シャンフルーリ「日本の諷刺画」第10章:仮面、空想、悪夢

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日本人はどのようなリキュールを飲んでいるのか?

日本の絵師の想像力によって生み出された幾つかの絵を見たら、このような疑問が一度ならず好事家の心に生じるはずだ。奇想画の中には、空想というよりむしろ悪夢の系統に分類すべき、非常に奇妙な要素を持つ創作がある。

アルコール飲料が、そうした異形の絵を生み出させるのだろうか?

中毒患者の髄まで貫く動揺を後から手で写し取るには、阿片の陶然とさせる煙、それによる神経系の占有が必要だろう。しかし日本で阿片の使用法は知られていない。

空想的である以上に困惑させられる絵の本質についてくどくど述べようとは思わないが、その性質を説明するには、錯乱した人物が際限なく伸び、傾げた頭が嵐に揺れる枝垂柳の葉を思わせるのを、手短に記すのがよい。全てが絡まり合い、混じり合い、腕の中で形を失い、腕は脚となり、脚は竹馬のような形となり、上半身を見たこともない高さに押し上げる。たなびく頭は長い紐の先に繋がれているようだ。首は曲がりくねってどこかへ行ってしまう。手足は縺れ、どこで胴体に繋がっているのか分からない。ある者は頭蓋骨がくるくるとどこまでも伸び、また別の者は頭蓋骨が屋根型に潰れている。悪賢い男は、さらに別の者の耳を紐で繋ぎ、頭から耳を切り離した奇妙なものを渡し、地面の不思議な音を聴かせようとしているようだ〔『北斎漫画』十二編。最後の説明は耳ではなく目だと思われる。三つ目入道のために三つ目の眼鏡を作っている〕。

鼻が伸びるというのも、日本人に好まれた珍奇な題材のひとつである。ふたりの旅行者が連れだって、ひとりが手の塞がる荷物を運んでいると、もうひとりの鼻が並外れて長いので、それを竿にして荷物を吊れるというので、相方の肩に鼻を担がせている〔『北斎漫画』十一編〕。安易で些か子どもっぽい滑稽さがあるけれども、どんな民族にもあったことだし、古代には軽蔑されていなかったものだ。

小さな木片で小鼻を持ち上げ、上唇を引き伸ばし、口を極端に大きくするといった変相術を、北斎自身が画集で教えてくれているが〔『北斎漫画』十編〕、その肖像は滑稽というより奇妙、自然というより人工であり、繊細な精神を笑わせるには至らない。

醜怪の支配下に長くいるのはよくない。どれほど驚異的な軟体技をしてみせるアメリカの道化師も、幾らか感受性の強い者にとっては一晩じゅう眺めておれないように、これらの絵も巧みに描かれているとはいえ終いには嫌気が差してしまう。それほど人間は理想を、つまり美の完璧な均整や色調に見合った形態の調和を渇望するのだ。

ある旅行者が語っている日本の一連の仮面も、意図的に作られたおかしさという領域に属する同種の事柄と関係している。

内裏の紳士淑女の穏やかな顔や、内乱の英雄の猛々しい表情を描いた高貴な仮面もあれば、下顎を動かせるように組まれた空想的な仮面もある。他にも、異形の神である天狗や、歴史に残る最も頬の膨れた日本女性である陽気なおかめ、醜さの極致とされる哀れなひょっとこを描いた仮面がある。一つ目や三つ目で、角があったりなかったり、あらゆる種類の鬼が、面打師によって再現される。そして最後に、様や、日本の崖に棲み憑く半人半蛙の河童を模した仮面がある」(アンベール『日本図絵』)

しかし、巧みで自然で気まぐれな仮面が少ないのに対して、歪んだ顔や潰れた鼻、情けない目、下卑た顰めっ面に舌を覗かせる曲がった口が、どれだけ数えられることか!

