エラスムスにおける人格形成と「公共の福祉」

エラスムスにおける人格形成と「公共の福祉」

              日本ホーリネス教団小金井福音キリスト教会
                             濱和弘

はじめに
 本発表は2018年6月4日のN.Tライトと神の国に関する研究会における発表の原稿である。発表はタイトルにもあるように16世紀におけるエラスムスの「公共の福祉」についての考えを考察するものである。16世紀、長い中世の時代を経て、西方キリスト教世界に大きな変化が起こった。そのような時代の変化がおこった16世紀は二人の人物の名をもって表現される言葉で表される。一つは16世紀は「フッガー家の時代 」という言葉であり、一つは16世紀は「エラスムスの世紀 」と言う言葉である。
 フッガー家は、16世紀において、商人として、また鉱山経営によって、更には金融業によって巨万の富を築き上げた大富豪である。その繁栄は3代目当主のヤコブ・フッガーが礎を築き、ヤコブの甥である4代目当主アントーン・フッガーが叔父であるヤコブと共にその繁栄を頂点にまで高めたものである。つまり、16世紀は「フッガー家の時代」と称されるのは、他に圧倒する富を築き上げたフッガー家の経済活動に対する称号であると言える。
 一方、16世紀を「エラスムスの世紀」と言わしめたエラスムスは、思想界における知的巨人である。エラスムスに関しては、先の「エラスムスの世紀」という称号以上に「ヒューマニストの王者」という称号の方が広く知れ渡っているように、ヒューマニストとして時代を席巻した存在であった。
 このエラスムスとフッガー家の繁栄を築いたヤコブ・フッガー(1456‐1525)とアントーン(1493‐1560年)とはほぼ同時期の人間である。とりわけ、ヤコブとエラスムス(1466-1538)は生年・没年ともさほどと離れておらず全く同時代・同時期の人間である。そういった意味で、ヤコブ・フッガーはエラスムスの生きた時代における一つの時代的背景であると言える。だとすれば、エラスムスの同時期の人物であり、かつ16世紀を代表する経済人であるヤコブ・フッガーの慈善活動の事例を捕らえておくことはエラスムスの『公共の福祉』を考察するには有益であろう。それによってエラスムスの公共の福祉に関する考え方がより浮き彫りにされるからである。従って本小論においては、先んず序論としてヤコブ・フッガーの慈善事業について述べ、それに引き続いて、エラスムスの金と富の問題を『キリスト者兵士必携』に沿いつつ述べ、更にエラスムスにおける『公共の福祉』について、主に『キリスト者の君主の教育』から見て行き、最後のエラスムスの『公共の福祉』の背後にあるエラスムスの人間観と思想的背景を見て行きたい。

