スタール夫人「翻訳の精神について」

【原典:Madame de Staël, « De l'esprit des traductions », article inséré dans un journal italien, 1816(Sulla maniera e la utilità delle traduzioni (tradotto in italiano da Pietro Giordani), in «Biblioteca Italiana», Gennaio 1816)】
【スタール夫人による翻訳論です。イタリアの「ビブリオテーカ=イタリアーナ」誌に寄せた記事のため、結論ではイタリア文学の奮起を促していますが、全体としては、各言語には固有の精神があること、それを反映した各語文学の相互翻訳によって人間精神が発展することを説いています。イタリア文学をラテン文学の継承から外国文学の受容へと開いたことは、イタリアにおけるロマン主義、ひいてはイタリア統一運動を惹起しました。本文中の〔〕は訳註です】

人間精神による傑作を、ある言語から他の言語へと移すことは、この上なく文学に資する優れた務めである。第一級の作品は、きわめて少ない。どのような分野であれ、天才とはじつに稀有な存在であり、もし現代の国々がそれぞれ自国の至宝しか持てないとなったら、各国は永久に貧しいままだろう。それに、思想の流通は、あらゆる種類のうちで最も利益の確かな交易である。

文藝復興の時代には、学者や、あるいは詩人であっても、理解してもらうために翻訳を必要としないよう、単一の言語、すなわちラテン語で書くことを想定していた。それは科学には役立つはずだった、科学の発展に文体の魅力は必要ない。しかし結果的には、この分野におけるイタリア人の多くの成果が、イタリア人にさえ知られないこととなった、読者の大半は自国語しか解さなかったからだ。また、科学や哲学についてラテン語で書くには、古代の作家たちが使わなかった単語を作らねばならない。そのため、学者は死語かつ人工語である言語を使用し、詩人は完全に古典的な表現しか使わなかった。テヴェレ川のほとりでラテン語の残響が聞こえていたイタリアには、フラカストーロ〔Girolamo Fracastoro 1478-1553〕、ポリツィアーノ〔Angelo Poliziano 1454-1494〕、サンナザーロ〔Jacopo Sannazaro 1458-1530〕といった作家がおり、ウェルギリウスやホラティウスの文体に近づいたといわれる。けれども、彼らの名声は残っているが、作品は識者の間でしか読まれていない。模倣を基にせざるを得ない文学的名声は、悲しいものだ。そうした中世のラテン語詩人たちは、祖国でイタリア語に翻訳された。勉強しなければ辿れない言語よりも、自分自身の人生で感じた昂奮を思い起こさせる言語のほうを好むのは、何と自然なことか!

翻訳なしで済ます最良の方法は、偉大な詩人たちの作品が書かれた、あらゆる言語を知ることだろう。ギリシャ語、ラテン語、イタリア語、フランス語、英語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語。しかし、それには多くの時間と努力を要するし、かように習得の困難な知識が一般的になるとも思えない。ひとびとに役立つためには、一般性を目指さねばならない。さらに言えば、外国語をよく解する者であっても、自国語の優れた翻訳によって、もっと身近で心からの喜びを味わうことができる。国語化された美しさは、自国の文体に、新たな言い回しや、いっそう独創的な表現を与える。外国の詩人の翻訳は、いかなる方法よりも効果的に、頽廃の最も確実な兆候たる月並な表現から、一国の文学を守ることができるのだ。

もっとも、この仕事から真の利益を引き出すには、フランス人のように、ことごとく自分の色をつけた翻訳をしてはならない。触るもの全てが金に変わったとしても、それでは結局のところ自分の肥やしとはならない。新たな思考の糧を得られず、いつもと同じ顔に変わりばえのしない化粧を見るだけだ。この批判は、まさしくフランス人に向けられるべきで、というのもフランス語では、詩の技法に対して、あらゆる種類の困難が課せられているからだ。脚韻は少なく、詩句は単調で、倒置は難しい、そうなると詩人は一定の枠に閉じこめられ、構想は同じでないにせよ、少なくとも句切りは自ずと似通って、詩の言語に何かしら単調さをもたらす、詩才が遥かな高みにまで昇りつめれば逃れられようが、移行や展開、つまり偉大な効果を作りあげまとめあげるもの全てにおいて、その単調さから逃れることはできない。

したがってフランス文学では、ドリル神父〔Jacques Delille 1738-1813〕による『農耕詩』〔ウェルギリウス〕の翻訳を除いて、韻文による優れた翻訳を見つけるのは難しい。美しい模作や、恒久的に自国の資産に組みこまれた戦利品はある。しかし、いかなる形であれ異国の特徴を残した韻文作品などひとつも挙げることはできないし、わたし自身そのような試みが成功するとは思わない。ドリル神父の『農耕詩』が然るべき称賛を受けているとすれば、それはフランス語が最もラテン語に馴染みやすい言語だからである。フランス語はラテン語から派生し、ラテン語の華やかさと厳めしさを保っている。しかし現代の言語は多様だから、フランス語の詩では上手く適合させられないのだ。

