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「空のようになる」 銀座で托鉢する僧侶との出会い

                       執筆者:Amélie Geeraert

※この記事はKokoro Media掲載「‘Becoming Like the Sky’: an Encounter with a Street Monk in Ginza」を日本語訳したものです。

伝統的な袈裟を纏い、網代笠をかぶり、東京の街頭でお経を唱える僧侶の姿は、外国人観光客だけでなく、東京に住む人々にとっても風変わりで目立つ光景となっています。今回は、9年前から銀座の路上で「托鉢」(お経を唱えて布施を受けること)を実践している望月さんにインタビューしました。

現代の日本における仏教

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日本人は、生まれる時は神道、亡くなる時には仏教だとよく言われます。実際のところ、ほとんどの日本人は、一つの宗教だけに執着しておらず、たまに神社や寺にお参りに行ったり、二大宗教の祭事に参加します。かつては地域の人々の相談役を僧侶が担っていました。しかし、時代が変わり、日本の仏教は葬儀のイメージが強くなり、仏教が生活に深く根差した宗教であることを忘れがちです。このような状況に苦労している僧侶、お寺も存在します。

そうした中で、大都市の街頭で瞑想し、お経を唱える僧侶は、珍しくなってきています。

ご注意いただきたい点は、日本では、本物の托鉢僧は、持っている鉢に何かを入れてくださいとは絶対に言いません。もし旅先で言葉巧みに布施を求めたり、御守を売ろうとしている僧侶に出会ったら、おそらく偽者でしょう。

路上で瞑想するという教えは、何年もの間、私にとって不可解なことでした。しかし、友人から「にぎやかな銀座のど真ん中で、お経を唱えている僧侶がいる」と聞いた時、この謎を解明しようと決心しました。

路上で気になる存在感

「欧米人、日本人に関わらず、みんな同じ疑問を持っています。私も昔はそうでした。」

望月さんは・・・本物の僧侶ですか?

はい。私は高野山の持明院(真言宗の最も神聖な場所)に属しています。そこでの正式な修行を経て、証明書をもらいました。身に着けていると、墨文字が日光に当たって色あせてしまいます。修行を積んだことを証明する本物の紙は大きく、貴重なものなので、ビニールカバーに入れたコピーを首に巻くことで、自分が偽物の僧侶ではないことを証明しています。

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お経を唱えながら「僧侶ID」のコピーを身に付けた望月さん

この記事を書くために情報収集をしていたところ、外国人旅行者が投稿した、銀座で托鉢をしている僧侶の写真をいくつか見つけました。ほとんどの人が「本物の僧侶ですか?」「何をしているのですか?」「お金は何に使うのですか?」などコメントをつけて投稿していました。

銀座で托鉢をしている僧侶は3、4人いると思います。その中の一人は、結構前からいる方で、ちょっと有名になってきたようです。他の僧侶も、ネット上に写真を掲載された人がいます。私の写真を投稿した人もいるようです。たまに、私が気づかないと思って、こっそり写真を撮ろうとする人がいますが、実は気づいています!(笑)でも、ほとんどの人がとても丁寧に、写真を撮っても構わないかと尋ねてきます。私は全く気にしていません。たまに、リラックスした南米人たちに、いきなり肩に手を置かれ、自撮りをされたこともあります!(笑)

欧米人でも、日本人でも、みんな同じ疑問を持っています。私も昔はそうでした。

「なぜこんなことしているのだろう」「なぜ銀座にいるのだろう」「何のためのお金なのだろう」と。私も最初は、この答えがなかったのです。 たとえ空海に尋ねても、答えてはくれませんから。私がわかっていることは、そこに立つべきなのだということだけです。

突然の転機を迎えたライフストーリー

「20年間、自分が思ったとおりにしてきましたが、心の中に、埋まらない何かがあると気づきました。」

なぜ僧侶になろうと思ったのですか?

