのだ。この実験の喜びを得るために、不幸や、ごく僅かな不都合さえも代償とせぬよう、われわれが細心の注意を払っていることを、ご夫人がたに保証する。用心して軽航空機の実験を行なえば何の危険も起こらず、ただ目を驚かせるだけであり、意地悪な「シルフ〔風を司る精霊〕」が空中で燃焼装置をひっくり返しても気球は必ず直径55ピエの落下傘となって乗客を安全に着地させると、保証できる。

しかし過度の感受性に対して予め備えておくことは大事だから、ご夫人がたのためでもあるし、それで空中航海士の意欲を削ぐことのないよう、ご夫人がたには、われわれの制作物をちらちらと見やることをお勧めする、その最も主要な部分については、ご夫人がたよりも適切に判断できる者はいまい。ご夫人がたは、内輪の集まりの楽しさを成す特質を「たくましい女」の特質に結びつける術を知っていようから、われわれの「未ざらしの麻布」の頑丈さや、「別々の箇所の縫目」の均質性や「定着液」、「縁の折り返し」の丸さ、「かがり縫い」によって合わせられた多くの紡錘形、表面に出ているふたつの広い「まつり縫い」、そこで受け止められ「重ね縫い」の下で固定されたしなやかで丈夫な綱、その綱は華麗な桟敷席を支えるに充分で、人間は桟敷席に座って雲間に消え、一目で森羅万象に見とれる、人間は才能によって森羅万象の王となったのだ、そうしたものを見に来て驚いてもらおうと頼むときに、知らない言葉で話そうというつもりはない。

充分に用心したからには、空中旅行者がご夫人がたに、美貌をいっそう輝かせる心地よい感動について話すのを、期待してもよいだろう。そういうわけで、われわれは悲鳴や憤激、気絶といったものは全く望んでいないのだ。こうした恐怖の仕草は、根拠のないものだったとしても、折目正しい物理学者たちをひどく動揺させる。離陸してなお地上で最も目を惹く方々を見るのを忘れないであろう3人の旅行者は、3本の「アクロマート〔2枚のレンズにより色収差を補正した〕」望遠鏡を囲い地に向けたとき、美しい顔がこわばっているのを見つけたら、深く悲しむだろう。

現代の「アストルフォ〔中世フランスの武勲詩に登場する騎士。吹けば相手を倒せる角笛など、さまざまな魔法の道具を手にする〕」は、古代と同じく音の大きな角笛を持っているが、使い方は全く異なっており、皆に別れを告げるときに角笛を咥え、しっかりとした響く声で「ご夫人がたに栄光あれ!」と叫ぶだろう。もっとも彼らは、この古代の騎馬戦の決まり文句によって、華々しい祭りの締めくくりには甘美な儀式が行なわれるだろう、地上に戻ったら皆が「騎士叙任式〔ここでは抱擁のこと。騎士叙任式の際に抱擁で祝意を表わすため〕」を授けずにはおれないだろう、と少し期待してもいる。

気難し屋は、こうして物理学や発見といったことを見失い、「気球」と何の関係もない人々のことを長々と考え、頭を逸らさせたといって、われわれを非難するだろうか?――否、そんなはずはない。われわれの小粋を、目的地まで遠回りの道で行き、世界の大きな「力」のひとつを計画の成功に関わらせるような、巧みな駆け引きとしか見られないようでは困る。ともかく、この「魅力」は何にも劣らないものだ。あらゆる可能な方法で科学的好奇心を満たそうという、われわれを動かす高貴な野心のうちに、どうして「ムーサたち〔文藝・音楽の女神〕」のための「三美神〔美の女神〕」を入れないことがあろうか?

於シャンベリ、1784年4月1日

(訳:加藤一輝)

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