1. ヤコブ・フッガーにおける富と公共の福祉

アウグスブルグがドイツ南西部にある都市である。このアウグスブルグの市庁舎付近の商業街の一角にあるフッガー広場に一体の銅像がある。銅像の銘はハンス・ヤコブ・フッガーとなっている。ハンス・ヤコブ・フッガーは、ヤコブ・フッガーの甥アントーン・フッガー(1493‐1560年)の子供である。フッガー広場に、なぜあえてアントーンの子であるハンス・ヤコブ・フッガーの銅像が置かれているのかは不明であるが、その名に「富豪ヤコブ」という名を持ち、父に「王者アントーン」というフッガー家の繁栄をきづいた二人を思わせる人物の像があるのは、なんとも印象的である。
フッガー家の繁栄を築いたヤコブ・フッガーと甥アントーン・フッガーの二人は、共に商業・金融業・鉱山業において成功をなし、フッガー家を当時の西欧社会で屈指の存在に押し上げた。アウグスブルグはその拠点となった都市であり、その意味で「フッガー家の街」である。現在でも、アウグスブルグの中心にあるマキシミリアン通り沿いにフッガー家の大邸宅が現存するが、この邸宅はルターがカエタヌスから異端審問(1518年)を受けた場所でもある。
 フッガー家が築いた膨大な資本は単に商業活動、銀行業、そして鉱山経営の成功によるということではない、帝国内のかく領邦国家に隈なく張り巡らされた支店網を通じて得られた情報が寄与していた。つまり、単に生産や物流や金融といった経済活動がフッガー家の巨大な富と資本を生み出したのではなく、フッガー家の持つ情報網が、経済活動に強大な富と資本を生み出したのである。そういった意味では、フッガー家の成功は当時におけるグローバル化と情報戦略の賜物であり、情報そのものが価値を持ち始めたといえる。その意味でフッガー家の存在は近代社会の先駆者であると言えよう。
このようにして築き上げられたフッガー家の巨大な資本は、当時の政治や教会に大きな影響力をもたらす。それは影響力というよりも政治の方向や宗教の在り方を決めていったと言っても良い。例えば、皇帝カール5世の選出に当たっては、フッガー家が貸し付けた貸付金が皇帝選出に大きな影響を与えたと言われるし、アルブデヒトがマインツの大司教の職を手にいるために教皇庁に収める膨大な上納金を借り入れたのもフッガー家からであった。この借入金を返済するためにアルブデヒトは贖宥状を販売するが、1517年に宗教改革のきっかけとなった95ヶ条の提題が世に出されたが、この95ヶ条の提題は贖宥という制度に対する神学的批判を展開するものであった。そのなかでルターが、この贖宥状の販売に手厳しい非難をあたえたことは有名な話である。このように、フッガー家の膨大な資本が政治も宗教に影響を与え、当時の西欧キリスト教社会をその資本の支配のもとに置く金の支配が決定的なかたちで始まったと言っても良いほどである。この意味において、16世紀は確かに「フッガー家の時代」ということが出来る。
ところで、アウグスブルグにはフッガーゆかりの施設としてフッガー福祉の家がある。この施設は、巨万の富を築き上げたフッガーが建てた貧しい者たちのための住宅であり、今日でも、条件を満たせば、年間1ユーロ未満の金額で入居できる。その条件の一つに、一日三度このようなが、フッガー一族のために祈ることということがある。この条件にヤコブ・フッガーが「フッガー福祉の家」を建て慈善活動をした動機が垣間見える。
その動機に関して、牧野雅彦が、M.ウェーバー言葉に基づきながらヤコブ・フッガーが金儲けに対して罪悪感を持っていたということを示している点に着目したい。それによると、「フッガーのようにあくなき家計獲得・利潤追求にまい進した人物も、いざ死に直面する際にはそれまでの罪を告白して、それに相応しい金額を「良心の代価」として、教会に寄進したり贖宥状(ルターの宗教改革のきっかけとなったと言われる免罪符です)を購入したのでした。(RS.59-60,O.84,K124-125,NK103-104) 」というのである。つまり、ヤコブ・フッガーは自分の経済活動、つまりは金もうけがキリスト教の倫理観においては非道徳出来であり、罪の意識を持っていたと考えられるのである。
従ってヤコブ・フッガーが「フッガー福祉の家」のような慈善活動をした背景には、金儲けという罪悪感に対する償罪、あるいは浄財の意識がみられるのである。そしてそれが、フッガー一族のために祈るというルールの背後にあると思われるのである。 
このように、ヤコブ・フッガーは自らの経済活動を道徳外的な、あるいは反道徳的なものと考えていたにも関わらず、その経済活動を辞めることはできないでいるのである。それは、前出の牧野が紹介(これも出自はウェーバーなのだが)するヤコブ・フッガーが「貴方はもう十分儲けたのだからそろそろ隠居して他の人にも儲けさせてあげたらどうですか」という声に対して、「いや自分は稼げるかぎりは稼ぐつもりだ」と答えたエピソード にも現れている。ここには、あくなき金銭追及は不道徳であり罪悪であると理解しつつも、その金銭追求する欲を制し得ない人間の姿がある。
 このように、「フッガー家の時代」においては、富や資本は、それを使う人間の権威や力によってではなく、富それ自体、資本それ自体が政治や宗教を支配する力となっている。また同時に、その富と資本は、それを作り出したフッガー家の人間の欲の欲を喚起し、フッガー家の人間の行動を支配しているのである。そしてフッガー家による公共の福祉は、そのような状況の中で、あくまでもフッガー家の人間個人の宗教的救済のためになされるものであり、ここでは公共の福祉は、その公共性が私事化されている。