私にとってお釈迦様とは、非常に素晴らしい、最も尊敬する存在です。幼少期に恵まれなかったせいかもしれませんが、子供の頃から人間の心の動きに興味がありました。2500年前にお釈迦様が自分の教えを作ったことを知り、実際にいた人だから、何を残し、何を伝えたかったのかを知りたくなりました。

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托鉢の鉢を持つチベット仏画。(Manjushri Dharma Center)

私が僧侶になりたいと思うようになった理由については、とても長い話になります。

1976年、私は大学3年生時(当時19歳)に退学し、アメリカに行くことにしました。当時、友人のほとんどが自由な生活を求めて西海岸に移住していました。私もサーフィンなど大好きだったのですが、どういうわけかニューヨークへ渡りました。きっと自分自身の恐怖や不安を克服し、挑戦したかったのでしょう。そこで学んだことは、学校や会社では教えてもらえなかったことであり、今でも自分にとって最も貴重な経験だと思っています。

アメリカに6年、日本に戻り、また渡米して5年を過ごした後、帰国しました。1996年までの約20年間、行ったり来たりしていました。学生でもなく、ビジネスマンでもありませんでした。それ以外の何かを見つけたかったのです。何かに縛られるのが嫌でした。学生は学校、ビジネスマンは会社に縛られています[ネクタイをきつく締めるジェスチャーをしながら]。それが性に合いませんでした。

その20年間、自分が思ったとおりにしてきましたが、心の中に、埋まらない何かがあると気づきました。あの頃と比べて、自分の性格はあまり変わっていません。友人とは昔から仲良くしていて、ご覧のとおり、私はよく喋ります。人のために何かしたいと思っていましたが、確信が持てませんでした。グリーンカードを持っていたので、滞在期間を延長し、もう10年程アメリカに滞在することも出来ました。でも、それは正しくないと思いました。その時、自分は、日本に「帰る」のではなく、「行く」のだと気づきました。違う日本を求めていたのです。とても前向きな気持ちになり、ニューヨークで過ごした20年間の経験を活かして、新しい何かを探そうと決心しました。新しいスタートを切ること。イギリス人の有名なナチュラリスト、C.W.ニコル氏は長野で自然環境について学ぶ学校を設立しました。現在、私たちは大きな環境問題に直面していますが、日本は他国と比べて、環境を守るために積極的に活動している人が非常に少ないのです。そこで、川や森、山を大切にすることを学ぶ場を創ろうと考えた彼は、環境省と一緒に学校を立ち上げました。私はそこで3年間学びました。

「2001年に最初の師匠に出会いました。当時、私は屋久島に住んでいました。大阪で出会い… 屋久島に戻って来た時には、自分の中で何もかもが変わっていました。別人のようになっていました。」

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高野山の真言宗僧侶 (Jwongyboy、 Travellerspoint

その後、ある人と出会いがありました。この方と出会うまでは、仏教について考えたこともありませんでした。今では、この方が私の師匠です。私には二人の師匠がいます。高野山の持明院の住職とこの方です。御二方とも、とても大切な存在です。

2001年に最初の師匠と出会いました。当時、私は屋久島に住んでいました。師匠とは、大阪で初めてお会いしました。最初は何となく会話していたのですが、心に残る言葉をいただきました。屋久島に戻った時には、自分の中で何もかもが変わっていました。別人のようになっていました。家に戻ってきたものの、いったい何をすればいいのかわかりませんでした。

その後、お金がなかったので、夜行バスで2週間に1回、大阪に通いました。2年間、10人くらいの学生の集まりに参加して、師匠の話を聴きました。そんなある日、師匠に声をかけられました。

