見出し画像

【初コンクール鑑賞】アンケートから『コンクールの社会的な意義』を複合的に考えてみる

えらくご無沙汰しております。細々と生きています。私の現在の活動報告はInstagramから発信しております。

この2年くらい?の話は省きまして、今回は仙台国際音楽コンクールに行ってきて、そこに同封されていた九州大学大学院芸術工学府からのアンケートにいろいろ考えさせられたので、それに関して述べたことをnoteを用いて共有できたらと思います。

アンケートの趣旨は

音楽コンクールの社会的な意義と今後のあり方を検討

とありました。

クエスチョンとして、「仙台国際音楽コンクールの認知度はどう思う?」という内容で
以下私のアンサー

私は都民なので仙台市民から見るコンクールの認知度はわからないのですが、コンクールの社会的な意義という点では直接的な認知度だけでは図れないというのが感想かなと感じます。
前提としてクラシック音楽に関心がある人は数ある音楽ジャンルからの相当なコア層であるということを踏まえると、コンクールという直接的な要因よりは、青少年オケを起点にして(鶏が先か卵が先かですが)青少年オケの当事者やその家族、友人が青少年オケの演奏会から演奏会に興味を持って、それが伝染して、複合的な要因で地域との結びつきが強化される(街全体でサポートする、いわば「お祭り」ですね)ものと想像しました。
私がそうであるように、私のような偶然クラシックが好きになったコアな人間のために、気づくための門出として、移動音楽教室はやって欲しい。そして演奏会も各地でやってほしい。青少年オケも県内にいくつかは欲しい。コンクールを通して私たちと近い存在?を見たい(憧れの先輩的な?)。目指せる夢の場所を提供して欲しい。
私が思うコンクール(というか教育の観点からのクラシック音楽業界の社会的な意義になってしまいましたが)かなと感じております。
長文失礼いたしました。

分解して解説します。


今回はボードを使って解説していきたいと思います。
これ書いてて思考を整理しながら悩みながらやっていたのですが、正直私の意見はなんか違う気がする。笑


アンサーの要素として大きく2点
・「クラシック」はコアな音楽
・コアなファンになるキッカケ

まずコンクール自体は地域との関わりに直接的な要因は無いよということと、その要因としてファン層が少ないということ。ではファンになる要素としては私の経歴ではボード右側の通りで(最後のコンクールは脚色です。コンクールへの憧れはないと言ったら嘘ですが、中学吹奏楽部で部長の背中を見て吹奏楽のソロコンクール魂に火がついたのは事実です)幼少期に聴いたCDや青少年オーケストラの存在や移動音楽教室といったキッカケだったりが段々大きくなり、最終的にはコンクールにつながるのではという持論です。

これだけだと一人称視点になってしまうのですが、子どもが青少年オケに入って、そこから親がクラシックに興味をもち、祖父母や友達が青少年オケのコンサートに来場してそれが興味につながるといった事例もなくは無いと思います。

そんな感じでいろんな要因が結びついて、結果としてコンクールが社会的な意義を果たしているという結論でこの話を終えたいと思います。

ちゃんとしたコンクールの鑑賞は初めてでした。今までそういうの見たことなくてどんなもんなんかなと思って行ってみました。
プレイヤーの命を捧げて音楽に没入する姿はコンサートとは違いました。
あとは技術はもちろんのこと、やはり伝えたいものをどう技術を使っていくかに試行錯誤を重ねてきたんだなというのが伝わりました。
最近美術館に行ったり自分磨きをしていますが、こういうところに出向くのは大切ですね。

拙い文章ですがお読み頂きありがとうございます! 私の詳しくは https://t.co/c3ikR7p8Ht インスタ: https://www.instagram.com/cbyoshida/