2. エラスムスにおける金と富の問題

 既に述べたとおりヤコブ・フッガーとエラスムスは同時期の人である。その一方のヤコブ・フッガーは金儲けをし、富の形成することに「疚しさ」を感じていた。このようなヤコブ・フッガーのメンタリティの背後には、当時のカトリック教会の思想の影響化にあったと考えられる。では、同時代、同時期に、一応修道士という立場にあったエラスムスは金と富についてどのように考えていたのであろうか。
 エラスムスの金と富に関する態度は、エラスムスの思想が最も明白に払われていると言われる『キリスト者兵士必携 』(以下『必携』)の中に見ることが出来る。そこにおいて、エラスムスは人間自由な意志をもって善にも悪にも選択に向かうことが出来る存在であるということが示されている。
 このような人間の自由な選択をみとめるエラスムスの思想は、ルネッサンスにおける「中間的なもの(medium)」の影響が見られる。すなわち人間は中間的な存在として何を目標(目的)としているか善にも悪にもなりうるものであり、このような思想は、イタリア・ルネッサンスにおけるピコ・デラ・ミランドラに相通じるものがある 。
 この「中間的なもの(medium)」という考え方は、単に人間が「中間的なもの」ということだけでなく、人間の生の営みの中にある健康、美貌、強壮、雄弁、学識、財産、等々の様々なもの にも向けられる。このような「中間的なもの(medium)」は、あくまでも何らかの目的に対して用いられるものであり、それ自体が目的ではない。当然、金を儲けるという行為も、金儲けそのものが目的ではなく、また儲けた金もまた何らかの目的をもって使われるべき「中間的なもの(medium)」である。
 仮に、利用されるべき「中間的なもの(medium)」である金が目的となるならば、利用されるものと目的と手段が逆転しており、エラスムスの罪理解から言えば罪の状態にある。もちろん、目的をもって金儲けをするにしても、その目的が何であるかによってもそれは善にも悪にもなりうるものであるが、エラスムスは富を形成するために金儲けをするということについても、それ自体が目的になると考えていない。富もまた何かの目的のために利用される「中間的なもの(medium)」なのである。
 では、「中間的なもの(medium)」である富はどのような目的に使われるべきものなのだろうか。エラスムスは富が自己の生活の安寧や将来の安心や子供たち柄の配慮等に使われるとするならば、エラスムスにとってそれは神を信頼するのではなく、金を信頼することであり、金を崇拝することであるして否定されるべきものである 。だとすれば、金、またその金によって形成される富はどのように使われるべきであるか。それは隣人愛のために使うべきであるとエラスムスは考えている。エラスムスが『必携』の中で次のように述べている。

あなたは絶えず次のようなキリスト教の逆説的言論を確立して下さいますように。つまり、キリスト者はだれも自分のために生まれてきたとは考えないし、だれも自分のために生きようと願ったりしないで、自分が所有し、自分の存在であるものは全て自分自身に帰さないで、造り主なる神から受けたものだと主張すべきであり、自分のもつ全ての善いものは全ての人と共有の財であると考えなければなりません 。

ここでは、我々が所有するものは全てつくり主なる神から受けてものであって、全て共有の財産であると述べている。また別の箇所では、このようにも述べている。

全ての人の幸福を自分のそれと同様に喜びましょう。全ての人の不幸を自分のそれと同様に嘆き悲しみましょう。泣くものと共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶことは、疑いもなく使徒が命じていることなのです(ロマ12・15)。否、かえって自分自身の災いよりも他人の災いを真剣に負うべきです。自分自身の幸いより兄弟の幸を多く喜ばなければなりません