英語は倒置を許容する言語であり、詩作の規則もフランスよりはるかに緩いから、イギリス人は正確かつ自然な翻訳によって自国の文学を豊かにできたかもしれない。だが、イギリスの大作家たちはこの仕事を引き受けなかった。唯一翻訳に携わったポープは『イーリアス』と『オデュッセイア』を美しい詩に訳したが、ホメロスの偉大さの秘訣を感じさせる古代の素朴さを保つことはできなかった。

確かに、ひとりの人間の天才が、三千年前から既に他のあらゆる詩人を凌駕していたとは、ありそうもない話だ。ところが、当時の慣習、風俗、世論、空気には何か根源的なものがあり、尽きせぬ魅力があるのだ。ホメロスを読むことで、人類の草創期、歴史の青年期は、自分の子ども時代の記憶によってかきたてられるのと同じ種類の感動を、われわれの魂に呼び起こす。この感動と、黄金時代への夢によって、われわれは最も古代の詩人たちを後世のあらゆる詩人よりも好むのだ。詩の構成から、世界のはじまりの頃の素朴さを取り払ったら、構成の特長が消えてしまう。

ドイツでは、ホメロスの作品はひとりの人間によって書かれたのではなく、『イーリアス』や、『オデュッセイア』までもが、トロイア征服と勝者の帰還をギリシャで祝った英雄的な歌の集成と考えるべきだと、多くの学者が主張している。この意見に反駁するのは容易であり、とくに『イーリアス』の統一性と相容れないように、わたしには思われる。どうしてアキレウスの怒りの話だけで満足したのか?後に続くトロイア攻略に至るまでの出来事もまた、当然ながら、さまざまな作者のものと思われる吟遊詩の集成の一部を成していたはずだ。出来事をひとつに、すなわちアキレスの怒りのみに絞るという考えは、ひとりの人間によって作られた計画でしかありえない。ともかく、恐るべき学識で武装しなければ賛成も反対もできないような学説について、ここで議論するつもりはないが、少なくともホメロスの偉大さのうちでも重要なものは彼の時代に負うていると認めねばならない、なぜなら当時の詩人たち、それも非常に多くの詩人たちが『イーリアス』に取り組んでいたと信じられてきたからだ。それは、この詩が高い文明を持った人間社会の写し絵であり、ひとりの人間よりもはるかに長い時の痕跡が刻まれていることの、さらなる証明である。

ドイツ人は、ホメロスの実在についての学術的な研究のみならず、自国にホメロスを復活させようとしており、フォス〔Johann Heinrich Voss 1751-1826〕による翻訳はあらゆる言語のうちで最も正確な翻訳と認められている。古代人の韻律を用いており、ドイツ語の六脚律がギリシャ語の六脚律とほぼ逐語対応しているのが分かる。こうした翻訳は、古代の詩を正確に知るには有用だが、規則や研究では充足できない魅力が完全にドイツ語に移入されているだろうか?音節の数は保たれているが、音の調和は同じではないだろう。ドイツ語の詩は自然さを失っており、ギリシャ語の道筋を一歩一歩辿っているが、竪琴で歌われた音楽的な言語の美しさには至れていない。

イタリア語は、ホメロスがギリシャ語で生み出すあらゆる感覚をわれわれに描いてみせるには、現代の言語のうちで最も適した言語である。確かに、原典と同じ韻律ではない。現代の言葉づかいに六脚律を取り入れることはできない。音節の長短も充分に区別されないから、古代人と同じようにはできない。しかしイタリア語の発音には長短短格〔ダクテュロス〕や長長格〔スポンデイオス〕の対称性なしでも調和があり、またイタリア語の文法構造はギリシャ語の倒置を完全に模倣できる。無韻詩〔versi sciolti〕は、韻から自由であるために思考を妨げないのは散文と同様でありながら、韻文の優雅さと規律を保っている。

モンティ〔Vincenzo Monti 1754-1828〕によるホメロスの翻訳は、間違いなく、ヨーロッパに存在する全ての翻訳のうちで最も、原典のかきたてたであろう喜びに接近している。華やかさと素朴さを兼ね備えている。ごく普通の生活習慣や衣服や饗宴が、自然で品格ある表現によって高められている。正確な描写と簡潔な文体によって、最も重大な場面がわれわれの手に届く。イタリアではもう誰も『イーリアス』を翻訳しないだろう。ホメロスは永遠にモンティの衣装をまとったのだ、そしてヨーロッパの他の国でも、ホメロスを原文で読めない者は、イタリア語の翻訳を通して、原典のかきたてるであろう喜びを知ることができるだろうと、わたしは思う。詩人の翻訳とは、コンパスを持って建物の寸法を写しとるのではなく、違う道具に同じ命を吹きこむのである。同じ種類の楽しみを求めるのは、まったく同じ描線を求めるよりも、はるかに大きな要求なのだ。