「望月さん、よく2年間、諦めずに通いましたね。なぜか分かりますか?」

「いいえ、なぜでしょう・・・」

「導かれています。」

この出会いがなければ、私はこの道に入らずに、東京から遠く離れた場所で、全く違う人生を歩んでいたかもしれません。そして、今の自分があるのも、この出会いが自分の人生を変えてくれたのも、前世と関係するのではないかと思います。昔はこういうことに疑問を持っていましたが、今では前世が当たり前のように思えてきました。師匠との出会いは、前にもどこかであったのでしょう。それは、おそらく私のために、予め決まっていたことであり、すべてが自然の流れだったのです。人生では、流れに身を任せることが大切で、流れに逆らおうとすると上手くいきません。

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望月さんが普段托鉢をする交差点(JNTO

オリンピックの金メダリストに聞くと、小さい頃からの夢だったと言うでしょう。私は、僧侶になることなど考えたこともありませんでした。でも今振り返ってみると、私の小学校に寺の息子さんがいました。彼にお経を唱えてもらったことがあるのですが、当時「かっこいい!」と思いました。また、子供の頃は、いろいろと怖がるものですが、先生や警官、僧侶など、大人が道に立っていると心強く感じました。また、私がニューヨークを好きになった理由は、世界やビジネスの中心だからとか、ウォールストリートがあるからではありません。何となくストリートカルチャーが好きだったからです。

そして今、毎日道に立っていますね。

街頭には、本当も嘘も全部あります。自分が住んでいる社会のすべてが見えてきます。東京の路上に立っていると、ありのままの街の姿に触れることができます。そこにただ立ち、お経を唱えることが、私がすべきことなのだと感じます。

僧侶の生活

「寺に一度入ってしまうと、出られません。出てしまえば、二度とチャンスはないのです。」

僧侶になるためには、どのような方法がありますか?どのような修行をするのでしょうか?

高野山の僧侶の資格を取得するには、3つの方法があります。まず一つ目は、高野山大学に4年間通うことです。最初の2年間は一般教養、あとの2年間は僧侶になるための修行です。卒業すると僧侶になることができます。

2つ目は、専修学院という学校です。2年間で僧侶になるための勉強をして、卒業すると僧侶になることができます。

3つ目は、私が選んだ方法です。それを選んだ理由は、最短で僧侶になることがきるからです。寺に入り、半年くらい修行しました。大きな違いは、一度入ってしまうと、出られません。寺にずっといなければなりません。出てしまえば、二度とチャンスはないのです。大学や専修学院であれば、自分のアパートから通うことができます。私の場合は、それができないので、寺の中で生活しなければなりませんでした。従って、短い時間で資格を取ることができるのです。

高野山の僧侶になるための様々な方法ですが、実は修行が終わった時点では、形だけの僧侶に過ぎません。本当の修行は、卒業してからなのです。

ですから、それが終わった後、私は落ち込みました。寺に入りたくなかったのです。仏教をもっと知りたい、仏教の何たるか感じたいと望んでいましたので、寺の住職になりたいという気持ちは全くありませんでした。

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高野山の真言宗僧侶たち (Wikimedia Commons)

「そんな容易いことではない」と思っていましたが、
今はそれを信じています

真言宗に属していらっしゃいますが、この宗派を選ばれた理由は何ですか?

私が真言宗に入った理由は、人生を変えてくれた僧侶が真言宗の方だったからです。それだけが理由です。それまでは、仏教にこんなにたくさんの宗派があることすら知りませんでした。

真言宗とは何かといえば、私にとっては、とても簡単なことです。空のようになることです。師匠に「心を空にしなさい」と教えられました。かつては「そんな容易いことではない」と思っていましたが、今はそれを信じています。どのような意味かというと、空はどこにでもあるということです。みんなで共有しているものです。「私は禅宗」、「私はキリスト教」、「私は真言宗」という考えにとらわれ過ぎると、よくありません。空海の教えです。それが中心になってしまうと、宗教戦争が起こります。だから、あまりこだわらないようにしています。大切なのは、信じる気持ちを持つことです。信仰という概念は、空に浮かぶ月のように、みんなで分かち合える、見上げることができるもの。それが私の理想です。

お布施だけで生活をしているのですか?