 さらには、次のようにも述べている。少し長い引用になるが、重要な言及なのでそのまま引用する

それゆえ、次のように語っているのをいたるところであなたがたが耳にするような人たちが、この〔きりすとの〕からだに属しているかどうか洞察しなさい。「私の財産は相続によって私の所有となった。ごまかしではなく、正当にそれを所有している。どうして自分の勝手にそれを使い、あるいは乱用してはいけないのか。どうして私が何ら負債を負うていない人々にそこから何かを与えなければならないのか。私が浪費し、破産しようと、消え失せたのは私のものであって、他人には何の関係もないのだ」と。あなたの〔からだの〕一部分が上で苦しんでいるのに、あなたはしゃこの肉片をはきだしているのです。あなたの兄弟が裸でふるえているのに、あなたは多くの衣服を腐食やしみにより台無しにしているのです一夜の賭け事で数千の金があなたから消えてしまっているのに、その間に不幸なある少女が困窮にかり立てられて身を売り自分の貞操を奪われ、魂を滅ぼしているのです。キリストはこの魂のためにご自身の魂を与えたもうたのです。
あなたは言います。『それは私にとり何だというのか。私は自分のものを好きなように処理するのだ』と。
このように言った後に、こんな精神状態にありながらあなたは自分が人間でさえないのにキリスト教徒であると考えることができるでしょうか 。

ここには、まずもって共同体が「キリストのからだ」として意識されている。そのうえで、その「キリストのからだ」の一部分である兄弟姉妹が苦しんでいるのに対し無関心であり、そのように苦しんでいる人に対して援助の手を差し伸べない人に対する非難の言葉がある。そして、そのような態度はキリスト者としてあるべき姿ではないというのである。なぜならば、「キリストはこの魂のためにご自身の魂を与えたもうた」のだからである。
 このようなエラスムスの発言の裏側には、キリスト者はキリストに倣うべきものであり、キリストを模範として、キリストのようになるものであるという意識がある。ここには、自分の救済のために隣人愛がなされるという思想はない。むしろ、「キリストのからだ」なる教会のなかに組み入れられたものであるからこそ、キリストの生き方を模範とし、キリストの生き方に倣い、いかに生きて行くかという倫理的な人格形成がされるという「キリストの哲学」の中で隣人愛が形成されるというエラスムスの思想があると言えよう。

3. エラスムスにおける公共の福祉

エラスムスは、富や財産の所有は、所有者自身が自分自身のために好き勝手に使ってよいものであると考えていない。むしろそれは、社会の共同の財産であり 、他者のためにも使われるものであると考えている。すくなくとも「キリストのからだ」である教会共同体に属する者はそう考えるべきであるとエラスムスは見ている。しかしこのエラスムスの考え方は、単に教会共同体の内部にだけ向けられているわけではない。むしろそれは、広く「公共の福祉」として一般化されている。
このエラスムスの「公共の福祉」という概念は、すでに『必携』において Publicans utilias (国民の幸福)として表現されているが、さらに『キリスト者君主の教育 』においてはPublica utilias という表現だけでなく、さらにCommdum Pablicum(公の幸福)もしくはPublicum Commoditatem(公の思いやり )という言葉にも言い変えられ、より深められて論述されている。エラスムスは、この「公共の福祉」の概念を、君主に求めている。それは当時の西欧キリスト教社会の状況が、精神世界においてはローマ・カトリックによって一応一元化されていたのに対し、現実の治世においては、名目上は神聖ローマ帝国において統一されているにはいるが、実質上は各領邦国家単位の各領主によって治められていたからである。その領邦国家において、領主はPublicum Commoditatem(公の思いやり)をもって、Commdum Pablicum(公の幸福)を実現するというのが、エラスムスの言う「公共の福祉」の概念であるが、この場合のCommdum Pablicum(公の幸福)はPublica utilias (国民の幸福)なのである。 ところで、このPublicumは、どのような範囲を含むのであろう。エラスムスは次のように言う。

   異教徒の君主であれば、国民には慈善を施し、異国の者には公正に対しているだけで事足りた。けれどもキリスト者である君主としては、キリストの信仰に浴さぬ者以外は異国民と見なしてはならず、キリストの信仰を持たないものでも不当に苦しめてはならない・自国民は特に大事にしなければならないが、そうでなくともできるかぎりの奉仕に努めなければならない。
君主が常日頃、誰に対しても一切不正をなすことのないように努めなければならないのはもちろんだが、プラトーンの見解によれば、それ以上に注意を払わなければならないことは、自国民に対してではなく、外国人に対して害を及ぼすことがないように配慮することである 。

このエラスムスの言葉は君主がなすべき慈善が述べられている章に置いて語られている。
つまり、エラスムスは、外国人をも含んでのPablicumへのCommoditatas を求めているのである。このように、エラスムスがCommoditatas がおよぶ範囲を自国民だけでなく外国人にも広げている背景には、エラスムスが人間を神の創造の業として等しくとらえる視点、言うなれば創造論的人間観と呼ぶことができる人間観がある。その創造論的人間観についてエラスムスは『必携』の中で次のように述べている。