こうした仮面が、フランスでは稀少で、好事家の興味を惹いていたのは、30年前のことだ。輸出商が日本から仮面を船に満載して持ち込み、パリの市場にばらまくと、好事家はたちまちうんざりしてしまった。手回しオルガンが演目を一周して、心地よい旋律が強迫じみた性質を帯びてきたら、その旋律でさえ鬱陶しいものとなるのに、人間の渋面や醜面が羅列されたら、どれほど嫌悪感を催させるに違いないか!器用な藝術家によって作られたとはいえ、行き過ぎた表情が面白がられたのは一瞬だけだった。そうした仮面は、異様を凡庸としてしまう職工によって複製されすぎ、必然的に現在の食傷状態をもたらした。

中国人は阿片を吸い、濫用しているが、その煙の中に日本の藝術家のような造形素材を見出すことはなかった。中国は、その隣人ほどの中毒には至らなかったのだろうか?日本人は、自身の愚かさを笑ったり面白がったりできる能力を持っていたのだが。

(阿片の濫用に反対する戒洋烟という民謡は、現在の中国で、この致命的で思考能力を奪う道楽から逃れる努力が為されていることを示しているようだ。

ある妹が兄に阿片を止めるよう懇願している。「阿片を止めれば身体が元気になるわ、お兄ちゃん、!お兄ちゃん!妹の言うことを聞いてよ、哎呀!わたしの言うことを聞いて……」

「阿片を吸うことしか考えていない、幸せな時を忘れている。わたしを忘れている、それは嫌よ。少しずつ、その悲しい癖を止めて、哎呀哎呀!いつも阿片のことばかり考えていては駄目……」

「よく考えて。もう阿片を吸わないで。阿片吸引者たちを見て。もう人間じゃないみたい。吸わないで、吸わないで。阿片を吸ったら、黄ばんで、黒ずんで、痩せこける。力も元気もなくなる。愛するひと、!わたしの忠告を聞いて。阿片吸引者は悲惨よ、服はぼろぼろ。哎呀哎呀!わたしの忠告を聞いて、悪く思わないで。いつも一緒にいなくてもいいけれど、わたしの忠告を聞いて」

「あなたは若いの、三日月の下で緑の葉に覆われた柳のよう。もう吸わないで、そうすれば何でも上手く行くわ」

(ジュール・アレーヌ『気さくで優雅な中国』))

日本には、フランスのエピナル〔版画で有名なフランス北東部の都市〕に相当する産業を持つ都市があるに違いない。鬼を4色で染めた絵は皆そこで生産されているのだ。廉価な版画は、玩具箱の外側を飾るのにも使われている。フランス古来の鵞鳥遊び〔双六の一種〕を思わせる小さな桝目に描かれているのは、狐を筆頭に伝説上の動物や、険相や醜貌の仮面、日用品や急須や茶釜、子どもの知っている野菜といったものだ〔おもちゃ絵のこと〕。絵師の想像力のおかげで、生きものでないのに魂を得たのだ。急須は煙管を吹かし、何とも元気そうに、茶柄杓を担いで旅へ出る。勝手道具たちは乱痴気騒ぎ〔シャリヴァリ〕を起こす。扇子はばたばたと開く。雑貨たちは、敵である人間に対抗する同盟を組み、人間を嘲弄しているように思われる〔歌川重清『新板化物つくし』〕。

赤や黄や緑や青の愉快な氾濫から、これまで述べてきた日本の絵師たちの飛ぶような筆さばきを、よく分かってもらえるだろう。

もっとも、日本の絵師たちが真っ先に体得したのは、そうした素描、ヨーロッパよりもこの民族においてより一般的であろう書法ではない。物真似を崇める日本人は、謂わば諳んじるため、記憶をなぞって絵にするために、目にした場面は何でも、どれほど日常的な仕草でも捉えて、物真似を発展させようとするのだ。