主にお布施で生活していますが、知人に呼ばれて葬式や法事でお経を唱えたりすることもあります。

寺で仕事をしている時は違います。高野山の寺では、4年間働きました。会社に住んでいるようなもので、年中無休で仕事をしました。皆さん、寺には法事でいらっしゃることがほとんどでした。

お釈迦様は、お金がなくても、贈り物をすることが出来ると教えてくれました。それは、優しい表情や微笑、優しい言葉をかけたり、席を譲ったり、場所を提供したり、ボランティア活動など、人の手助けをすることです。

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雨でも、晴れでも、銀座でお経を唱える望月さん

「何の問題もなく生きていると、何も学ばないのです。」

なぜ銀座で托鉢をしようと思ったのですか?

初めてここで托鉢をしたのは、日比谷公園のような場所へ行く途中でした。銀座を歩いていたところ、いつの間にかそこに立っていました。

僧侶になって托鉢をするというのは、お釈迦様が私達に伝えてくださった教えの一つで、言葉では表現できないほど深い意味を持っています。毎日違う答えが返ってくると思います。

私が9年間托鉢を続けてきて、今出せる答えは、9年間分の答えでしかありません。実際に托鉢をする前に、何のために行うのか分かりませんでした。既に答えが出ていたら、托鉢をする必要はなかったでしょう。

今言えることは、銀座には沢山の人がいて、私はそこに立つべきであるということです。そこに立っていると、人が寄ってきて、その出会いの中から新しい何かが生まれます。私を励ましてくれる何かがある。もしそれがなかったら、辛くてとっくに止めていたでしょう。もちろん、お布施のおかげで生活できていますが、それが理由ではありません。

托鉢をしていると足が痛くなるし、悪意のある人に邪魔されることもあります。いろいろな問題が起こり得るのです。しかし、何の問題もなく生きていると、何も学ばないのです。困難を乗り越えると強くなります。ストレス、問題、これらは人を成長させるために存在しているのです。

もう一人の自分との繋がり

仏教の僧侶は、悩みを克服する方法をご存知だと思っていました!

人は皆、悩みを抱えており、心を揺さぶられます。大事なのは、揺れた後に戻るべき心の軸があること。朝、銀座に行く前にお経を上げて、帰宅後にもお経を上げます。4時間くらい立ったまま、お経を唱えたりもします。そこから得られるものは、心の真ん中に一本の「軸」が通っていること。体幹の筋肉が強くなるとバランスが良くなるのと同じように、「心幹」があると思います。

それが信仰の役割です。キリストを信じても、他の何かを信じることでも構いません。信仰は、心の中にしっかりとした軸を与えることができると思います。

今日は、自分は人に種を手渡しているのだと思いました。誰かが私のところに来て祈りを求めることは、小さな光の種を手渡すようなものです。それで気が楽になれば、また私のところに来てくれます。そして、また来ます。もしかすると、そのようにして、彼らは心の中に「軸」を育んでいくのかもしれません。

師匠から教わったように自分の心を「空」とすれば、曇りの日、雨の日、風が吹く日もあるけれど、その上にはいつも青空があることを忘れてはいけないのです。私も、悩み、落ち込んで、泣いてしまう日もありますが、青空はいつも上にあることを忘れません。そうすると、元気に悩むことができます!(笑)

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「一番最初に師匠から『望月さん、もう一人の自分を知っていますか?』と聞かれた時、もう一人?自分は一人しかいない!と思いました。」

「元気に悩む」・・・なかなか難しそうですね!(笑)

いいえ、とても簡単です! 誰でも出来ます。そうしないと、洗濯機の中にいるように、ネガティブな感情に振り回されてしまいます。仕事、学校、パートナーとの関係・・・悩んだ時は、その洗濯機の中から出て、違う視点から向き合うことがコツです。そうしないと、朝起きてから寝るまで悩み、どんどん疲れてしまいます。私にとって、お経を唱えることは、再び青空と繋がるための方法です。空をさらに青くしてくれます。