姦淫する者、神を冒涜する者、トルコ人がいるとしましょう。姦淫する者は呪われるべきでありますが、人間そのものはそうではないのです。神を冒涜する者は拒絶すべきですが、人間をではないのです。トルコ人は殺すべきですが、人間をそうすべきではありません。自分で自分に形成した人が滅び、神が造りたもうた人間が救われるように尽力すべきです。全ての人に心を尽くして善を欲し、善行をなすべきです 。

ここでは、人間が後天的に得たアイデンティティを超えて、神が造り給うたということに人間本性を見出し、その人間の本性のゆえに、全ての人に対して、善行をなすべきであるというのである。このエラスムスの人間観が、エラスムスの言うPablicumの通奏低音としてあると言えよう。
そのうえで、Publicum Commoditatem におけるCommodiatem は、単に慈善行為ということだけに留まらない。そこには法の整備や治安や外交 および教育 等といった社会的ファシリティに関わる政治的内容も含んでいる。エラスムスは、このような「公共の福祉」の実現を『必携』においても、また『君主教育』においても君主に求めている。それは、すでに述べたように当時の封建主義社会という社会的背景を視野にいるからであって、エラスムスが民衆による「公共の福祉」の実現を意識していないわけではない。それは、『君主教育』の冒頭の言葉に現れている。そこにはこう書かれている。

いただく君主を投票で選ぶ習わしになっている場合に重視すべきものは、祖父の栄光とか、当人の外見や対格(愚かにも対格で決める蛮族がいたことが記録に残されりている)ではない。重要なのは温厚な気質であり、沈着で冷静な精神である。・・・中略・・・他方、君主が生まれによって決まり、選出されるのではない場合もある。この制度は蛮族の間でも行われていたことがアリストテレス〔『政治学』1285B 〕によって確認されているが、今日では、ほぼ総ての国で習わしとなっている 。

 ここでは、「君主を投票で選ぶ習わしになっている場合」、すなわち統治者を選挙で選ぶ場合について述べているが、エラスムスはそれ以上この発言に踏み込まない。ただそのような事実があることだけをを述べるだけである。それはこの『君主教育』が、後の神聖ローマ帝国皇帝カール5世となるスペインの王カルロス1世にあてた書簡として書かれたという書簡という形式で書かれたものであるという事情であると共に、先に述べたような当時の社会情勢を見据えたものであるという事情等が考えられる。また、この「君主を投票で選ぶ習わしになっている場合」について、エラスムスが今日のような大衆全般による投票を前提とした民主主義を意識していたと考えるわけにはいかない。エウジェニオ・ガレンが指摘するようにエラスムスにはエリート主義的に見える一面があるからである。ガレンは次のように述べる。

   しかしかれ(濱註:エラスムス)はまたキリストの哲学の価値とか、内面性の意義とかを強調し、こうして深い倫理的誠実性の必要を力説している。このときかれは、じつは初期ヒューマニズムにおける「市民生活」の理想、つまりあらゆる市民の世俗的な人間形成という理想に対抗させて、俗世間から超然として研究に没頭する知者たちの国を理想としてかかげるにいたっていたのである 。