以下の事実は、おそらくラヴァーター〔近代観相学の祖〕を喜ばせたであろう話だが、人間の動作に対する最大限の関心を表わしている。

オランダ商館附の医師であったエンゲルベルト・ケンペルが皇帝〔徳川綱吉のこと。ケンペルは、日本には祭祀的皇帝(天皇)と世俗的皇帝(将軍)がいると考えていた〕に謁見を許されたとき、この君主は使節一行に、気をつけ、進め、回れ、止まれ、互いに挨拶したり、酔っ払ったり、たどたどしく日本語を喋ったり、オランダ語を読み上げたり、絵を描いたり、歌ったり、踊ったり、上着を着たり脱いだり、といったことを頼んだ。

「これは、将軍や家臣たちがオランダ人に機嫌取りをさせて貶めようとしたのではない。というのも、この国では最も高位で立派な人物が君主を楽しませるために全く同じことをするし、それが不名誉なこととは思わないのだ」と、フレシネ氏は語っている(『日本、歴史と叙述』1864〔Edouard Fraissinet, Le Japon, histoire et description〕)。

そうした演技に大変満足した皇帝は、翌年オランダ使節に再会すると、暇を惜しんで、オランダ人たちに、称讃や罵倒をしたり、夕食に招いたり、会話を始めたり、父と子のように打ち解けて喋ったり、友人や夫婦ふたりが近づいたり別れたりするときの仕草をしてくれと頼むのだった。

将軍は、オランダではどのような作法で夕食に招くのか、知りたがった。

オランダ人の腕に子どもを抱かせてみた。使節一行は外套や儀礼用の鬘を何度も脱いだり着けたりせねばならなかった。最初の謁見のときにしたことも忘れずに再演させられた。

君主はオランダ人が本物の恋人どうしのように抱擁し合うことを強く所望し、それは特に女の観衆を興がらせた。

オランダの身分ある使節たちによる奇妙な見世物は、物真似や描写法にこだわる民族の頭に浮かんだものなのだろう。日本の画集には、以下の中国の詩句を当てはめられる、演劇的あるいは幻想的な領域に属する多様な身ぶりが見られないだろうか。

墨を含ませた筆は、雨を湛えた黒雲のよう、
〔黑雲挾雨須臾至,〕
素早い筆さばきは、なぞって線を書いたよう。
〔腕底驅龍頃刻飛。〕
(『玉嬌梨』アベル=レミュザ訳)

そう、何年かの間は、このようなものがわれわれを楽しませた。全ては明瞭で、簡潔に色づけされていた。その自由な場面構成や人物描写に、努力の痕は感じられなかった。実際、天賦の才、とりわけ揺るぎない筆さばきのおかげで、日本の絵師はほとんど努力しなくてよかったのだ。

残念ながら、そのような技巧も長く続けば、何の変化もない青空のように、ついには飽きられてしまう。

輪郭を描く細い線は、人間の感情を深く描くことを前にして、越えられない壁に突き当たったかのように、はたと止まってしまったのだと察せられた。

日本人は多くを学ぶが、多くは表層的なのだ。ある種のヨーロッパの藝術家もそうなのだが、日本の絵師は、事物や人間を簡単に描くことに満足して、生き生きとした強烈な感覚の表現によってしか生まれない藝術の難しさを覗くことはなかった。

ある版画に、右手に1本、左手に1本の筆を持ち、2本で同時に描いている江戸の絵師が描かれている〔『北斎漫画』十一編〕。この絵は日本の藝術を、つまり後ろに背負ったヴァイオリンで難しい曲を弾く曲藝のような藝術を象徴していると考えてよいだろう。ラザフォード・オールコックはこのような器用さにあまり感心せず、両手の筆だけでなく3本目を口に咥え、4本目と5本目を両足の趾間に挟んで同時に駆使したという日本の絵師について話すとき「この画家の素晴らしい才能には感心する!」と叫ぶのには、冷ややかな皮肉も込められている(ラザフォード・オールコック卿『大君の都 三年間の日本滞在記』)。

(訳:加藤一輝/近藤 梓)

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