イギリス人やドイツ人による様々な新しい詩を、イタリア人が丁寧に翻訳するというのが、とても望ましいことだと、わたしには思われる。そうすれば、大半が古代神話の面影に囚われている同国人たちに、新たな様式を教えられるだろう。そうした面影は薄れはじめており、多神教の詩風はヨーロッパの他の地域には最早ほとんど存在していない。素晴らしきイタリアにとって、アルプスの向こう側にしばしば目を向けるのは、思想の進歩のために重要なことだ。借りるためではなく、知るために。真似るためではなく、社交上の定型文のような、ありのままの真実をことごとく遠ざけかねない、文学に残存している紋切型の形式のいくつかを取り除くために。

詩の翻訳が文藝を豊かにするとすれば、演劇の翻訳はいっそう大きな影響をもたらすだろう、演劇は文学のうちで最も実効力を持つからだ。A・W・シュレーゲル〔August Wilhelm von Schlegel 1767-1845〕によるシェイクスピアの翻訳は、刺激的かつ正確で、ドイツではすっかり国民的となっている。こうして伝え渡されたイギリスの演劇が、ドイツの劇場で上演され、シェイクスピアとシラーが同国人となった。イタリアでも同様のことが起こり得るだろう。シェイクスピアがドイツ人の好みに合うように、フランスの劇作家はイタリア人の好みに合っており、おそらく『アタリー』は、ミラノの立派な劇場で、合唱の伴奏にイタリアの見事な音楽をつけて、人気の演目となるだろう。イタリアでは、劇場へ行くのは聴くためではなく話すためであり、桟敷席で親友に会うためなのだと、よく言ったものだ。ほとんどのイタリアのオペラで台詞と呼ばれているものを毎日5時間ちかくも聞くことは、長い目で見れば国民の知的能力を確実に低下させる方法であるのは、間違いない。カスティ〔Giovanni Battista Casti 1724-1803〕が喜歌劇を作ったとき、メタスタージオ〔Pietro Metastasio 1698-1782〕が魅力と気品に溢れる思想に上手く合わせた音楽を作ったとき、楽しさは全く失なわれず、理性は多くを得た。社交の日常的な軽薄さの只中で、誰もが他人の助けを借りて我を忘れようとしているとき、もし快楽を通して何らかの思考や感情を得られれば、あなたは精神を何らかの真剣なものへと育てあげ、ついには精神に真の価値を与えることができる。

イタリア文学は今、過去の灰を何度も篩にかけて少しでも残った砂金を見つけ出そうとしている識者たちと、イタリア語の響きに頼って中身のない調べを作り、叫びも訴えも祈りも一緒くたにして、心から出て心に達する言葉のひとつもない作家たちに分かれている。だから、積極的な模倣、それも当たった演劇の模倣によって、独創的な精神や真の形式を、徐々に取り戻せるのではないか?それなしに文学はありえず、文学に必要な資質さえひとつもありえないだろう。

感傷的な演劇趣味がイタリアの舞台を席捲しており、かつてよく見られた痛快な笑いや、ヨーロッパ全体の古典となっている喜劇の登場人物に代わって、演劇のはじめの場面から、最も退屈な殺人が演じられ、こう言ってよければ、くだらない見世物にされているのが見られる。こうした娯楽が何度も再演されるのは、大多数の者にとって不毛な教育ではないか?美術について、イタリア人の趣味は簡潔かつ高貴である。しかし台詞もまた美術のひとつであり、同じ資質を与えられるべきだ。台詞は人間を構成するもの全てに最も密接に係わっているのであって、絵画や彫刻よりも必要なのは、絵画や彫刻が捧げられているはずの感情のほうだ。

イタリア人は自分の言語に多大な熱意を持っている。偉大な人物たちがそう主張し、精神の洗練こそイタリア人の唯一の喜びであり、しばしば唯一の慰めにもなっていた。考えのある人間が各々の自己陶冶の動機を持てるよよう、どんな国でも積極的な利益原則を持たねばならない。それが軍事力の国もあれば、政治力の国もある。イタリア人は、文学や藝術で傑出すべきだ。そうでなければ、イタリアは太陽ですら目を覚まされない無気力状態に陥ってしまうだろう。

(訳:加藤一輝)

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