 確かにエラスムスは、ガレンが指摘してするようなある種のエリート主義的匂いがある。実際、エラスムスは『君主教育』の中で「民衆は元来混迷に陥りやすく、役人は野心や貪欲によって堕落しがちである 」あるいは「君主も一般大衆と同じで、怒りや欲望や野心や貪欲には負け、愚行に走ることもあると考えることこそ・・・ 」と述べている。しかし、エラスムスはいわゆる大衆を全く無視しているわけではない。エラスムスのエリート主義臭さは、大衆、あるいは民衆と呼ばれる者の多くが、エラスムスが良き学問(bonae literae)と呼ぶ人文教育を通して得られる市民教育や、キリストの哲学を学ぶ教育を受けていないからである。それゆえにエラスムスは、彼が云う「公共の福祉」の中で教育を「君主にとっての最大な関心事」であるというのである。したがって、仮に、「君主を投票で選ぶ習わし」であったとしても、選ぶ人間は、「公共の福祉」を理解し、それを実現するにふさわしい人物であるや否やを判断できる資質としての「市民教育」を受け、キリストの教えに聴き従う者に限られてくる。ここにエラスムスにあるある種のエリート主義的匂いの原因がある。しかし、逆を言えば、階級や身分に関わらず人文主義教育(studio humanitas)に基づく「市民教育」を受け素養を身につけた人間ならば誰でも「君主を投票で選ぶ習わし」に参加できるということでもある。だからこそ、とりわけ教育が大切になるのであり、教育者としてのエラスムスの姿がそこに垣間見える。ただ、エラスムスの時代においては、そのような教育を受けることができるのは限られた範囲であったことは事実であり、そこにエラスムスのエリート主義的な匂いが醸し出されている背景がある。
 いずれにせよ、エラスムスは世襲的な君主であろうと、投票により選ばれて君主になったものであろうと、統治者である君主の務めは「公共の福祉」の実現を目指すところにおかれている。そしてその「公共の福祉」の実現は、キリストの教え と人文主義教育 とによってなされた人格形成の結果として生起するものである。
 このような「公共の福祉」の概念のもと、君主の財であろうと私財であろうと、それらは公共の財である。その公共の財を自らの所有として贅沢をすることは人間の本性に反することであり、むしろ人間本性に従うならば、「公共の福祉」のために用いられるべきものなのである。

4.エラスムスの人格形成における霊の完成と公共の福祉

 エラスムスは、この彼の言う「公共の福祉」という概念を実現するためには極めて教育が重要であると考えていた。その背後には、人間は教育によって人間の本性(natura)の完成へと向かうエラスムスの人間観がある。
 この人間観は、『君主教育』に先立つ『必携』の中に色濃く表されている。エラスムスの人間観は、『必携』の全39章 の5章のDe homine exteriore et interiore(内的人間と外的人間 )から6章のDe varietate affectuum(情念の相違について)、7章のDe homine interiore et extreriore et de duabus partibus hominis ex litteris sacris(内的人間と外的人間、および聖書の二部分について)、8章のDe tribus hominis partibus,spiritu et amina et carne(人間の三つの部分、霊・魂・肉について)でにおいて述べられているが、少々、複雑なプロセスを踏んで表現されている。というのも、エラスムスは、人間について、最初、プラトンを引用しつつ「霊」と「肉」との二元論で表現するが、最終的にはオリゲネスの基づきながら「霊」と「魂」と「肉」からなる三原論で述べるに至るからである。これは霊肉二元論から出発し、その霊肉二元を否定して霊・魂・肉による三原論に至るというものではない。
 エラスムスが『必携』において展開する霊肉二元論は、物質的な肉と精神的な霊との区分する霊肉二元論ではない。むしろ、人間存在における「この世」に属する肉体と結びつき「この世」的なものを志向する「肉」である情念と天的なものを志向する「霊」である理性との対立構造を示す二言論である。そしてこの二つの志向性のなかで引き裂かれ苦悩する姿が描かれている。そしてそれは、プラトン以降の西欧社会において認識されてきた罪の支配のもとに置かれた「この世(mundus)」に生きる人間の現実の苦悩なのである。
 エラスムスにとって、「この世(mundus)」は、神に敵対する「邪悪きまる悪魔ども(nequissimi daemones)」が支配する世界である 。そして、キリストは、この「邪悪きまる悪魔ども(nequissimi daemones)」が支配する世界にあって、彼らと戦うのであるが、この戦いは、情念と理性の間にあって葛藤する人間の内面の戦いとなって顕れている。それは「この世」と「神の国」の戦いが、人間の内面にあっては「この世」を志向する情念と「神の国」を志向する理性との戦いとなって顕れているのであり 、それが本来は理性と情念とが理性の支配のもとで調和して存在している人間を切り裂き苦悩させるのである。
 このような苦悩の中にある人間の現実に、エラスムスは、「霊」でもなくまた「肉」でもない無記中立的な「魂」を置く。それはまさに「霊」と「肉」とに引き裂かれた人間を主題化し、「霊」と「肉」との間にあって人間を中間的存在とするものである。この中間的存在として人間は、善と悪また理性に従い天的なものを求める生き方と肉に従い「この世(mundus)」な生き方のいずれの生き方をも自由に選択しうる。このように、エラスムスの三元論的な人間観は、善と悪とのいずれの行為もなしうる人間の現実を分析的にとらえ直したものである 。そして、この「魂」の自由こそが、その人間の自由の根幹にあるとエラスムスはとらえたのである。そして、その中間的存在としての人間理解は、英国ヒューマニズムを介して得たピコ・デラ・ミランドラのルネッサンス的な人間観から 、また「霊」と「肉」と「魂」からなる三元論的人間観はオリゲネスから受け継いだもの であると考えられる。
 このような、「霊」と「肉」と「魂」の三元論的人間観に基づきエラスムスは、「あなたは霊になるように配慮しなさい 」と言う。この「霊になるように配慮しなさい」ということは、イエス・キリストのように自覚的に生きることである。というのもエラスムスは、パウロの「御霊によって歩みなさい」(ガラテヤ5・16)というパウロの言葉を行うには、人間の内的葛藤である情念と理性の対立構造において、人間の肉の働きに死に霊に導かれて生きることを述べているからである。そして、その霊に導かれて生きるということを、プラトンが一人の人間の中に二つの魂を置いたことに準拠しながら、コリント人への第一の手紙15章45節から50節の言葉を引用しながら、キリストが、人間を霊に生きるものなる命を与える霊であるということ述べているからである 。
 このように、エラスムスは、人間の魂がキリストに倣う生き方を決断的に選択する時、魂は霊とひとつになり「霊となる」。それは、神が創造の際に、である人間に与えた人間の本性(natura)神の像にそって神の似姿を形成されることである。エラスムスにおける人格形成は、この神の似像を完成すること、つまり完全な「霊」となることであり、そこに、エラスムスの創造論的・救済論的人間観がある。そしてその創造論的・救済論的人間の完成のためには聖書の福音書にあるキリストの生き方を読み取り、そしてそれを学び、それを想起することが大切であると考えているのである。
 こうしてみると、ヤコブ・フッガーが贖罪論的人間観から生じる救済論から、償いの業として私事化された「公共の福祉」とは異なり、エラスムスは創造論的人間観から生じる人間の人格形成の結果としておこる国家の統治と支配の中で「公共の福祉」を見ていることがわかる。