そして、この青い空の中には、「もう一人の自分」が存在します。西洋では「Higher Self」という表現がよく使われます。「高次の自分」というような意味で、人生において、自分を正しい道へと導き、メッセージを送ってくれるのです。一番最初に師匠から「望月さん、もう一人の自分を知っていますか?」と聞かれた時、私は「もう一人?自分はひとりしかいない!」と思いました。それくらい自我が強かったのです。20年前に師匠と出会った時、いろいろなことを言われましたが、「青空」と「もう一人の自分」は、私がずっと大切にしている信念です。

「お釈迦様が私達に残された最も重要な概念は、『すべてのものは無常である』ということです。あらゆるものは、絶えず変化し続けていきます。それを否定することは出来ません。」

望月さんが唱えているお経は何ですか?それはどういう意味を持っているのですか?

私が唱えているお経は「般若心経」と言います。日本で最もよく知られているお経で、仏教のほとんどの宗派で用いられています。

その中に「色即是空」という有名な表現があります。少し複雑ですが、万物に不変なものはない、本質は空であるという意味です。

お釈迦様が私達に残された最も重要な概念は、「すべてのものは無常である」ということです。あらゆるものは絶えず変化し続けていきます。それを否定することは出来ません。ですから、考えに執着しすぎると、何か不自然なことをしてしまいます。

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般若心経( Zenkan)

もし読者が銀座で望月さんを見かけて、お経を唱えてほしいと思ったら、どうすればよいでしょうか?

お経を唱える場合は、2分程度かかります。もしそれが長過ぎるのであれば、短くすることもできます。その方の宗教が何であっても構いません。また、お布施が1000円でも、100円でも、5円でも構いません。

銀座では、禅や仏教に興味のある外国人の方にたくさんお会いします。中には、ただやってみたいだけの人もいます。私のところに来て、自らお祈りのジェスチャーをしてくれます。日本人が海外へ行き、教会で祈ることと似ているかもしれません。

最後に読者へのメッセージをお願いします。

沢山ありますが、一番大切なことは、先程お話した「もう一人の自分」です。仏教は、何か強大な力を得るということではありません。私達は生まれた時からすでにその力を持っているのです。仏教とは、スマートフォンに例えると、初期設定に戻るようなものです。無駄なアプリを全部消すと、「もう一人の自分」に出会えます。それが、「すべての人の中に仏がいる』」ということなのです。

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望月さんを偲ぶ

このインタビュー記事にもう一段落、悲しみと共に書き加えさせていただきます。2021年1月、望月さんが新型コロナウイルス感染症でお亡くなりになりました。最期を迎えられた翌日、東京の空は雲一つない明るい青空でした。

望月さんは、とても穏やかで明るく、話し好きな方で、インタビューさせていただいた後も、時々メールのやりとりをいたしました。望月さんのメッセージの一つ一つに、楽観的な人生観が感じられました。望月さんの正直で優しい心は、多くの方々と世界中のご友人に惜しまれることでしょう。

Kokoro Media編集チーム一同を代表して、望月さんとの出会いを心より感謝し、哀悼の意を表します。

執筆者について

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高校時代に日本文化と日本語について関心を持つようになり、2011年から日本に住むフランス人です。「Kokoro Media」の前身であるウェブサイト、「ただいまジャパン」の頃より編集長として記事を書いています。

日本の文化について、様々な方にインタビューできることを嬉しく思っています。人の心を動かすようなストーリーをいつも探しています。好奇心旺盛で、海外でよく知られていない日本の文化、たまに日本でもあまり知られていないことまで見つけることもあります。

「Kokoro Media」を通じた出会いは、私自身の日本の見方や人生感に変化をもたらしています。読者の皆さんに、素敵な感動をお届けできれば幸いです。

                         アメリ・ジェーラル

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