おわりに

 これまでに見てきたように、エラスムスにおいては「公共の福祉」と神が創造の際に人間に与えた人間の本性の完成としての人間の人格形成が深く結びついている。この人格形成のためにエラスムスは『君主教育』において、統治者たる君主の教育の重要性を訴えるのであり、そこには人間は教育によって改善され変わることができるというエラスムスの人間理解があると言えよう。このような人間理解は、原罪に規定され、人間を徹底的に罪びととするプロテスタンティズムとは決定的に異なるものである。
 エラスムスは、ギリシャ・ローマ世界の中により良い人格形成を目指し、それによって国を統治することを目指した賢人の存在を認める。イソクラテスやアリストテレス、プラトン、プルタルコスなどである。そこにはポリス的市民社会がある。これら賢人が目指したポリス的市民社会は、まさに教育によよってより良い人格形成がなされた人間による国の統治が目指された世界であるが、エラスムスは、『君主教育』において、これらのギリシャ・ローマ世界の賢人たちの思想を君主による統治のために用い(uti)、よりよい人格形成がなされた君主による統治に結び付けようと試みている。そこには、王であるキリストによって支配され統治される神の国の実現を、今、ここでの「邪悪きまる悪魔ども(nequissimi daemones)」が支配する「この世(mundus)」という世界の中で、キリストに倣う王によって実現しようとする試みでもある。つまりエラスムスは、そのより良く形成された君主の人格に「この世(mundus)」と戦い勝利した完全な神の似姿であるイエス・キリストを見ているのである。このように、エラスムスの描く国の統治は、イエス・キリストの到来によってもたらされたキリストを王にいただく神の王国を模範とした国の統治が意識されている。そして、その結果(fruti)としてキリストの内にあった隣人愛に基づく「公共の福祉」がそこにあるとエラスムスは考えている。つまり、キリストによってもたらされた神の王国が「公共の福祉」の中に現れ出ているのである。

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